始まりの為のエンドロール
後日、船着場にて。
「見送りなんて別にいらないのに……」
アルルは平然とそう言う。
そこにスク水ランドセルだった彼女の面影はなくて――雅らかなドレスに、くるんとやわらかくロールした金色の髪。お姫さまらしい風貌を整えた彼女の姿。
その後ろに控える燕尾服の男は――かつて『魔導書』だった執事、ア―カードだ。
いろんな感情が入り混じったような顔をするアルルに、僕はやんわりと首を振って応える。
「そんなわけにはいかないよ。友達を見送るのに理由なんていらない。違うかな?」
「ふうん……友達……ね」
アルルは道端に転がっていた小石をコツンと蹴る。
「……ねっ、また逢えるかな?」
「どうだろうね。僕たちは魔導書を破壊しなきゃいけないから……また逢えることがあるなら、きっとその後だろうね」
「……そっか」
言って、彼女は空を見上げた。
今日も澄みきった蒼い天幕が、僕たちを見降ろしている。
一迅のさわやかな風がアルルの髪をなびかせた。
がやがやと街の喧騒が遠くに聞こえる。
そんな少しの間の後、
「ねえ、変な話していい?」
と、アルルは細めた目で空を見上げながら、声色小さく語り始めた。
「……物語ってさ、どんな物語でもさ、最後の終わりの時に希望がなくて、そのまま終わっちゃうと……どうしても寂しくなったりしちゃうんだな。あたしって」
だから、ちょっと想像してみて――と、彼女はすっと眼を閉じる。
「たとえば海とかだったらさ。白い砂浜で、きらめく星空と月明かりに照らされた海、波の音を背景に恋人たち二人が見つめ合って、そっとキスをしてフェードアウト――そこで物語が終わる」
そんなラストシーンが好きなの、と。
「……ううん。別にそこまで綺麗じゃなくたっていいんだ。白馬に乗った王子様じゃなくても、星空のない昼間の海でも、お別れの場所がボロっちい港で全然ロマンチックじゃなくても……ばったり出会っちゃった、年下の男の子だったとしても……ね」
意味深なことをいうアルルに、僕は首を傾げた。
いや、内心は理解していた。
少しの時間だったけれど、僕は彼女のために、アルルのために一生懸命になって戦った。
だからこそ、僕は彼女と別れることが寂しいって思った。
出来れば一緒に旅を――って思ったのだけれど、そう都合良くいく話でもない。
やっと繋がった心なのに、早くも離れる時が来た。
僕だって寂しい。
それは認める。
けれど、同時にとても嬉しいことでもあった。
だって、始めは『変態』って暴言を吐いて、僕のほっぺたを叩いた彼女が、いまは僕との別れを惜しんでくれている。不器用でも不格好でも、僕たちの心は、少しは近づいたってことだから。
「あたしの物語は、ここで終わる。けど……けどね、このまま終わらせたくないの。なにか続きになるものを残したい。あの……だ、だから……ひとつお願いがあるんだけど……訊いてくれないかな?」
「なに?」
「……が、頑張れって言って。あたしでもできる、だから頑張れって」
僕は小さく頷き、アルルを見る。
「アルルならきっと大丈夫だよ。僕はそう信じてる。だから頑張って――……」
そのとき。
意図しない出来事が起こって、僕は硬直した。
ふっ、と。
アルルが近くなった。
そう気付いたときには彼女の顔が見えなくなっていて、
さらりとした髪が僕の目の前でなびいていて、
僕は言葉を忘れた。
なんて言おうとしたのか、もう思い出せない。
彼女の唇が僕から言葉を奪った――そんなアルルの唇は、ちょっぴり震えていた。
世界には厳格なルールがある。
陽が昇れば沈むように、川を下っていけば海に出るように、海の向こう側にも世界が広がっているように――世界っていうのは、連鎖していく。ある起因が結果を生み、その結果がまた新たな起因を生んで、そうやって物語は繋がっていく。
だからアルルは言葉を残した。
だからアルルは僕の中に心を残した。
遠く離れても、心が繋がるように。
次が、また続くように。
人は物語を描く。
言葉に。
心の中に。
それは想いがある限り、ずっとずっと続いていくものだから。
「ありがとう、マイプリンス。またね、ジンタ」
僕たちは船に揺られるアルルを見送る。
ここであえて僕の心境は語らない。……だって、恥ずかしいから。
彼女はずっと手を振り、やがて水平線の彼方に消えていった。
虹の向こう側で――また違う彼女の物語が、始まっていくんだろう。
心のどこかに僕を置いて。
そして僕もアルルを心に、僕の違う物語を綴っていくんだ。
僕はアルルのいなくなった場所から空を見上げる。
国境なんて線引きの無い青が、どこまでもどこまでも続いていた。
*
さて。
これは後日談になるのだけれど。
僕たちの国――野村国と敵対していたアルルの住む山村国は、この事件のあと友好的な交流が始まったりしたらしい。聞いたところによると、なんでも、どこかの敏腕なお姫様と執事のコンビが、僕たちの国に鉄鋼を輸出したりして、一役買ったとのこと。
……ふむ。
僕にはそのお姫様が、どこの誰かはわからないけれど……きっとその子は泣き虫で、寂しがり屋で、ちょっと甘えん坊で、そのくせに意地っ張りな素直じゃない頑固者……だけど、とびっきり可愛いくて、スク水が似合う女の子なんだろうなー、って思った。
この旅が終わったら、山村国に遊びに行くのも悪くない。
僕は復活したニーナさんの背中に揺られながら、澄みきった青空を見上げる。
「どうかされましたか? ジンタ様」
「……ううん。なんでもない。ちょっと考え事してただけ」
ひとつの物語が終わり、
また新たな物語が始まる。
……いや、終わってなんかいないんだ。
勝手に終わらすなんて出来やしない。
僕とアルルの物語は、まだ続いている。
だって、
僕たちは『さよなら』なんて、一言も言ってないんだから。