決着ッ!! 水の魔導書ッ!! ②
『魔導書』が――いや、『魔導書』だった男が怒鳴った。
「……許さん、許しませんよ!! 殺してやる、メタメタのギタギタのべちょべちょにして殺してやるっ!! あなたが悪いのです! このワタクシに、ここまでさせた、あなたが、悪いッ!!!」
半欠けの仮面の男は、甲板に倒れるように乗り上がる。
小奇麗だった白のスーツは、もうボロボロだ。
ダメージはある――だけど、戦闘不能にはまだ遠い。
しかし、男の細められた眼には、明らかな闘争継続の意思が燃えていた。
「“国”もろとも、海の藻屑と化して差し上げましょう――果たして!! そんなちっぽけな炎で海を消せますかねええ!? ――呑み込め、『天上天下唯喰大大特大大津波(ダイタル・エンドレス・エターナリー・ウェーブ)』ッッッ!!!!!」
両腕を仰ぐようにする仮面の男。
ぐわーっと、また海面が持ち上がった。
海は、天を覆い尽くすほどの――陽光さえも遮るほどの、壁となる。
「国を呑み込む……か。それは怖いね」
僕は小粋に手を掲げ、指パッチンの構えを取る。
「……けど、もう遅い」
とても格好いい感じに、スカっと鳴らす。(不発)
空まで届くくらいにうねり上がった海は、しかし、襲ってくることもなく、静かに元の形へと戻っていく。
当然だ。
だって、それ――“僕が操ってるんだから”。
悔いろ。
お前は逆鱗に触れたんだ。
“化物”の――僕の大切な心を逆撫でし過ぎた。
くんっ、と指を引く。水鞭を造り出し――シルクハットの男めがけ、一鞭を振り降ろす。
だけど攻撃はしない。
僕は水を操り、男の両腕を後ろで拘束する。
「――……な、なに? なんです!? なぜワタクシの水がいうことを利かない!? なぜワタクシの水が、ワタクシを襲うのです!?」
「だから、お前は“封魔”を舐め過ぎた。言っただろ? 僕は魔法を“封印”するって。それに――お前の『水の魔導書』の力は、もう封印した」
男の顔から、サァっと血の気が引いていくのがわかった。
僕は男に詰め寄り、ちょっと凄んで見せる。
「……さあ、答えてみせろ。お前の勝機はいくつだ? 千か、万か、兆か? それとも那由他の彼方に置き忘れたか?」
「ひっ、ひいぃ!!」
悲鳴をあげて床にへたれ込んでしまった。
ここで初めて男は怯えた顔を作った。
堪らず逃げ出そうとするシルクハットは、まるで犬のように甲板を這い、少しでも僕から遠ざかろうとする。
だけど、僕が出現させた炎が逃げ場を奪う。
「待ってよ。まだお前の口から『ごめんなさい』を聞いていない。アルルに謝れ。ニーナさんに謝れ」
「ばっ、化物! た、助けてくれ……助けてくれ!!」
「……だから、謝れって言ってるの。誰も命を奪うだなんて言ってない」
「命っ!? やめてくれ、命だけは……命だけは勘弁してくれ! ワタクシは、ワタクシはまだ死ねない! なんでもするから、なんでもしますからああああああっっ!!」
……どうやら、僕の言葉は男の耳に届いていないらしい。
ビビり過ぎだろう。さっきまでの威勢はどこへやら……。
僕は呆れた。
呆れ果てて、盛大に鼻から息が洩れてしまう。
「なんでもする……ねえ……」
視線をアルルへと送り、
「どうする? あとはアルルに任せるよ。きみの好きなようにしたらいい」
僕の出番は――これで終わりだ。
残りはアルルの問題。
解決させるのは彼女の仕事だ。
言を受けたアルルは、ゆっくりと男へと近寄っていく。
正面に立ち、まるでブタを見るような目で一瞥すると、男はバツ悪そうに顔を逸らす。
アルルはしゃがみ、
「……ねえ。あなた、なんであたしを連れ去ったの?」
男は消え入りそうな声で応える。
「……それは……言ったでしょう。お金のためです」
アルルはふうん、と鼻を鳴らして、
「お金、ね……たしかに。それはあたしも思うわ。お金があればなんだって出来る。家を建て直すことだって、国を持ち直すことだって、かんたんにできる。誰かを養ったり、誰かを助けたりだって、かんたんにね」
口調は厳しいものではない。
穏やかな、親しい人に語りかけるようなものだった。
「船に連れ戻されたとき……くらいかな? 薄々だけど、感づいていたの。思い出してみればそう――ズムバーン家から攫らわれたときも、山村国から出るときも、あなたは、どこかあたしを気遣っていた。違う?」
「な……なにを仰って……」
「もういいのよ、“ア―カード”。あたし、あなただって、もうわかってるから」
えっ?
「……お、お譲……さま……」
は?
いや、誰?
ちょっと待って。
ていうか、ア―カードって誰――と、そんな突っ込みをしたくてうずうずしている僕をよそに、アルルはア―カード(って誰?)の、ひび割れた仮面を、そっと取る。
そしてアルルは、まるで説明を強いられているかのように、静かに語り始めた。
「ア―カード。あなたは、あたしが幼い頃から……ううん。お父様が元気だった頃から、ずっとズムバーン家に仕えていた。お勉強も、作法も、ぜんぶあなたから教えてもらった。……でも、あたしが十歳のとき、どこからか『魔導書』が現れて、お父様の鉱山が襲われて……なんとか鉱山を守ろうとあなたは立ち向かって……それきり、それきりあなたは行方不明になった……」
思い出をなぞるアルルの声は、少し震えていた。
ア―カードは、そんな彼女の顔を優しい目で見上げ、
「……ワタクシは……あのとき、『魔導書』に触れてしまったのです。魔の力に魅入られてしまった。そして……ふと、気が付いたときには、ワタクシは破壊を愉しんでいた……他の『魔導書』と一緒になって、山村国の民を……べちょべちょにしていたのです……」
ア―カードの目に涙が浮かぶ。
「……後悔するには遅すぎました。懺悔するには抱えた罪が重すぎました。知らぬうちに、ワタクシは悪に染まっていたのです。そんなワタクシが……また平然とズムバーン家に仕えるなど……そんなこと……できるはずはありません。そしてあるとき、ワタクシはズムバーン家の分家に、黒い噂を聞きました。アルル様の御父君であるアヌス様には、息子がいない――ならば、娘であるアルル様が消えれば、アヌス様亡き後、残された財産は分家へと渡る……そんな陰謀を、聞いてしまったのです」
「そう……」
アルルは言葉を失っていた。
知らなかった――わけではないのだろう。
というか、なんだか、すごくへヴィーな空気だ。
「だからワタクシは、せめてアルル様だけでも……と、思い立ったのです。……ワタクシは、こんな汚い世界を、あなたに見て欲しくなかった。知って欲しくなかった。できればなにも知らないまま、新しい場所で、新しい暮らしの中で、新しい幸せを見つけて欲しかった……」
感極まり、人目もはばからず、涙するア―カード。
けれどアルルは、
「……自分勝手だよ」
と。
「あたしは……助けて欲しかったかな。さらわれるんじゃなくて、連れ去られるんじゃなくて……他の場所じゃなくて、あたしたちの家で、あなたに、あたしたちを助けて欲しかった。救って欲しかった……ずっと一緒にいて欲しかったのに……それなのに……ア―カード……」
あなた、馬鹿だよ……と。
それは。
祈りのような、懇願の言葉だった。
「……申し訳ありません……お譲さま……」
そして、誓いのような、謝罪の言葉。
……なんていうか……難しいって思う。
もう、全てが終わってしまったことだと理解しても、理解していても、問題を――心を解決させることは、やっぱり難しくて、整理させるにも、自分に言い聞かせるのだって、やっぱり時間がかかるのだろう。
泣きながら語るアルルを、ア―カードを、ちょっと離れた場所からニーナさんを気遣いつつも眺めている僕は、その姿をただ見ていることしか出来なかった。
当たり前のようにそこにあって、当たり前のように続くと思ってた未来。
奪われて、失って、手の中から消えていって、初めてわかる、大切だったもの。
終わってから、初めてわかった互いの気持ち。
心からの涙。
ああ、本当に彼女は、ひょっとしたらと思ってたけど、本当に本当に、僕と同じで、ただの寂しがり屋で、まだまだ子供で、甘えんぼさんなんだろうな――……なんて、ぼんやりと考えていた。




