対決ッ! 水の魔導書ッ!! ③
地を蹴り、ものすごい速度で疾駆する。
もちろん僕じゃなくて、ニーナさんがだ。
二度とごめんだった空中遊泳は、果たして十分やそこらで再度体験することになった。ただし、今回は遊泳とは程遠い、放物線を描くことのない文字通りの水面飛行――風圧で顔面の筋肉が零れ落ちちゃいそうになる。
「~~~~~~~~っ!!」
抱っこされているとはいえ、やっぱり空中を走る恐怖は拭いきれない。
僕たちはレーザービームよろしく海面を猛スピードで滑空。ぐんぐんと近づいていく出航した船――その横っ腹に、きりもみしながら突撃。
正面衝突は避けられない、と思われた刹那、転瞬ニーナさんは猫のように身体を翻し、両足を船側甲板へ突き立てた。彼女は恐るべき慣性力をすべていなしてみせ、あまつさえ足音すら立てずに甲板へと僕を抱えたまま乗り上がる。
この一連の動作に、音を見ている僕の視界に変化は一切見られなかった。いくつもの音の波が彩るモノクロの世界にすら干渉を許さない――その衝撃吸収性は、はっきり言って異常だ。
ニーナさんの足腰は、いったいどういう作りになっているのだろう?
超高性能サスペンションでも膝に仕込んでいるのだろうか。
「……潜入成功ですね。さあ、怪盗ルパンさながらアルル様を奪還に向かいましょう……ってなにしてるのですか?」
「……うえぇ……きもちわるい……」
お腹の中を盛大にシェイクされ、早くもフラフラの僕。
いかんいかん。
こんなことでどうする。
僕はアルルを助けなきゃいけないんだ!
頭を振り、気持ち悪さを払拭。
きょろきょろと甲板を見回すと、
「…………」
……どうやら見張りのような人はいないらしい。
まあ、いたところで僕たちは透明なのだ。
しかしそれでも極力物音を立てず、僕たちは船内へ続く扉へと向かう。
開くと見える階段。
そこを降りると、牢屋を見つけた。
――いた! アルルだっ!
牢屋の隅っこで三角座りをしているアルル。
うつむき、物憂げな顔が、なんだか様になっているような気がした。隣に置かれたランドセルが、またいい味を出している。
幸いなことに牢番はいない。
さらに幸いなことに、壁にかけれている鍵を発見。あまりに警備がザルな気がしたけれど、この船には『魔導書』の一味しか乗っていないのだから、当然と言えば当然か。
僕は鍵を手に取り、重い鉄格子を開く。
「ひゃっ!? なに、なんなの!?」
目を丸くするアルル。
勝手に鉄格子が開いたら誰だって驚くだろう。
僕たちは透明になっているので、彼女には見えないのだ。
アルルは身を引きつつ、凝然とした様子。
その反応がなんか面白かったので、僕はちょっと遊んでみることにした。
アルルの鼻をつん、としてみる。
「はわっ!?」
次は髪を虫の触覚みたいに持ち上げてみる。
「えっ、ええ……? なにこれ……」
水着に沿って背筋をつつーっとしてみる。
「やんっ。あぅ……」
「…………」
どうしよう。
ニヤニヤが止まらない。
「……ジンタ様がそういった特殊なプレイを好まれるとは、思っておりませんでした」
胸にぐさりと突き刺さる一言。
「アルル様もアルル様で、なに(ドキドキ……)みたいな顔してるんですか」
「な、なに? なんなの、なんで誰もいないとこから声が聞こえるの?」
「ごめんごめん、驚かせちゃったね。僕だよ」
僕はスケスケスーツのマスク部分をとり、顔をさらけ出した。
「…………なっ」
久しぶりにクリアになった世界。
色のあるアルルの顔にちょっとほっとする。けれど、その顔は恐慌に荒んでいて、まるで信じられないものを見たかのように、口をパクパクさせている。
「……お、おば……おば……」
どうしたのだろう?
そう僕が眉をひそめるも束の間、
「生首お化け――――――――――――――――――ッッッ!!!???」
アルルが思いきり叫んだ!
こんな近くで金切り声をあげられたら耳がキーンってなっちゃう――ってちょっと待って!
「うわあ! ダメだアルル、そんな大声を出しちゃ……」
せっかく隠密潜入した意味が……。
「――――っえうっ……」
と。
目をひんむいて叫ぶアルルが、いきなりガクンと揺れる。
間抜けなうめき声をあげて、パタリと倒れてしまった。
「……やかましいですよアルル様。レディがそんなはしたない真似をしてはいけません」
なにも無いところからニーナさんの声が響く。
「えっ? なに? なにしたのニーナさん」
「手刀です。首根っこしばいてやりました」
本当に容赦ないなこのロボット。
「な、なんだ今の声は!?」
「牢屋のほうから聞こえたぞ!」
「人質が逃げたのかもしれねぇ! 急げ!」
おぅふ……甲板のほうから嫌な声が聞こえた。
ドタドタと足音が近づいてくる。
こんなちっちゃな船で大声を出せば、そりゃ筒抜けもいいとこか……くそっ!
バターンッ!
勢いよく扉が開いたと思うや否や、黒服の男三人が雪崩れ込んできた。
その手には凶器――拳銃――剣――フライパン。
「う、うわあ! な、生首!?」
「船幽霊っ!!」
「お化けっ、お化けが出たあああああ!!!」
僕を見るなり慌てふためく男たち。
なんて失礼な奴らだろう。流石の僕も傷つくぞ、これ。
そう頬を膨らませるも束の間、怖れをなした男の一人が、握っている拳銃を僕に向かって発砲する。
ばきゅーん!
けたたましい銃声に、僕は思わず身を縮める――だけど、なぜかその銃口は天井に向けられていて、放たれた銃弾は天井に穴を開けるに留まった。
男たちは立ち昇る硝煙を呆然と見る。
何が起こったのか理解出来ない様子だ。
まあ、それも当然だろう。
「……そのような凶器を我が主君に向けるとは……命知らずもいいところですね……」
この場で唯一、透明な彼女の存在を知る僕は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
正直言うと銃を向けられ、あまつさえ撃たれた時には死んだと思ったのだけれど……しかし、それを絶対に許さない“最強の保護者”がここにはいる。
「なっ、なんだ!? 勝手に銃が上を向いたぞ!? そしてどこから聞こえるんだ、この声は!」
「お化けだ、絶対お化けだ……っ!」
「ひいぃぃ!!」
不可視な幽霊に怯える哀れ男三人組。
最強の幽霊は構うことなく猛威を振るう。
男の手を離れた銃が宙を舞い、握りつぶされたようにひしゃげた。
鋼鉄の剣はいとも簡単にへし折られて、フライパンが縦横無尽に荒ぶりまくる。そしてモグラ叩きよろしく、男たちの頭めがけ、ガン、ガン、ガンッと。
「ぐがッ!?」
「ぎゅむっ!??」
「MAXコンボだドンッ!!」
いや本当にすいませんでしたマジ勘弁して下さい――と、そう言わんばかりに、頭上に星を回して倒れる男たち。
「モブはモブらしく、そこで大人しく眠っていなさい!」
怪奇、空飛ぶフライパン。
アクシデントに見舞われこそしたけれど、これでようやくアルルを救出することができる。
あとはこの船から退散するだけ――それで一応の決着はつく。
……だけど、忘れちゃいけない。
僕には『魔導書』の封印という目的が残されている。
「……この調子で、さくっと終わらせちゃおう」
楽観をつぶやいた、そのときだった。
イイイィィィゥ――ザクゥッ
と。
そんな甲高い音が頭上で鳴ったと思う刹那。
木目の天井から、白い糸のようなものが伸び出、フライパンを通過した。
一瞬のことに僕は反応出来ない。
“真っ二つに割れ落ちるフライパン”を見て、攻撃を受けたことを遅まきながら理解する。
「……あっ」
二つに割れた鉄が床を叩く前に、ニーナさんがいたであろう場所にいくつもの線が走る。
恐るべき速度、切れ味をもった線が飛沫をあげて通路一帯を覆い尽くす。
「――ニーナさんッ!!」
完全に風景に溶け込んでいた彼女の姿が、あらわになった。
紙一重のところで避けたのか、傷は見当たらない。だが服は――スケスケスーツはそうはいかない。ズタズタに斬り裂かれたのが見てわかる。
瞬間、透明と実態が混じり合ったゼブラ柄のニーナさんは、風のように僕とアルルを掴み、天井に向かって腕を掲げた。
「きっ、緊急離脱します!」