対決! 水の魔導書ッ!! ②
「……もうやだ、おうち帰る……」
僕は半泣きでそう言った。
「も、申し訳ありません。ちょっとやりすぎてしまいました……」
おろおろと僕をあやすニーナさん。
「……空から落ちるなんて聞いてないもん。あんな怖い思いするなんて聞いてないもん」
死ぬかと思った。
いや、誇張抜きで、冗談も抜きで。
仮に僕が一人であの高さから落ちてたら、確実に死んでいただろう。
高高度上空からの熱烈なダイブ――その足で容易く着地してみせるニーナさんの身体能力は、今更ながら異常ではあるけれど……しかし、そもそもジャンプする必要があったのか……考えてみれば全くなかったような気がする。
普通に歩いて船着き場に行けば済む話じゃないだろうか。
「ですが、その甲斐もあって、こうやってアルル様を見つけることが出来たではありませんか」
……まあ。
そうかもしれない。
けれど、それとこれとは話は別だ。僕としては地道に地面を歩いて行った方が良かった。広い世界が見れたのはラッキーだけど、少なくとも、もうあんな大ジャンプをともにするのは本当に勘弁だ。
「…………」
僕は建物の陰からチラッと顔をのぞかせる。
十メートルほど先――大きな木造の船を前に、ぎゃーぎゃーと騒ぐアルルと、部下を引き連れた件の仮面の男がそこにいた。
「ああ、煩わしい。黙りなさい。あなたは奴隷として売られたのです。恨むのであれば、あなたを売った親を恨みなさい。アルル・ズムバーンさん」
「違うっ! 出まかせを言うな!! お父様はあたしを売ってなんかいないっ!!」
「はん、似たようなものですよ。十三家族の一つに数えられる『ズムバーン家』、その十一代目当主・アヌスの娘、アルル。幼いながらも聡明で高潔な次期当主を期待されていましたが――主家と分家のトラブルが元で、ああ可哀想に、分家に雇われたワタクシたちに誘拐され、オットマン号に乗せられてここに連れて来られた。わおっ、なんとも泣かせる話ではありませんか! しかし、ワタクシたちは金が欲しいだけであって、良心の呵責など無縁にして絶縁――逃げようが隠れようが無駄ですよ。また容赦なくあなたを捕まえて、どっか遠くに売り飛ばして差し上げますからねぇ!」
と、『魔導書』は饒舌に語る。
「……ねえ、ニーナさん。ニーナさんもそうだけどさ、たまに説明調の長ったらしい台詞を言うときがあるよね。これ、なんでだろうね?」
「たしかに。順を追って描写するのが面倒だ――という、何者かの思惑が見え隠れしていますね。回想なんて入れたらダルいですし、こうやって無理やり物語を繋げているんじゃないでしょうか……」
「え、そうなの? ていうか、それなんの話?」
「テンポが重要なのですよ。疾走感です、疾走感」
「だからそれなんの話っ!?」
と。
「……おや? 気のせいでしょうか、いま何か声が聞こえたような……」
僕はぎょっとして、思わず建物の陰に顔を引っ込める。
――勘付かれたか。
……いや?
思えば、僕たちは透明になっているので、隠れようがあまり意味のないことだった。
怪訝そうに、こちらを見てくる魔法使い――仮面の男。その後ろには、部下だろうか、スーツにサングラスをかけた男二人が、アルルの両脇を取り押さえている。
「……ふん、まあいいでしょう。ほら、ぼやぼやしてないでこの娘を牢へと入れてしまいなさい。また逃げられては、たまったものじゃありませんからね。……おい! そう強く引っ張るな。おじょ……人質が怪我でもしたら大変でしょうがッ!」
仮面の男に叱責を受けた部下は、なんで怒られるの? みたいな顔をしていた。
けれども逆らうことなく頷き、抵抗するアルルを船内へと連れていく。
僕たちはそれをじっと監視しつつ、『アルル救出大作戦』のプランを立てる。
「……あいつらが船に乗ってから、こっそりと潜入してアルルを助け出す……ってのが、一番ベターなところかな?」
「ですね。出来ることなら船内、船上での戦闘も避けたいものです。不安定な足場……というのもありますが、この場合、水の上というのが問題ですね。二つの意味で」
「二つの意味で?」
「女の子には色々とあるのですよ」
「そうなの?」
「例えば、ほら……服が水に濡れてしまって、『やん、下着が透けて見えちゃう///』……みたいな」
「なにいってんの?」
「すいません」
けど、たしかに。
ニーナさんの言う通りだ。
あの魔法使い――『魔導書』は川の水を操って、僕らを制圧してみせたのだ。海の上で、また四方八方から襲われでもしたら……今度こそ無事には済まない。
「同じ轍は踏んでらんないね。でも、首尾良くアルルを助け出せたとしても、あの魔法使いを放っておくわけにはいかない。相当危険だよ、あの『魔導書』は。僕たちがここで絶対に破壊しておかなきゃ」
「……潜入し、アルル様を救出。その後に、人質が居なくなっているとも露知らず――出港する船に、私の『超超絶スーパーニーナ砲』をお見舞いしてやれば、万事解決でしょう」
ちょっと荒っぽい気もするけれど、それが最善で安全な方法に思えた。
僕はニーナさんの案に頷きかける。
が、そこでふと思い立つ。
「……いや、待って」
……もし。
……もし仮に、ニーナさんのビームで『魔導書』を仕留め損なったら……。
……そのときはどうなる?
僕は脳裏で反芻する。
アイツがなんの魔法を使うのか――それは未だに判然ともしないけれど、少なくとも水を操ってみせたことを鑑みるに、物体の操作とかそういった類いだろうと推察できる。だとすれば、海面に投げ出されようが、岸まで辿り着くことは簡単なことじゃないのか?
もう少し考えを進ませると、それは同時に相手に――あの魔法使いに、僕たちを攻撃する理由を与えることになる。そうなれば僕らだけじゃなく、この港街の人たちみんなにまで被害が及ぶ可能性も……。
「……やっぱり、ダメだ」
僕は呟くように言った。
シルエット・ニーナさんは首を傾げる。
「ダメとは、なにがでしょうか?」
「アイツは……あの『魔導書』は危険だ。野放しになんかしたら、また違うところで絶対に悪さするに違いない。そうなれば、誰かがアルルみたいに傷ついちゃうことになる。そんなの……ダメだ。だから僕はここでアイツと戦って、アイツを『封印』しなきゃ……」
……いや、違う。
それは誰かのためとか、そんな理由じゃない。
ひとつわかったことがある。
僕は目を背けていたんだ。
だから家にばかり引き籠っていた。
理不尽に不条理を押し付けられて、泣いたり悲しんだりする人を見ているのはたまらなく嫌いだ。その理由は“僕とダブる”から――だから見ていられない。
アルルなんてまさに僕だ。
どういう経緯でそうなったのか、それは僕にはわからないけれど……でも、アルルだってまだ子供だ。それなのに親から引き放されて……まったく知らない土地に連れ去られて……どれだけ不安だっただろう? どれだけ寂しかっただろう?
その気持ちはわかる、同じように親がそばにいない僕には、痛いほど共感できる。
辛かったに違いない。
心細かったに違いない。
それでも国へ戻ろうと必死になって、強がって笑って見せるアルルは――僕なんかより、ずっとずっと強い。
認めよう。
僕は寂しかった。
父親も母親もいなくて、ずっと一人だった。
そんな僕を不憫に思って村の人たちは優しくしてくれたけど……それでも僕の心にぽっかりと空いた穴を埋めることはできない。
孤独だった。
辛かった。
悲しかった。
なんで僕だけ一人なんだろうって考えたら、なんだか息苦しくなってきて、それで僕は家に引き籠るようになった。ずっと一人で、布団の中で閉じこもることでしか、僕は僕を救うすべを知らなかったんだ。
だからニーナさんが来てくれたとき――
僕は涙が出るくらい嬉しかった。
家はぶっ壊されちゃったけど、それでも全然かまわない。
一人ぼっちだった僕を、ニーナさんは救ってくれたんだ。
そして、いまのアルルには、アルルを救ってくれる人がいるとは思えない。
父親の話を出されたとき――僕はなんだか嫌な気分になって、アルルに八つ当たりしちゃったけど……前言をすべて撤回しよう。アルルには救ってくれる人が必要だ。国へ帰れば親に会えるからって、彼女にヤキモチ焼いている場合じゃない。
僕が彼女を救う。
――いや、僕が“みんな”を救ってみせる。
この瞬間、僕の旅の目的が本当の意味で決まった。
広い世界の悲しみを――“全部僕が封印してやる”――
きっとそれは、封魔士の僕にしか出来ないことだから。
「ジンタ様……」
僕の声色からなにかを察したのか、ニーナさんはしゃがみ僕の目線に合わせて――正確にいうと、反響する音の形に反った彼女の姿は、僕には見えないのだけれど、ニーナさんはどうやらそうでもないらしい――僕の手をそっと拾い、両手で優しく包みこむ。
「慌てずに聞いて下さい……」
「うん?」
「アルル様の乗った船、行っちゃいました」
「…………」
「…………」
「…………へ?」
「ほら」
海を指差すニーナさん。
おお……マジか。
もしや、あの豆粒みたいなのが船ですかな?
なるほど。いつの間にか出航していたというわけですな。
ほほう。察するところ、これは駄目なパターンなのではー?
「……はっ、はああああああぁぁぁっ!?」
僕は狼狽する。
「なっ、な、なんで言ってくれなかったのさ! これじゃアルルが……」
「だから慌てずにと言ったではありませんか」
ひょいと僕を抱きかかえるニーナさん。
「飛びます」
えっ?
あ、うん。