対岸の二人
深い霧がここ斉藤義龍の本陣を包んでいる。辺りの視界は全くきかないほどだ。
竹中半兵衛が吐いた白い息が霧と混ざる。そして凍てつく寒さが身を包んだ。だが真冬の最中になっていても、彼の心の熱さは落ちることはない。敬愛する主君、斉藤義龍に武勲を見せるという使命があるのだから。
その主君である斉藤義龍は、鎧兜に身を包み床几に座っている。何も話す事無く、ただ黙っている。その顔はやや厳しさを見せている。
(さて、策は尽くした。後は北畠具教が乗ってくるかだが・・・)
北畠具教が清州城を発ち、桑名に向かっているとの情報は掴んでいた。木曽川の河口で大部隊の移動しているような船の動きの情報も入っている。だがしかし、この目でしかと確認しない事には、あくまで不確定な情報に過ぎない。
この斉藤義龍の部隊はあくまで囮。その囮を使い北畠軍本隊を釘づけにし、嫡男斉藤龍興が小牧山城を奪取する。その為の策は打ってきたのだ。
少しづつだが霧が晴れていくようである。うっすらと視界が開けていくようである。それは果たして斉藤家にとって祝福たる未来を切り開くものであろうか・・・
「川向こうに敵の大軍が見えます!!北畠軍です!!」
物見から大きな声が上がった。徐々に他の兵士達も騒めき始めた。そう皆の目の前にも、北畠家の軍勢を捉えることができたからだ。そして北畠具教本人が着陣している事を示す笹竜胆紋の馬印を確認できた。
「殿!!敵はこちらに食らいつきました!!直ちに斉藤龍興様に!!」
斉藤義龍は、自分の前で膝をつく竹中半兵衛の肩を手で叩いた。
「そちの策は上々なり。後はこの戦いが勝利に終わらすだけよ」
「はっ、それは勿論の事。我らがここで北畠本隊を釘づけにすれば勝ち戦間違いなし」
竹中半兵衛は頭を下げた。なにせ斉藤義龍に褒められることが一番の幸せなのだから。早速、早馬を別動隊に向かわせたのである。
「・・・後はそうじゃのー、ここは言葉合戦でも仕掛けてより向こうの気をこちらに向けさすとするか」
戦の時には、言葉合戦を行うことがあった。要は口で罵ったりして向こうの士気を下げる効果があるとされている。しかし怒ってこっちに突撃してくるという危険性もあった。だが目の前には川があるので、いくら雑兵交じりとはいえそうなっても充分迎え撃てる。
兎に角、向こうの意識をこちらに向けさせ続けなくてはならない。その為の策である。
「さすがは義龍様、ご知略素晴らしきことなり。早速、手配いたします」
「北畠具教の馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!!!アホォォォォォォォ!!!!!!う○こぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!禿ぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
挑発役に選ばれたおっさん兵士が耳が壊れるかのような大きな声で叫んでいる。その様子を見ていた斉藤義龍は、竹中半兵衛を呼び寄せた。
「・・・もっと、こうなんと言うか・・・知的な感じで口上が言える者は居なかったのか」
竹中半兵衛は痛いところを突かれ、思わず頭をかいた。
「この者が一番声が大きかったので・・・文字を読むのが苦手らしく結局こういう事に」
斉藤義龍は大きなため息をついた。いくら策があっても実行できる者がいなければ、こうなるのである。
「これでは童の喧嘩のようなものだな。こんなものに乗るほど北畠具教は間抜けではあるまい・・・」
「はっ、禿とはなんだ!!!!野郎、たたっ切ってやる!!!!」
「殿、落ち着いてください。あんな挑発に乗るなんで子供じゃあるまいし」
顔を真っ赤にした北畠具教が刀を抜こうとしているので、モブや鳥屋尾満栄が抑え込んでいる。
「殿のこの戦いにおける気合は分かりますが、どうかここは自重を」
皆から散々説得され、ようやく北畠具教も落ち着いてきた。
その時であった。早馬が着き、馬上から兵士が飛び降りてこちらに向かってきた。
「蟹江城の服部友貞の使いの者であります。殿に火急にお願いしたいことあり」
北畠具教はキョトンとしてしまった。確か、蟹江城には娘の雪姫を向かわせたはず。
「どうしたの一体。なんかあったら雪ちゃんに相談してよ。僕より頼りになるんだから」
「そっそれが雪姫様の軍、未だ蟹江城に着かず。城主服部友貞は大いに訝しり、殿からも雪姫様にお願いするようにと」
「えええええ、なんでそんな事に!!!!」
さて、一体雪姫はどこでなにをしているのであろうか・・・




