面倒な事
さて次の日のこと・・・清洲城の一室で北畠具教とモブが話している。北畠具教は首を押さえて痛そうにしている。
「痛たた・・・首が痛い」
モブがそれは当然だと言わんばかりに呆れた顔を浮かべる。
「この前一晩中書き物やっていた疲労が今来たんですか、殿も歳ですな」
「うっうるさい・・・痛た・・・だって市姫ビシビシやってるし、逃げられなったんだもん」
そんな実にどうでもいいような話をしている時、どこからか女の子の高い声が聞こえてくる。
「・・・殿は!!北畠具教はどこにいった!!!」
「おやおやどうやら市姫のようですな、ではこれで私は退室を・・・」
北畠具教が逃げようとするモブの腕を引っ張り、この場に留めようとしている。
「おいこら逃げるな!!なんかえらく怒ってるから怖いだろ!!!」
「そもそも殿が悪いんでしょ、散々言ったのに全然仕事しないんだから!!」
そんな事をしていて、お互い逃げるタイニングを完全に失ってしまった。部屋の襖が開き、顔を真っ赤にした市姫が入ってきた。これはまずい!!
「いたいた!!ちょっとあなたでしょ!!いいかげんな話言いふらしたの!!!!!!」
詰め寄ってきた市姫が、北畠具教の首筋を締め上げる。
「ぐぅぅぅくるしい・・・なに、なんなの!!」
「さっき金森長近が来て、安産のお守り渡してきたわ!!問い詰めてみたら、私もう妊娠しているって事になってるじゃない!!!なんで秘書なのに、こんないい加減な話になってるのよ。あなた以外考えられないわ!!」
すごい勢いで市姫は北畠具教を揺さ振っている。まずい、この調子だとこのままゲームオーバーだ。なんとか説得しないと。
「ちょっ知らん知らん!!そんな話してないぞ!!」
このままではさすがにマズイと思ったのか、モブが止めに入ってきた。
「市姫様、落ち着いて。私も殿もあの夜以来ずっとこの部屋に安静にしていて、誰ともそんな話してません」
「じゃあ誰が言ってるのよ!!!」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
清洲城の廊下を丹羽長秀が歩いている。丹羽長秀・・・史実では織田信長に仕え、数々の武功をあげた武将である。最終的には若狭・越前・加賀に120万石余りを拝領する大大名になる勇将である。
「おお、長秀殿!!これは良い所にいましたな」
丹羽長秀が振り向くと、そこには林秀貞が立っていた。
「ああ秀貞殿か、いかがいたした?」
林秀貞が扇子を耳にあて、そっと丹羽長秀に耳打ちした。
「・・・実は市姫様がもうかなり殿と良い仲になってましてな、もう懐妊確実間違いなし!」
「いくらなんでもまだ懐妊するには早いように思われますが・・・」
「いやいやこういう話はどんどん広めて既成事実化するのが良いでござる。とにかく早く二人をくっつけて・・・」
その時、林秀貞はなにか強烈に嫌な予感がした。そしてゆっくりと振り返ってみると、そこには市姫がいたのである。顔は笑っているが、目が完全にヤバイ感じである。
「あっ市姫様・・・いえこれはじつは・・・ギャャァァァァァァ!!!」
先ほど北畠具教の首筋を締め上げたよりもっと強い力で、詰め寄ってきた市姫が林秀貞の首筋を掴んでいる。
「秀貞、あなただったのね。いい加減な話広めたのは!!!!!もう許さないだから!!!!!!」
「これには深い訳が・・・いたたたたた。けっして面白がった訳では!!!」
それを呆然と眺めていた北畠具教であったが、さすがに目の前で部下が苦しんでいるのを助けない訳にもいかない。あのモブさえさっき助けたのだ。よーし俺も頑張っちゃうぞ!
北畠具教が後ろから市姫の身体を羽交い絞めにしようとする。まだ幼い女の子であるから意外と簡単に止められそうだが、トタバタしていてなかなか上手くいかずそして・・・
「ちょっと、あなたどこ触ってるのよ!!!」
「どこって・・・あっ!」
後ろから市姫の小振りな胸をさわさわと握っていたのだ。北畠具教はそれに最初気がつかず、指摘されてようやく気がついた。
「ごめん、小さくて気がつかなかった・・・ギョェェェェェ!!」
「私が一番気にしている事を!!!小さくて悪かったわね!!!!」
市姫の怒りの矛先が一瞬にして北畠具教に代わってしまった。さすが頑張ると事態が悪化していくタイプである。たしかに林秀貞は助かったが、今度は怒りが自分に来てしまった。
「ひぇぇぇ、お助けを・・・」
北畠具教が自分の命がなくなるかもしれないと思った刹那、ある一人の女の声で助かるのである。
「あらあら、こんな所でなにをしているのかしら」
皆がその方を見ると、そこには市姫の姉である犬姫が現れていたのである。市姫は慌てて手を離し、頭を下げた。どうも姉である犬姫には頭が上がらないらしい。
「これは姉上、はしたない所を見せてしまって申し訳ありません」
「あまり殿を困らしてはいけませんよ、市」
あの市姫が借りてきた猫のように大人しくなっている。その間、北畠具教がまじまじと犬姫を眺める。
長い艶のある黒髪は実に日本的な美にあふれている。そして温和な笑顔が実に可愛らしく、大きな目も優しさにあふれている。家中で男たちに人気があるのは実に良く分かる。
「・・・さて実は殿にお話があります。その・・・あの・・・」
(この子も自分の奥さんなんだよな・・・ところで話ってなんだろう、なんかハッキリしないな)
そう北畠具教が思った時、遠くから男の声が聞こえてくるのに気がついた。それはどんどん大きくなる。
「おーいー、おーいー・・・殿ー、私です、村井貞勝です。こんな所にいましたか!!」
声の主は村井貞勝であった。奉行衆の一人で内政に頑張ってもらっている武将である。
「殿、桑名の町衆が戦勝の賀詞を申したいと来ております。桑名は伊勢・尾張を結ぶ要所であり大事にしないといけません」
桑名は東海道でも屈指の宿の数があり、また自由都市として栄え、そして物流の一大拠点として重要な所であった。こことは上手く関係を結んで銭を集めないと・・・家中の銭周りをみている村井貞勝としてはなんとしても大事にしたい相手である。
「っという訳ですので、早く来てください。さあ市姫様もご一緒に!!」
市姫はキョトンとしてしまった。なんで自分そんな所に行かないといけないのか分からないからだ。
「えっなんで私が」
「殿が市姫様を秘書として使うと言ってますので、これからは常に傍でいてもらわないと。それに桑名の町衆は市姫様にも昵懇にしたいと献上品があるみたいです」
「秀貞ね、いったいどこまで噂話していたのよ、きゃぁっ」
話もそこそこに村井貞勝は市姫と北畠具教の腕を引っ張り、強引に連れて行こうとしていた。
「おい、あんまり荒っぱくするな!!ごめん、犬姫またにして。だから痛いって」
こうして二人はほとんど無理矢理連れて行かれた。そうして残された丹羽長秀が林秀貞に話しかけた。
「村井貞勝殿も強引な・・・しかし林秀貞殿は助かりましたな」
「いやはや全くですな。しかし市姫様は殿の寵愛は著しいものがありますな。これからは市姫様の時代・・・うん?」
その時、林秀貞は何か禍々しい気を感じた。それはなにかとても重く、なにか黒さを感じる。この前感じたものと同じである。そしてその時よりずっと強い思念のようなモノを感じる。
彼が振り返ると、犬姫が無言で表情一つ変えずその場から立ち去ろうとしていた。彼女の離れるとその禍々しいオーラも薄らいでいった。
(・・・まさか犬姫様?・・・いやそんな馬鹿な。家中でも一番の人格者である犬姫様にそんな事は・・・)
林秀貞はそう思ったが、彼の予想は豪快に外れており、この犬姫の鬱積した感情はもはや制御不能になりつつあったのである・・・
(・・・このままでは妹に負けてしまう。なにかなにかしないと・・・)
 




