斉藤義龍さんからの手紙(松平元康編)
斉藤義龍の密書は彼方此方の諸大名にばら撒かれた訳であるが、そのうちの一通はここ三河、岡崎城の松平元康にも届いたのである。
松平元康は一人、屋敷の縁側に座りその密書を熱心に読んでいた。その密書の内容は掻い摘んで言うと・・・
一、一緒に北畠の尾張に攻めよう!!おう、やっちまおうぜ!!
二、尾張支配したら今度は松平が今川からの独立するの助けるよ!!おう、マジだって!!
(ほんまかいな・・・)
松平元康は怪訝そうな顔をその手紙を読んでいた。たしかに美味しい話ではあるのだが・・・
松平元康・・・のちの徳川家康である。今川義元や織田信長ともに戦い、武田信玄などの名将と戦ったことで経験値がドンドン入り、おまけに長命だったことからまわりには敵はいなくなり天下を取った。
この作品の彼もまさに天下人というべき姿をしていた。狸のような恰幅の良い身体、顔のシワ一つ一つも威厳があり、まさにラスボスのような風貌で・・・
「オイ!!作者!!俺はまだ17歳だぞ。なんでこんな爺なんだYO!!」
「ああゴメン、どうしても天下取った後の姿が印象的で・・・どりゃーーー」
松平元康は一気に若返った。今度はどことなく頼りなさそうな顔している青年であり、さっきとは全然似ていない。
「うーんこんなものかな・・・」
ペタペタと自分の顔を擦っていると、襖が開いて若い侍が入ってきた。
「殿、本多正信ただいま北畠家からの使いから戻りました」
「おう、まっていたぞ正信。どうだった北畠家は?」
本多正信は顔を上げた。きらりとした瞳に整えられた顔は美青年と言うに相応しかった。
(しかしなんか俺との顔の大差が半端ないような・・・まあそんな事は今はいいか)
「はっ、北畠家の林秀貞殿と会うことが出来ました。わが方と同盟を結ぶ案は拒否されました・・・」
「まあそうであろうな・・・」
松平元康は溜息をついた。まあ仕方ないことであろう、もともと希望は薄かった。なにせ今川と同盟を組んでいる相手なのだから・・・
「ただ一つ朗報が。あくまで林秀貞殿が独り言として言っておりましたが、今川家の問題にはこちらから介入はしないし頼まれても断ると」
「おお、すなわち三河には攻めないとの事だな。実質的な不可侵状態か」
「ははっ、北畠家も敵対する美濃の斉藤家、そして志摩に侵攻する噂もあります。こちらまで攻める余裕が無いかと。ただ誓詞は出せないとのことなのであくまで部下の口約束だけですが」
「迂闊に誓詞を出してそれが今川に知れたら問題になるからな。危うい約束だが現状ではここまでだな」
本多正信がチラリと松平元康が持っている書状に目をやった。瞬間的に彼はそれが誰から送られてきた物かを察した。
「殿、それはおそらく斉藤家からの書状では。内容はいかに?」
本当にこの男は頭が回ると松平元康は思った。だからこそ傍に置いているのだが。
「流石に目ざといの。ようは斉藤・松平同盟で尾張の北畠を攻めるように促してきた。お主はどう思う?」
「つまり斉藤義龍と北畠具教、どちらを信用するかという事ですな。殿はもう決断されておられるのでしょう」
「さすがだな、正信。たしかに斉藤家の方が旨みはあるが、あの男は'親殺し'だからな。どうせ裏切るに決まっている」
「そうでしょうな。尾張を取れば今度は今川と同盟を組んで三河に攻めかねませんな。斉藤義龍は危険すぎます」
美濃の蝮と恐れられた斉藤道三は、息子の斉藤義龍によって殺された。このことで美濃を制圧した斉藤義龍だったがその弊害も徐々に現れていたのだ。つまり自分の野心の為なら親をも平気で殺す男という評価である。
戦国時代において、主君を裏切るなんて当たり前、兄弟や子供も手をかけることなど多くありその事が大成にはあまり影響ないが、こと親殺しはあまり大成の例がない(作者の主観なんで間違ってる可能性があります)
武田信玄は父信虎を追放したに留まり(息子は殺している)、伊達政宗はあくまで疑惑である。それだけ親殺しは見栄えがよくないのである。あくまで一国だけならともかくそれ以上となると外交に影響するのではないかと作者は思うのである(あくまで作者の主観です)
「その点、北畠具教の方が組みやすいと心得もうす。家格も高いですし、織田家の者も助命いたしました。ようは甘い男と思われます。それに今川家が三河を制圧したら、尾張の支配権を返せと言い出しかねません。よって北畠家の三河侵攻はないと思われまする」
「たしかに俺も背中に斉藤義龍がいたらゾッとするわ。ここは斉藤家には適当な返事をしておこう。もし斉藤義龍が尾張侵攻したら内密に北畠具教の支援も手としてはあるな・・・」
「私もそれで良いと思いまする。とにかく今川氏真を倒すことが我々の命題。これを達成しないうちに皮算用ばかりしていては策士策に溺れるとの故事そのままになりまする」
こうして松平元康達は斉藤家とは組しないとの決断に達した。この判断が正しいか否かはこれからの歴史が証明してくれよう・・・(ようはまだ考えていない)
北畠具教の知らないうちに東側の脅威は去りつつあったのである・・・




