犬姫の苦悩と藤吉郎の高笑い
「ああ・・・城が・・・清洲の城から火の手が・・・」
犬姫の悲しげな声が漏れる。木下藤吉郎に連れられて、市姫と共に清洲城から脱出した途端、城から火が出た。
(しかし悲しんでばかりもいられない・・・帰蝶様の言いつけを守らないと)
本当ならすぐにでも清洲城に引き返したかった。兄、信長との思い出が詰まった場所を捨てたくはない。だが、これも武家の宿命と受け入れなくてはならなかった。
「藤吉郎よここまでご苦労様。さあ政秀寺へ」
「・・・申し訳ありませんが・・・」
犬姫の問いに木下藤吉郎がそう答えると、傍にいた市姫の鳩尾に渾身のパンチを喰らわせた。
「痛っ!!猿めなにをする・・・」
市姫はそう言うのがやっとであった。そしてそのまま倒れこみ失神する。
驚いたのは犬姫であった。なぜ木下藤吉郎がそのような事をするのか理解できなかったからだ。
「なにをするか。まさか裏切るつもりなのか」
「なにをおっしゃいます。これも織田家を思っての事に御座います」(俺の出世の為にお前達を利用するんだよ)
木下藤吉郎はボロボロと涙を流しながら犬姫に語りかける。傍目から見ると涙を流しすぎてかなり胡散臭く見える。
「このまま政秀寺へと逃げてどうなるますか。結局攻められて一族皆殺されてしまいます。そして織田家家臣達も同じ運命を辿るでしょう。ここは私にお任せ下さい」(とにかく大人しく俺と共に北畠に投降しろ)
「だからといって市に手をかけるとは何事」
「市姫様は兄の信長様に似て勝気な性格でございます。投降など反対されるでしょう。その点犬姫様なら私の考えを理解していただけるものかと」(ガタガタ言うなら市を刺すからな)
犬姫は黙っている。この男が言っている事は胡散臭いくて反吐が出る。しかし、市姫を人質に取られている。女一人では何が出来ようか。このままだと市に危害を加える恐れがある。ここは従うしかないか・・・
「・・・分かりました、政秀寺には行かず、そなたに身上を預けましょう」
木下藤吉郎は先ほどまで見せていた涙が一瞬に止まり、これまで見せたことがないような満面の笑みを浮かべる。
「おお、お分かりいただけましたか犬姫様。この木下藤吉郎、命に代えてもお守りいたします」(大嘘!!)
世間の多くのサラリーマンが一度はしたであろうと思われる、心の中で思っている事とまったく正反対の事を言いながら、木下藤吉郎は犬姫の手を引っ張った。これで出世出来ると思いながら・・・
(なんと言う事・・・人という者はさもしいものね・・・)
犬姫はうっすらと涙を浮かべながら、己の宿命の深さを呪うしかなかった・・・
「なんですって!信長殿の妹君らが投降してきたと」
ここは桶狭間で大活躍した北畠具教の娘、雪姫の陣である。本隊である北畠具教の部隊から先行し、露払いとして清洲城に向かっていた。そして清洲城に近づくと、城からは火の手が出ているのに気付いた。
一旦部隊を停止させた時、木下藤吉郎なる者が信長の妹である犬姫、市姫をつれて投降してきたとの報告を受け取った。
「ともかくここに連れてきてください。あとくれぐれも丁重に」
 




