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父と子と

2年ぶりです

「まさか今川家とはおっしゃるまいな……」


武田信玄は押し黙っている。それはまさにその意見を肯定しているかのようだ。


「しかし今川家とは長年の同盟関係があります」


「……今の今川家は弱体よ。最早同盟の意味はないではないか」


「我が家には今川義元様から姫を義信様にいただいておりますが……」


「義元はもう死んだ。義理立てはすんでおる」


「がっ、しかし、義信様は……」


内藤昌豊は、武田信玄の嫡男である武田義信が今川義元の娘を妻に迎えていたことを思い、言葉を詰まらせた。


「義信もいずれわかる時がくる。これも武田家の為だ。しかし義信の動向を常に気にかけなくてはならない。軽挙妄動……くれぐれも抗議の自害などあってはならぬ」


信玄は冷酷に言い放った。父としての情はあるかもしれないが、家の存続のためには非情な決断も厭わない。


「北条家との同盟も破綻しますぞ。三国同盟で、北条と今川も同盟しております!」


山県昌景が立ち上がって強く抗議する。今川家を攻めれば、北条家との関係も悪化し、甲相駿三国同盟が完全に崩壊することは目に見えている。そうなれば、武田家は今川・北条・上杉と敵に囲まれることになる。


「同盟が破綻しても構わぬ。北条と敵対しても海が……海がいるのだ!介入するなら北条を叩いて今川領から追いやるまでよ。それに上杉は北畠に釘付け、問題にならん」


信玄は泰然自若としている。すべては計算済み、という顔だ。


「……では、まずは三河の徳川家康と同盟を結び、今川領の分割を内密に交渉しまするか」


高坂昌信が、今川領を巡る武田・徳川間の密約について切り出した。これこそが信玄の狙いの一つであろう。


「うむ。家康ならば、喜んで応じるであろう。まずは、家康に遠江を、我らは駿河を得る。それが甲斐の海への道となる」


「家康に領地を与えすぎでは?」


「……事が済んだら今度は家康を潰すのだから、結果は同じよ」


武田信玄は、静かに、しかし力強く言った。蠟燭の炎は、信玄の野心に燃える瞳を照らしていた。


「……まかり間違えば、信玄様は戦国大名としての評価を落とすことになりますが……」


馬場信房が、最後に静かに言った。同盟破棄……それも嫡男の妻の実家を攻めるなど、いくら戦国時代においても背信行為と見なされる。


「ふむ……それでも、我らは海を得る。それが、武田家の生きる道よ」


信玄の言葉に、四天王たちは何も言えなかった。彼らは当主の決断に、未来への希望と血の臭いを同時に感じていた。夜の闇は深く、密談は今川家の命運を消え去る方向へと押し進めていった。




暫く後、ここは義信の屋敷。


家主の義信、そして武田義信の傅役である飯富虎昌。その虎昌の実弟である飯富三郎兵衛、側近である長坂源五郎、曽根周防守ら密談していた。


「家中内に今川家成敗の噂が絶えぬ。虎昌、探りのほどはどうだ」


「はっ、あくまで拙者の考えではありますが、ほぼ間違えないかと」


義信は大きくため息をついた。最悪である、自分の父親と嫁の実家が戦争なんて。結婚している人なら分かると思うが、板挟みになる旦那の辛さよ。


「……あなた、どうか今川家と兄氏真をお救い下さいませ。このままでは今川家は……」


義信の傍に控えていた妻である嶺松院。彼女の顔色は明らかに悪い。その怯えた横顔を見るたび、義信の胸は締め付けられる。


「義信様、どうかご自重を。信玄様のやり方は非情かもしれませんが、あの御方に逆らって無事で済んだ者はおりませぬ。それに……我々が御家騒動を起こせば、上杉が北畠と手打ちしこちらに攻め込む好機を与えてしまうことになります!」


飯富虎昌が声を潜めて進言した。彼とて信玄のやり方が気に入らないが、御家の存続を最優先に考えている。


しかし、義信の決意は固かった。父である信玄は、色々理屈をつけているが結局は権力掌握の為に父親を甲斐から追い出している。ようは実力で義を捻じ曲げる。


「父上は年々頑固になってなかなか言う事を聞かなくなっている。言ってきかぬなら……」


飯富三郎兵衛が慌てる。


「前々から口にされていましたがまさか本気で事を起こす気ではあるまいな」


「そうだ。父は言った。『義元はもう死んだ。義理立てはすんでおる』と。血の通わぬ言葉だ!長年の同盟を破り、親族の契りを蔑ろにする。それが武田家の誉れとなるか!?」


「確かに感情で分かりますが、ここは武田家の為にご自重下さいませ」


「武田家の為に言っている。同盟を私利私欲の為に破棄して今川家を取ってどうなる。たしかに今なら駿河は取れよう、しかし北条とは決定的に関係は悪くなる。上杉と北畠が首尾よく争えばいいが手打ちになればこっちに襲い掛かってくる」


「しかし家中ではすでに信玄様の意向に従うとの事。もはやどうにもなりませぬ」


「父は利で動くが俺は義で動く!義こそ武田家の生きる道だ。今川家を助け三国同盟を強化し、上杉や北畠へと向かうのだ」


「……つまり父信玄様に戦いを挑むのですな」


義信が黙ってうなずく。その眼差しには、もはや迷いはなかったが、父への悲しみも滲んでいた。


「飯富虎昌、御意!義信様と共に戦いまする」


長坂源五郎、曽根周防守も次々に口を開く。


「我らも同意。義信様に従いまする」


そんな中、飯富三郎兵衛が刀を手にもち素早く嶺松院を取り押さえる。


「貴様、何のつもりか。我らを裏切るつもりか」


「兄上、申し訳ありませぬ。ですが、武田家を二分するのは大罪です。駿河侵攻こそが武田家をより大きく強くする道。信玄様の非情さこそが、この乱世で生き残る術!」


長坂源五郎が動こうとした時に怒声が飛ぶ。


「動くな!静まれ!」


屋敷の周りから、地を這うような低い声と無数の足音が近づいてくる。


「前々から義信様の動向を信玄様には逐一報告済み。もはや諦めなされ、手向かえなければ嶺松院殿のお命は助けよう。下手に動けば命はないぞ」


「ぐぬぬ無念!!」


虎昌が血を吐くような声を上げる。


「義信様は人が良すぎる。平時ではよいが乱世ではな」


こうして武田家の親今川勢力は一掃され、上杉対北畠、武田対今川の戦いの火ぶたが切って落とされたのである。


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