決断4
さてしばらく後のここは美濃の国、稲葉山城。まだ寒い日が続き、城にも雪が積もっている。
城の大広間の上座に座る斎藤義龍に、家臣である稲葉一徹が、北畠家との交渉について報告していた。
「……すると大した要求もなく和睦に応じるとな……奇怪な話だ」
「はっ、某も一部領地割譲も覚悟しておりましたが、管理大変だからいらないと北畠具教殿はもうしておるようで・・・」
「無条件で和睦に応じたら、旧織田家家臣などが黙ってはおるまい」
「それが北畠具教殿の性格がなせる業というかなんというか、思っている以上に尾張はまとまっております。雪姫殿も和睦は早いほうが良いと言っており、このまま手打ちになりそうですが……」
斎藤義龍はしばし思案にくれる。そんな上手い話がこの世にあるであろうか?
「のう稲葉……男に生まれた以上立身出世を目指さない者がおるか」
「はっ、およそ考えにくいですがそのような者もいるかと」
「本当に裏はないのか。よく情勢を調べたうえで言っておるのだな」
「はっ、御意にございます」
斎藤義龍の闇は深い、深すぎる。父である斎藤道三は一代で主君を追い出し美濃を分捕った。それはそれは多くの血と裏切りの果てに……
その謀略家の斎藤道三を、それを上回る知恵謀略で遂には長良川の戦いにおいて破り、その命を取った。目障りな自分の弟である斎藤孫四郎、斎藤喜平次も殺し、そして道三寄りの家臣も粛清した。
親子二代に渡る裏切りと撲殺……肉親を次々自分の野心の為に殺してきた斎藤義龍にとっては、北畠具教の考えが全く読めないでいる。
読者の皆さんは分かっていると思いますが、主人公の北畠具教は戦は好きではないし、兎に角平々凡々と落ち着いた生活をしたいだけである。まあそう言いながら戦ばかり続いていますが……
素直に手を差し伸べているだけの北畠具教なのだが、それを斎藤義龍は信じられないのだ。
(なんだ何を考えているのだ。まったく分からん。必ず裏があるはずだ……)
裏などないので絶対に答えは出ないのだが、それでも斎藤義龍は必死に考える……そうして生きてきたのだから。しかしその心労は確実に斎藤義龍の体を蝕んでいく。
(くっ……考えれば考えるほど胸が苦しい……俺ももう命が持たぬかもしれん、ここはこのまま和睦しかない……)
稀代の策略家である斎藤義龍も病には勝てない。おまけにこの負け戦による心労でますます病状は悪くなっていた。しかしそれを家臣に知られてはならない。
(このままだと俺が死んだら、必ずこいつらは息子龍興に謀反をおこすに決まっている。それまでになんとしても足場を固めなくては……)
「稲葉……北畠家に対してはこのまま話を進める。問題は内側よ。主だった家臣達に異心無き事を誓詞にまとめ提出させよ。人質もだせ」
「はっ、心得ました」
稲葉一徹は神妙な顔でその命令を聞いていたが内心は複雑である。
(どうも義龍様の様子がおかしい様な……しかし下手なことを言って粛清されてはたまらん)
下の者がけっこうズバズバと北畠具教にモノを言う北畠家と違って、斎藤義龍は家臣達から恐れられていた。無理もない、野心の為ならどんな手でも使うのだから、もし少しでも疑われたら殺されかねないのだ。
まだ日比野や不破、竹中達がいる頃は風通しも良かったが、この度の敗戦の責を取らされ軒並み失脚。息子斎藤龍興も謹慎中でその側近斎藤飛騨守も連座して謹慎中である。
そこで対浅井家の備えとして、大垣城で遊軍として待機しており大した被害もなかった西美濃三人衆……稲葉良通、安藤守就、氏家直元がスライド的に斎藤家のナンバー2になったのだが、いまだ権力基盤は強くなく内部は固まっていなかった。折角手に入れたナンバー2のポジションを、下手なことを言って手放したくないのが本音である。
それは言ってみれば斎藤家という組織が崩壊を始める切っ掛けとなっていく……
「……それはそうと殿、ご子息斎藤龍興様から赦免願いが届いておりますが、いかがいたしましょう」
「まだ早い!!しばらく謹慎しておれと申せ。あとこの度の事が落ち着いたら、間抜けな指揮した飛騨守は処分しなくてはならん。あんなのが龍興の側近ではなんともならん」
あまりに早く龍興が復帰すると、処分された日比野らに近い勢力が反発し、家中の統制が取れなくなるのを義龍は恐れていた。兎に角、威厳がある主君義龍としてこの難局を乗り気なくてはならないと……
しかし策略家という者は、裏を返せば疑心暗鬼の塊であり、その疑心暗鬼が結果的に斎藤家に止めを刺してしまうのである……




