松平元康からの使者
尾張の国にある鳴海城。北畠家において対三河方面の最重要防衛拠点である。ここの城主は今川家の岡部元信が任されていたいたが、桶狭間の戦い以降、北畠勢の森可成に代わっていた。そして彼は手勢を率いこの城に戻ってきた。
「ふう、やっと落ち着くわい」
「森様、松平元康から使者が参っておりまする」
しかし腰を温める間もなく、一人の若くイケメンな来訪者が来たのである。
「まずは北畠家の大勝利おめでとうございます。当家も北畠家勝利を確信しておりました」
「ふん、隙あらば攻め込むつもりであっただろう」
「ふふこれを手厳しい・・・」
三河の松平元康から使者として現れたのは、本多正信。彼は後には江戸幕府の重臣となり、もうそれは策謀しまくりだったらしい。
「・・・さて本題に入りますが、我ら松平家は北畠家に歯向かうつもりは毛頭御座いません。どうでしょう、組みませんか?」
「そんな事、一武将である俺が決める事は出来ぬ。第一、我らは今川家と同盟関係にある」
「それはあくまで対織田家あってばこそ。情勢は変わりつつあります。その辺りは森殿とてご承知のはず」
「つまり俺から北畠具教様に話せと申すか。話してはやるが力にはなれんぞ」
鳴海城を任されてから、対三河の最前線にいる森可成は松平勢がまとまっている空気を感じていた。幾つもの激戦をくぐり抜けてきた彼の嗅覚は、松平元康侮りがたしという印象を持っていた。
そしてしばらく沈黙の時間が流れた後、こう本多正信が切り出す。
「どうでしょう、雪姫様を我が殿、松平元康に縁組させてもらえないでしょうか」
「ばかなことを。それこそ無理な話だ。それに松平元康殿はもう正室を迎えているであろう」
松平元康は弘治3年(1557年)に今川義元の妹?を結婚している。既に嫡男竹千代 (後の松平信康)を出産。今は駿河の駿府城にいるのだが・・・
「我ら松平勢は、今川家との決戦を覚悟しております。最早今川家の嫁など足枷にしかなりません・・・」
「今の嫁を捨てると申すか・・・乱世とはいえ世知辛いな・・・」
森可成は色々と考えないといけなくなった。
(つまりは今川家と松平家。どちらを取るかという話だな・・・戦上手は松平元康だが)
松平元康は、桶狭間の戦いにおいて今川義元側で参戦。丸根砦を陥落させ佐久間盛重を討ち取る武功をあげている。その武勇は北畠家において知らぬ者はいない。
それに比べ、今川氏真は家中の統制をとるのに苦労しており、桶狭間の戦いから半年もたっても、未だ三河の松平元康討伐の兵を動かしていないという事実がある。
単純に両者の器量なら松平元康が優れるのだが、まあ話はそんなに簡単でもない。
(今川家は武田・北条と三国同盟を結んでいる。今川家と揉めると武田・北条が介入してくる可能性がある)
下手をすると、北畠・松平対今川・北条・武田との争いになりかねない。そうなれば泥沼の抗争になり、国力の疲弊は避けなれないであろう。
(だがもし断れば松平元康が・・・武田あたりと組みかねないのではないか・・・)
そもそも今川・武田・北条の三国同盟は、お互いの力関係が同等であるから成立している部分がある。それが今川義元が亡くなり、バランスが崩れた。そうなると弱った今川助けるより、逆に喰ってしまえばいいと思うかねない。
海に面していない武田家にとって、駿河遠江は地政学的にもどうしても抑えておかなくてはならない要所である。北条にしても以前は何度も今川家を攻めており、虎視眈々と動く恐れがある。
(このまま今川家と組んでいると、今度は松平家が武田家と組んでともに駿河に攻めかねない。弱体化した今川家では支えきれまい。そして次は我ら北畠家に・・・)
色々思案を続けていた森可成だが・・・
(つまりああなって、こうなって、こうなると・・・うおおおおわからん!!)
もともと戦働きが得意な森可成にとってこうした外交工作などは苦手である。というか分からない。ただ下手に返事をしては不味いという事は分かる。
「・・・話は分かった・・・決断は殿がする」
「ぜひとも良い返事を」
本多正信が深々と頭を下げた。彼にとってもすぐに良い返事がくるとは思っていない。
(北畠家と今川家の関係に楔を打つ。悩め、もっと悩むのだ。そうすれば時間が稼げる・・・)
松平元康にとって最悪のシナリオが今すぐ今川と北畠家に挟撃されることだ。そんな事になればひとたまりもない。特に北畠勢は強力である。
結局、森可成は休む暇なく清州城に向かうのであった・・・




