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周辺国の思い

仕事で更新遅くなって申し訳ございません。


さて場面は変わり、今度は三河、岡崎城。桶狭間の戦いのどさくさに紛れて松平元康が三河の支配権を握り、今川家から独立を果たしている。


「・・・話とはなんだ、正信」


ちょっとぽっちゃりとした男がやたら無意味にイケメンな男に話しかけている。ぽっちゃりとしたまだ若い男が松平元康。イケメンが本多正信である。


本多正信は、天文7年 (1538年)、本多俊正の次男として三河国で生まれる。はじめ鷹匠として徳川家康に仕えたらしい。桶狭間の戦いにも従軍し丸根砦攻めで功があった。関ケ原から大坂の陣の動きを見ると知将、権謀術数の達人のイメージ。


「北畠具教殿が斉藤勢を押し返したとの事。ここは我らも身の振りを考えなくてはなりませんな」


「北畠具教殿は我らの宿敵今川家と同盟関係にある。普通ならこのままだと我らは絶望の挟み撃ちになりかねんところだが・・・」


「殿・・・たしかに事はそう単純ではありませんな。そもそも北畠具教殿は我らに生き残ってほしいと思っている節があります。もし今川家と北畠家で三河を取ってた所で、北畠具教殿にたいしてうまみがありませんので」


「確かにな・・・今川家は三河を支配権は手放さないだろう。そうなると参戦の意味どころか、今度は尾張の支配権で揉めるだろうしな」


「流石は殿、そこまで見ていましたか。尾張はもともと今川義元が攻めたので、あくまでどれだけ功があろうと北畠家はそれに従ったという位置づけ。それにどうも一旦尾張を預かるやら何かの妥協があったの事。今川家が三河の旧領復活したならば必ず両家は戦になりましょう」


「それを防ぎためには我ら三河勢が尾張に攻めず、死ぬまで今川家と抵抗しているのが北畠具教殿にとっては有難いわけか・・・思ったより腹黒い・・・」


我らの主人公、北畠具教は戦後のバタバタやらなんやかんやでそこまで手が回っていなかっただけのような気もするが、まあこの二人がそう考えてるならそうなんだろう (いい加減)


まあ対三河方面は森可成やら佐久間信盛らが鳴海城に構えてはいたが、彼らとて侵攻は許されてはいなかったので警戒しているだけである。あくまで主戦場は対斉藤家。これが結果的に三河松平家に幸いした。


「一応私は林秀貞殿から不可侵との言は貰っていますが、あくまで口約束にすぎません。今後は対今川の為にも北畠具教殿にもっと接近しなくては。いっそあの有名な雪姫殿が我が松平家に来ていただければ・・・」


「おい俺には正室の瀬名がいるのだぞ・・・」


松平元康は弘治3年 (1557年)に今川義元の姪の瀬名 (築山殿)を正室として迎えていた。この時点 (1560年の年末)においては駿河の国に住んでいる。


「今更今川家の娘などどうでも良いかと。まあ雪姫殿はそれでも来ないとは思いますが」


「来ないなら言うなよ!!」


「それでもなにがあるか分からないのが戦国の常。一応工作はいたします。ともあれ北畠家との連携は模索しなくては・・・」


史実では織田信長と連携し、今川家と対抗していった松平元康。その信長がいないこの作品においてはその代わりに北畠具教との連携を目指していくことになっていく・・・


果たして彼らは上手く北畠具教と連携を結び、今川と対抗できるのか。それとも「別のなにか」とつながっていくのか・・・その答えという未来はまだ見えないのである・・・ (作者が考えていないとも言う)




さて (何回さてって言ってるんだろう・・・) 今度はその駿河の今川家。今川義元が亡くなった今、嫡男の今川氏真が後を継いでいたのだが・・・


一人の武将が城の庭で怒りの声をあげている。


「ですから殿、蹴鞠ばかりしてないでください!!」


「分かんない奴だな・・・これはサッカーだぞ、静岡はサッカーの街だからな」


「時代設定が滅茶苦茶ですぞ!!殿!!」


やたら色白で痩せているこの若い男こそが今川氏真である。


今川氏真の評価は芳しくないが、なんだかんだとあの戦国の乱世を掻い潜り、最終的には徳川家康の庇護で江戸に屋敷まで与えられている所を考えると、まあ大名としては問題はあったけど世渡り上手だったのかと。あと公家衆に顔が効くのも後々今川家にとって幸いとなっている。


孫の今川直房は高家として徳川家から信頼されているし、官位も左近衛少将まで昇っている。これも公家衆との対応が上手くいったためだしね。


まあそれはともかく、この今川氏真の話に戻ろう。


「なにせ我が愛する清水エ○パルスもJ1に戻って嬉しい限り」


「この作者グ○ンパス好きなんですよ・・・そんな発言したらなにされるか・・・ああそんな事より、殿!!北畠具教殿になんてこと言ったんですか!!」


「何って??斉藤家の戦に勝ったお祝いの使者を送っただけだよ」


「それは良いんですよ!!それよりご子息雪姫殿を我が家に迎えたいとか何考えてるんですか!!」


この怒り狂っている人物は、朝比奈泰朝。今川家の重臣で桶狭間でも活躍している。なんとか今川家を立て直したいと思っていたのだが・・・


「いやさー、その戦いで井伊直盛が死んじゃったじゃん。直親が継いだとけど、あいつと仲悪いし・・・」


井伊直盛は義元の配下で活躍。だが武運尽きたか桶狭間で戦死。史実だと1562年に跡を継いだ直親は今川氏真に殺されている。讒言があったらしいが、やっぱり仲は悪かったと考えるのが普通かな。ってか攻めたのはこの朝比奈泰朝だけどね。


「それと雪姫殿とどういう関係が!!」


「だから雪姫ちゃんを井伊家に入れて、家を継がせてあげようかなと。名前も決めてあるんだ井伊直虎にしようと。ほらこの作品も大河の波に乗らないと」


「そんな余計な事考えないで下さいよ!!こんな無礼な話向こうがなんと言うか!!」


「だから五万石ほど付けるからどうかと言ったんだけど」


「ごっ五万石!!雪姫殿にそんなに!!ああ家が潰れる・・・ともあれ寿桂尼様に報告しなくては」


寿桂尼は今川氏親の正室。藤原北家、勧修寺流の出身で、父は権大納言中御門宣胤。氏親、氏輝、義元、氏真の四代に渡って今川氏の政務を補佐し「尼御台」と言われるほど名を残した。


この朝比奈泰朝が生きている間は、なんとか今川家は持ちこたえていたが、1568年に亡くなると半年もたたぬうちに武田が攻めてきて、今川家は没落する。逆に言えば、寿桂尼が居るうちはあの武田信玄でさえ手は出せなかったのだから、よっぽどである。ぜひ大河の主役に・・・


(対三河ある以上、北畠家が松平についたらとんでもない事になる。ここは急いでなんとかせねば)


「そんなに悪い事かな、この話。雪姫ちゃんってかわいい姫武将みたいだし、いいじゃんいいじゃん!」


「あんたそれが狙いか!!」


朝比奈泰朝はクラクラする頭を抱えた。もともと坊ちゃん気質ではあったがここまでとは・・・だが嘆いていてもどうしようもない。


「ともあれ、拙者が尾張に直ちに向かいます。頼みますから殿は何もしないで下さい!!」


朝比奈泰朝は慌てて城から飛び出し、寿桂尼の元へ向かう。対応案を考えてから、尾張に向かう事になろう。


こうして、斉藤、六角、浅井、十河、松平、今川と各家入り乱れての外交戦が始まっていくのだが、この事態をまだ北畠具教も雪姫も知らないのであった・・・

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