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六月のラステイル  作者: ふかれん
6/8

 まだあどけないその少女はカーテンの隙間から窓の外を見つめて呟いた。


風が庭のイチイの木を揺らして音を立てた。


外の暗闇を見つめる少女は泣きはらしたような赤い目をしていた。


その瞳には深い悲しみが映し出され、幼いその少女を年齢より大人びてみせていた。


「霧…」


 窓の外の暗闇に、薄い靄がかかっていた。


 その霧を見つけると、少女は瑠璃色の長い髪を束ね急いで部屋を出た。


 その古い農家の床は少女が駆け出すとギシギシ音を立てた。


「おじいちゃん、霧が出てる」


 薄暗いランプの火で照らされたその部屋で、老人は作業の手を止めて少女を振り返った。


「鐘の音はなったか?」


少女は頭を振って言った。


「今夜は私に押させて」


そう言うと少女は老人が作業していた机の側に近づき、柱の上の方に付けられた丸いボタンを押そうと机の上にのぼった。


プラスティックでできたその丸いボタンは黄色に変色していたが、まだしばらくは壊れそうにはなかった。少女は目を閉じボタンを押し十秒数えた。ボタンは古い蓄電器と屋根のスピーカーに繋がれていた。蓄電池には昼間に少女が自転車のダイナモで貯めた電気が詰まっている。今では貴重なバッテリーでこの家で唯一の電源だった。


 古いその木造の家の屋根にくくり付けられたスピーカーからサイレンの音が響いた。少女は十秒間ボタンを押した後、五秒手を離しまた十秒間ボタンを押した。


 暗闇の小さな村にサイレンが鳴り響いた、霧が出てきたことを知らせるサイレン。その音を聞くと村人は皆家の中に入り厳重に扉や窓を閉める。今夜は老人と少女がサイレンを鳴らしたが、村の家々には鐘やスピーカーが同じように備え付けてあり、最初に霧を見かけた家が鐘やサイレンで知らせる決まりになっていた。


 老人が古いシーツを丸め、外へと続く木の扉の下にそのシーツを詰め込んだ。


 「窓は閉めたか?リリア」


 「うん、この前貼ったテープもそのままだから大丈夫」


ランプの明かりに照らし出された老人の顔には深い皺が刻まれていた。右目の下の古い傷が彼の顔をいかめしく見せてはいたが少女を見つめるその目は深い悲しみに満ちていた。


 「もう休みなさい、リリア、明日からは長い旅になるのだろうから」


リリアは老人をみつめて答える。


 「どうしても、いかなきゃ駄目なの?おじいちゃん」


老人はリリアの頬に手を当て言う。


 「何度も言ったはずだ、この村では長くは生きられない」


 「私はどこに行くの」


 「西の方の何処か、お前を買ってくれる家に」 


 「ここを離れたくない」


 「駄目だ、お前の両親も霧が原因で死んだ、お前もここに居たらいずれ死ぬことになる」


老人が言う。


 「心配ない、西のほうでは子供の生まれない町があるそうだ、そこできっと優しい夫婦が、お前を買ってくれるはずだ」


 「でも、私はもう…」


リリアはうつむいて答えた。


 「そんなことを言うんじゃない、西に行けは必ず良くなるはずだ」


そう言うと老人はリリアを抱きしめた。


 霧だ、この村では子供や若者は次々死んでいく、すべては霧が原因なんだ。老人はリリアを腕の中で抱きしめながら考えていた。霧は長い時間をかけ体を蝕んでいく、あの戦争のあと生まれた子供たちは皆生まれつき身体が弱く、この子の親も結局肺を病んで死んでしまった。戦争前から生きている老人たちのほうがいくらかは耐性があるようだ。いくら霧の夜に戸締りを念入りにしても霧はあらゆる家の隙間から入ってくる。空中で薄められ毒性は低くなり即死することはないが、長年吸い続けると肺をやられ、やがてやせ細り黒い血を吐いて死ぬ。この子の親、わしの息子のように。


 リリアは老人の腕の中で咳き込んでいた。


 リリアもこの村に居てはやがて死ぬ。老人は強くリリアを抱きしめた。


 西から来た人買い達の話は完全には信用できないが、ここにいて死ぬよりはマシな人生をこの娘に与えてくれるのかもしれない、それに賭けるしかないのだ。


 「私、おじいちゃんと暮らしていたい」


 彼女は老人の腕の中で言った。


 「一緒に西にいこう、二人で西に」


腕の中でリリアが震えていた、老人は彼女の顔を見つめて答えた。


 「だめだリリア、わしにはしなきゃならんことがある」


 リは目に涙を浮かべて老人の顔を見つめた。


 「谷に下りるの」


 「あれは谷じゃない、塹壕だ」


 「あそこに降りて、生きて帰った者はいないっていつも言ってたじゃない」リリア


 「ああ、だがわしらは防護服を作った、こいつがあれば平気だ」


 「ガスを止めるの?毒のガスを」


 「そうだ、四十年この村を苦しめていたあのガスを止めなきゃならん」


 「あの毒ガスが止まるなら、西には行かず私ここでおじいちゃんと暮らしたい」


 「それは…駄目だ」


 リリアは老人の目を見つめた、悲しみと強い意志が感じられる目を。


 「おじいちゃん…死ぬの?」


 「そんなことはない」


 老人はリリアをもう一度抱きしめそして言った。


 「さあ、明日は早いもう寝なさい」


 彼女はうなずき十二年間ずっと見てきた老人の作業場をあとにした。


 おじいちゃんは死ぬ気だ、老人が作った粗末な防護服ではおじいちゃんの命を完全に守ることはできないだろう、それぐらいは彼女にも解っていた。おじいさんが死んだらリリアは孤児となる、この村で孤児が生きて行けるはずがない。だから私は人買いに買われに西いかなきゃならない。


窓の外では薄暗い月明かりに霧が照らされていた。


風が窓をたたいた、リリアは自分の部屋を見わたし、明日持っていく小さな荷物を抱きかかえた。


 リリアを助けてくれる神様はこの村には居ないのだ。


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