彼のオネェ?事情
「瞬! 休みだからっていつまでも寝てんな!!」
「いってぇ!!」
「今日から練習行くんだろ! さっさと起きて朝飯食え!」
「蹴んなよ! 怪我したら野球できなくなるだろ!!」
「嫌なら起こされる前に起きろ!!」
隣家から微かだが聞こえてくる怒鳴り合い。片方はまだ幼さの残る少年の声。そしてもう一つはとても低くドスの利いた声。
一瞬男性のものかとも思えるぐらい低いが、晃臣はこの声の主を知っている。
「相変わらず元気ね、雨宮さん」
すでに朝食を終え手芸雑誌を読んでいた晃臣は、雨宮家から聞こえてくる姉弟喧嘩に苦笑した。今日は梅雨の晴れ間。久しぶりに窓を開けていれば微かに彼女たちの騒がしくも微笑ましい会話は聞こえてくる。
少し前に隣に越してきた雨宮家は父親に娘と息子が一人ずつ。母親は幼い時に亡くなったのだと後で結衣から聞いた。
彼らの引っ越しは突然だった。何やら家を見に来た人がいるなと思っていたら、その一週間後には荷物が運び込まれていたのだ。最初に挨拶に来られた時、晃臣は部活でいなかったのだが帰り際に結衣の父親に出会った。彼は真面目で優しそうな人で、よく姉弟の喧嘩を仲裁している声も聞こえる。
弟の瞬に会ったのは姉の結衣を初めて知ったその日の夕方だ。その時は晃臣の本性が結衣にバレたこと、さらに結衣の隠していた素も見た衝撃で瞬のことは頭から抜け落ちていたのだが、次の日玄関先でばったり会った時には強く睨まれ――
『あんま姉貴に近づくなよ、オカマ!!』
などと忠告された。
「アレは最近話題のツンデレよね」
普段はずいぶんと結衣に反抗的なようだが、実際は母親代わりにもなっている彼女にとても懐いているのだろう。晃臣を睨みつけてきた瞬はさながらお姫様を守ろうとする小さな騎士だろうか。
「まあ、守られてくれる大人しいお姫様じゃないけど」
頭の中に同じクラスになった彼女の顔が浮かぶ。
雨宮結衣。
晃臣と同じく高校一年生。少女と女性の中間にいるような年齢の彼女は、目がパッチリしていて可愛らしい顔つきだ。肌も極端な色白ではないが健康的な白さをしており、少しこげ茶色をした髪は真っ直ぐながら柔らかそうだった。
第一印象は『イメージモデルゲットォ!!』だった晃臣。結衣の外見は晃臣が理想とする女の子で、彼女をモデルにすればたくさんの素晴らしい作品が生まれると内心狂喜乱舞していた。
もちろん本性を知られるわけにはいかないため、もう一人の自分である〈優等生の須田君〉のまま観察させてもらおうと思っていたのだが――
「その日にバレるってあり得ないわよね……」
少なくとも十年近く家族以外は誰にも知られなかった晃臣の趣味や本性。それが出会って数時間後に全て見られてしまったのだ。
あの日から一週間は生きた心地がしなかった。いつクラスメイト達に話されるのか、いつ弱みを握ったからと無理難題を押し付けてくるか戦々恐々としていた。
相手が動く前にこちらのペースに巻き込んでしまえと、必死に〈須田君〉で対応していたが、結衣の疑うような探るような目線はヒシヒシと伝わってきていた。あの時は彼女も、晃臣に知られてしまった本性をいつバラされるかとこちらを警戒していたらしい。
「でもまあ、考え方を変えれば良かったわ」
手元の雑誌をめくりながら結衣に似合うデザインを探す晃臣。
クラスは一緒。家は隣。〈理想の女の子〉を目指す彼女と、〈理想の女の子〉をイメージして作品を作りたい乙女趣味の晃臣。しかも二人とも周りには言えない性格を隠しており、お互いはそれを知っている。
それに、あの時はいつも晃臣の話など無視している姉の小夜子がキレて外に放り投げるという行動をとった。そのおかげで結衣と親しくなったわけで。
「こういうの運命って言うのかしら!」
結衣に合うと思ったページに次々と付箋を貼りながら、晃臣は高揚してくる気分を止められなかった。
イメージモデルが見つかったことが嬉しい。だがそれ以上に、晃臣の本性を知っても普通に接してくれる存在に出会えたことが何より嬉しかった。
晃臣も生まれた時から女言葉を話していたわけではない。そしてこれが一番大事なことだが、〈女の子の仲間〉にはなりたいが、決して〈女の子になる〉ことを望んでいるわけではない。
「そのあたり、雨宮さんは勘違いしてるような気もするけど……」
時々、なんとなく生温かい眼差しを向けられている瞬間があると思うのだ。
晃臣は小さく息をつくと、本棚からアルバムを取り出した。母親が定期的にまとめて小夜子と晃臣の分を作ってくれている。
おそらく四歳の頃の写真だと思われる一枚。女の子が着る少しヒラヒラした黄色のワンピースを身に着け、後ろから笑わすためか小夜子に頬を引っ張られている晃臣の写真だ。
この頃から男の子が好きそうなおもちゃよりも、女の子が好きそうな人形などの方が好きだった。人形に可愛い服をたくさん着せ替えたり、色とりどりのビーズを繋げて綺麗なネックレスを作ったりすることも興味があった。
ただ幼稚園ではそんなことに興味があっても女の子は仲間に入れてくれないし、男の子たちはヒーローごっこなどをするのが好きで女の子の遊びを馬鹿にする子もいた。
晃臣もヒーロー物や戦隊物が嫌いなわけではない。敵を倒す姿は格好よく、困った人を颯爽と助ける姿に憧れてはいたのだ。けれど、それを自分でやるかと言えば別である。
子供故かごっこ遊びも熱が入るとかなり激しく乱暴だ。そこに混ざろうという気にはなれず、けれど女の子と同じ遊びをしたいと言えばからかわれたり仲間外れにされることも幼心に分かっていた。そのため、小さい晃臣はもっぱら本を読んだりする大人しい子というスタンスをとっていた。
けれどこの写真の日、小夜子に無理やり女の子の服を着せられ、女言葉を話すように言われ、さらに小夜子が貰っていたおもちゃを『使わないから好きにすれば』と押し付けられた。
母親は『あら可愛いわね~』と微笑みながら写真を撮るし、父親もその時は悪ふざけする小夜子を嗜めながら苦笑して晃臣を見ていたのだ。
だからこそ幼い晃臣は思った。
『あ、家でなら好きなことやっても怒られないんだ』と。
今思い返せば姉の行動は軽いイジメで、女の子のようなことをしていても怒られなかったのはまだ小さい子供だったからだ。
現にある程度大きくなっても女言葉を話し、女の子らしいものに興味や趣味を持っている晃臣を父親は何度も叱りつけてくるし厳しい目で見ている。
「別に大きな迷惑かけてないから良いか、と開き直ったわたしも悪いんだけどね……」
外では父親の望む優等生で、男らしいかと言われれば分からないが決して女々しい部分は見せないように振る舞っている。体面は傷つけないように頑張っているのだから、せめて家の中だけは自分の好きなことをやらせて欲しいと思う。
「この口調はもう癖のようなものだしね~」
無理やり言わせられた時はあまり馴染まなかったのだが、可愛いものを扱う時に男の口調がどうもしっくりこない時があった。ためしに女口調で話すとピタッと嵌ったため、素の自分の出す時はこちらの口調にいつの間にかなっていた。
同じ理由で晃臣は女の子のアクセサリーや服を作っても自分では身に着けない。どう角度を変えても似合わないからだ。部屋の中も制作した物はあっても女の子らしい部屋とは言えない。晃臣の見た目に合う物で落ち着いた雰囲気にしている。
「可愛い物はそれに見合う子がつけてこそ輝くのよ! わたしがつけたって何の意味もないわ!!」
これが晃臣の信条である。
晃臣は可愛い物が好きだ。女の子らしいものが好きだ。だがそれ以上に、似合うものを身に着けてキラキラしている人を見るのが好きだ。それを突き詰めていったことで、自分が世間一般の男から外れていることは分かっている。そう簡単に受け入れてもらえるものでもないし、後ろ指を指されるのも嫌でこのような生活をする破目になっている。
それでも止めるという気は起きなかった。きっと本当の意味で〈友達〉と呼べる存在はなかなかできないだろうな、と少し寂しい思いもしていた。
そんな日常に現れたのが、結衣だ。
「アレは本当に衝撃的だったわ……」
弟の首を締め上ながら怒声をあげ言葉にし難い表情をしていた結衣。自分の本性がバレたことも衝撃的だったが、合わせて美少女転校生と騒がれた結衣の真の姿もかなり衝撃的だった。
晃臣が作品のイメージモデルとして使いたいぐらいの美少女が、そこらの不良など逃げ出してしまいそうなぐらい腹に響く声と表情をしていたのだから。
けれど結衣は晃臣を拒絶しなかった。同じように驚いてはいたけれど、『気持ち悪いとは思わない』と言ってくれた。
「それに、一番嬉しかったのは〈どっちも〉違和感ないって言ってくれたことよね」
結衣は素の晃臣も、学校にいた〈須田君〉も無理やり演じている感じはしなかったと言ってくれた。その言葉が、宙ぶらりんな位置にいる晃臣そのものを見てくれた気がしたのだ。
「女の子になりたいわけじゃない。でも、女の子が身に着けてる物や持っている物が可愛いと思うし、興味がある。けれど自分でつけたいと思うわけでもない……。ほんと、中途半端よね……」
突き抜けていればそれはそれで悩んだかもしれないが、晃臣は自分がどこにも入れない微妙な位置にいることを時々無性に不安に思う。
あの時結衣は、その不安を少し吹き飛ばしてくれたのだ。
「おはようございます!」
「あら、おはよう。買い物に行くの?」
「はい!」
「偉いわね。今日はお野菜が比較的安かったわよ」
「ホントですか!? 良いのが売切れる前に行ってきます!」
声につられて見れば、結衣が近所の主婦と話し元気よく買い物に行くところだった。軽やかな足取りで駆けていく結衣を見送りながら、晃臣は『よし!』と意気込んで机に向かう。
「約束は果たさなくちゃね」
* * * * *
朝の登校時。だいたい同じ時間に出る晃臣と結衣は鉢合わせすることが多い。会って別々に行くというのもおかしいので、そのまま一緒に登校するのはもはや当たり前になっている。そして、同じ時間で違う方向に行く瞬に睨まれるのもすでに日常だ。
「おいオカマ。お前、同じ時間に出てくんなって言ったろ!」
「何度も言うけど、わたしオカマじゃないわよ。それにずっとこの時間に出ていたし」
「説得力ねぇよ! とにかく姉貴と同じ時間に……いってぇ!」
「馬鹿言ってないでさっさと行け。遅刻するぞ、瞬」
「チッ!」
美少年に似合わぬ舌打ちをして、瞬は小学校へと向かっていく。晃臣に会うのが嫌なら彼が時間をずらせば済むことなのだが、やはり結衣と一緒にいることが気に食わないのだろう。
「ほんと、ちっさなナイト様よね~」
「いや須田さん、うちの弟を乙女世界に巻き込むなよ。顔は良いがすごい生意気だぞ」
「その生意気が頑張ってるとこが可愛いじゃない」
「そ、そうか……?」
姉が大好きなのにそれを隠している。けれど姉に不審人物が近づくのを何とか阻止しようと小さい体で頑張っている。物語でいえばこれから成長していく騎士見習いだ。
結衣はよく分からないのか、少し頬が引きつっているけれど。
「あ、そうだ雨宮さん。はいこれ」
「ん?」
晃臣は結衣の目の前に昨日作った物をかざした。反射的に出された彼女の手にポトリと二本のヘアゴムが収まる。
一つは黄色と緑のビーズで作った花。もう一つは青と白のビーズで作った小さい玉飾りがあしらってある。
「昨日急いで作ったから簡単な物で悪いんだけど。これぐらいなら校則で引っかけられることもないと思うわ」
「え、これ昨日だけで作ったの!?」
「慣れれば簡単なのよ。最近暑くなってきたし髪しばるかなと思って。それに、雨宮さんに似合う物作るって約束してたしね」
ポカンとした表情でヘアゴムと晃臣を見比べていた結衣は、次第に目線が慌ただしくなった。そして急いで髪をまとめると、晃臣の作ったゴムで留める。
「ど、どう?」
「似合ってるわよ。そういう飾りがちょっとあると女の子らしいわよね」
「そ、そっか。うん……ありがとう」
照れているのか、結衣は少し視線をずらしたまま言った。緩んだ口元がはにかんだ表情を作っていてとても可愛らしい。元が美少女なので当然だが、素を知っている晃臣にすれば普段との違いがより一層可愛く見せるのだ。
(これぞギャップ萌えよね!)
そんな結衣を見ていれば、当然もっと創作意欲がわいてくる。
「夏休みは期待しててね。大作仕上げるから!」
「え!? そんな頑張らなくて良いからな。気が向いた時で良いんだ!」
「良いの良いの。わたしの趣味なんだし」
「でも、作ってもらってばかりってなんか……。あ、須田さん夏休みも部活あるよな!」
閃いた、という表情で結衣は晃臣を見上げてくる。
「あるけど?」
「じゃあ何か差し入れ作る。好きな物とか、運動するのに適した物があるなら教えてくれたらそれ作って持ってくから!」
「良いの?」
「もちろん!」
ニコッと笑う結衣の表情に裏は無い。純粋にお礼として、そして晃臣の為に言ってくれている。
晃臣の素を知ってそんな真っ直ぐな感情をくれる人は本当に初めてで、彼女に顔が赤くなっていくのを悟られないように歩き出した。
「そうね。じゃあ……」
少し遅れてついてくる結衣との何気ないやり取り。それはとても楽しくて嬉しくて、晃臣は自然とほころんでいく顔を止められないまま結衣を振り返った。