オネェ系?ヒーローの意外な一面
息をするのも憚られるような静謐な空気。場が完全な無音になったその一瞬あと、タァンッという軽く、だが張りのある良い音が響いた。
しばしの間。フッと空気が緩んだところで、結衣はいつの間にか止めていた息をゆっくりと吐き出し背筋に入っていた力を抜いた。
ここは蘇芳高校の裏道を挟んだ向かい側。とある部活が月水金土と間借りしている場所。
そして今、結衣の前でその姿を披露したのはここまで引きずるようにして連れてきた晃臣だ。
(意外過ぎる……いや、見た目だけでいえばこれで合ってるのか?)
再び構え始めた晃臣。その恰好は白の着物に濃紺の袴姿。真っ直ぐに伸びた背筋。腕と共に持ち上がるのは弓と矢だ。そう、ここは弓道場だった。
晃臣が構えるのに合わせ、結衣もまた背筋が伸びる。
両の拳が前後に開き、弓が引かれる。そのまましばしの静止。
微動だにしないその姿は、一枚の絵のようだった。
いつもは柔らかい目線がスッと鋭く細められる。手先が少し動いたと思った直後、綺麗な放物線を描いた矢が小気味よい音とともに的に命中した。
(はぁ……ほぼど真ん中。すげぇ)
思い切り声を上げ拍手したい気分だが、どうもここの空気はそういったものが合わない気がする。
つられて正座のまま動けなくなっている結衣に対し、晃臣はゆっくりと構えを解くと一礼してこちらを振り返った。
「付き合わせてごめんね、雨宮さん。つまらなかったよね?」
「う、ううん! そんなことないよ!」
ふわりと笑う顔はいつもの晃臣だ。それでも先程鋭い表情の彼を見たからか、それとも今なお来ている道着姿のせいかとても男らしく見える。
(いやいや、生物学的には男だ……うん、たぶん)
お互いの本性が分かってから一週間。家が隣でクラスも一緒という関係もあり、登下校も共にすることが多くなった二人。
その間、慣れというか晃臣のオネェ口調にも乙女趣味にも違和感を抱かなくなってきた。教室で男言葉を使う晃臣も別におかしいわけではないのだが、素の彼の方が生き生きしているように見える。
そんな風に思い始めているからだろうか、そろそろ結衣の中で晃臣の性別がどちらでもよくなってきた。
「それにしても須田君、弓道なんてできたんだね。すごかっ……とうわっ!」
「危ない!」
立ち上がろうとした時、滅多にしない正座でしびれた足がもつれた。若干素をさらけ出しつつこけかけた結衣を、晃臣が咄嗟に支えてくれる。
「大丈夫? 足崩してても良かったのに」
「あはは、なんかここの空気にのまれちゃって……うっわ、須田さん胸筋すげぇ」
「ちょっとっ、女の子がはしたないことしないの!」
支えられた時に触れた晃臣の胸は非常にがっしりとしていた。周りに聞こえないように小さく呟いてペタペタ触れば、あちらも小声で返しながら頭を小突いてきた。
(そういや、須田姉が『筋肉は良いの持ってるの!』とか言ってたっけ……)
どちらかと言えば細く見える晃臣だが、色々触って見れば胸や腕はしっかりと筋肉がついているし、あれだけ姿勢を綺麗に保っているのだから足腰もしっかりしているのだろう。
「乙女趣味の細マッチョ……」
「あえて言葉にされると嫌ね……」
遠い目をした晃臣は小さく溜息をつく。と、不意に結衣の後ろから影が伸びてきた。
「おいおい、いくら美男美女でもイチャつくなら余所でやってくれ。ここは神聖な道場だぞ~。ついでに言うと他の男子部員が血走った目で見てんぞ、須田」
振ってきた声に振り向けば、そこには晃臣を超える大きな男がいた。しかも体格も晃臣と違いこれぞマッチョと分かるゴツさ。
短く刈り上げた髪に厳つい顔つき。しかし、その目は意外にも優しく面白そうにこちらを見ている。
「なっ、べ、別にイチャついてるわけじゃありませんよ、部長! ごめん雨宮さん、いつまでもこんな状態にして」
「え? あ、気にしないで! 支えてくれてありがとう!」
ぐいっと肩を押され、ようやく足のしびれが取れていた結衣も慌てて離れる。そういえば密着したままだったのだ。確かに傍から見れば誤解を受けるだろう。
「なんだ。別に隠さなくても良いんだぞ。俺らの学年まで美少女転校生の噂は上がってきたからな。それをお前がかいがいしく世話してるってのも聞いたぞ」
「だから、それは俺が学級委員長だからですよ! あ、雨宮さん。この人は弓道部の部長で大熊先輩。三年生だよ」
「雨宮です。急に見学しに来てすみません」
離れかけていた猫をかぶり直し結衣は笑顔で頭を下げた。武道を嗜んでいるのだから、礼儀はきっちりとしておいた方が良いだろう。
「いやいや、可愛い子が見学に来てくれるのは潤いがあって嬉しいよ。うち、女子部員少なくてな~。須田がいるから来年からは釣れるかもしれんが」
「俺をパンダにしないでください……」
うんざりとしたような様子を見せる晃臣に結衣は苦笑した。家庭科室の女の子たちにも引き気味だったのだ。彼目当てで入部してくるような集団がいれば、一目散に逃げるだろう。
「別に顔のことだけ言ってんじゃない。お前の実力があれば、うちの部も日の目を見そうだからな。興味持って入ってくる子がいるかもしれねぇだろ?」
「ちょっと部長!?」
名は体を表すような大熊はガシガシと晃臣の頭を撫でる。抗議の声を上げているが、晃臣も逃げたりしないので仲は良いのだろう。
「須田君って、やっぱりすごく上手いんですか?」
弓道など門外漢の結衣にはどういう状態が上手いというのかよく分からない。ただ、彼が射た矢はことごとく的に当たり、さらに比較的中心部に近いから技術は高いのだろう、とは思っていた。
「なんだ、お前話してないのか。こいつ、中学時代に全国優勝の筆頭候補だったんだよ」
「へ~……ええ!? そうなの!?」
ギョッとして晃臣を見れば、彼は大熊のヘッドロックからするりと抜けるところだった。
「候補ってだけだよ。実際は優勝してないし」
「それはお前が直前で大会に出られなくなったからだろ。出てれば優勝間違いなしとまで言われてたんだからな」
「出られなくなったって……怪我?」
今の晃臣は健康体そのものだが、もしやどこか故障でもしてるのかと伺う。しかし、彼は安心させるように微笑んだ。
「違う違う。大会直前に親戚の不幸があったんだ。俺が怪我したとかじゃないよ」
「そっか」
それなら良かったと結衣も笑い返す。ニコニコとお互い笑い合っていると、ヌッと二人の間に大熊のゴツい顔が割り込んできた。
「はいはい。二人の空気は帰ってから作ってくれや」
「いや、だから違いますって部長!」
「あれだな、須田のやる気が出るならどうだ? 雨宮さんうちのマネージャーとかやってみないか?」
「へ?」
「可愛い彼女に応援してもらえれば、こいつももっと精度がよくなるんじゃないかと……」
「わあぁぁぁ!! ちょっ、勝手なこと言わないでください! 彼女じゃありませんよ! 雨宮さんに迷惑でしょう!? それに彼女は料理部に入るって決めてて……」
慌てた晃臣が間に飛び込んでくるものの、大熊を応援するかのように今度は周りで見ていた部員たちが集まってきた。
「なるほど、健康面のサポートか! 彼女の手作り弁当とか羨ましいぞオラァ!!」
「くっそぉ! 顔が良いわ弓道の腕も良いわ可愛い彼女つれてるとか、喧嘩売ってんのかお前!!」
「新入生のくせに生意気だぞ! 先輩に花持たせろよ!!」
「よぉし、須田! 先輩たちを傷つけたお詫びに今年は優勝してくると誓え! 今誓え!」
「なんでそうなるんですか!?」
もみくちゃにされていく晃臣を尻目に、結衣は二歩、三歩と後ろに下がっていく。
(…………うわぁ。いやでも、こっちの須田さんも楽しそうっちゃ楽しそうか?)
大熊に羽交い絞めにされ他の部員たちにはたかれまくっている晃臣。するりと逃げだしはするものの表情に嫌悪はない。
乙女趣味で可愛いものが好き。オネェ言葉を扱いはするが男同士の付き合いが嫌だという風には見受けられない。これはこれで楽しんでいるというか馴染んでいる。
「須田ぁ! うちの部の未来を俺はお前にかけたぞ! しっかりやってくれよ!」
「分かりました! 分かりましたから部長! 近い!!」
追いつめられた晃臣の肩をがっしり掴んで語る大熊。押し返しながらもまたわしわしと頭を撫でられ恥ずかしいのか嬉しいのか口元は緩んでいた。
(おお、楽しそうだ……っていうか、もしかしてあの部長が好みのタイプか!?)
そういえば理想の王子様を語る時には男らしさが必要だと力説していた。金髪碧眼ではないしイケメンというわけではないが、大熊は部長を務めるぐらいだから頼りがいはあるし、体格からして男らしさも十分。
(うん……私は応援するぞ、須田さん!!)
共犯者で協力者な彼だ。他の誰が引いても絶対に応援しよう。
結衣は部員たちに囲まれている晃臣から十歩ほど引いたその場所で強く決心した。
* * * * *
「まったく、酷い目にあったわ……」
ひと騒動終えた後の帰り道、晃臣は精根尽き果てたようにぐったりしていた。
「いいじゃんか、仲良し部活で」
「雨宮さんも見てるだけだったし……」
「須田さん楽しそうだったからな」
「楽しくないわよ! 怖くはないけど暑苦しいのよ! なんで助けてくれなかったの!?」
「いやだって、か弱い女の子があの中に突撃は無理だろ?」
「どこがか弱いの、全員蹴散らせそうじゃない!」
「こんな短期間で猫を手放せるか!!」
やればできる自信は多分にある。しかし、まだ開いたばかりの第二の人生の幕を下ろすつもりは毛頭ないのだ。
「しっかし須田さんが弓道ね。見た目に似合ってるっちゃあ、合ってるけどな」
「母方の実家が古武道教えてるのよ。その関係で孫は全員何かやってるのよね」
「へぇ、お姉さんもか?」
「姉さんは槍術……薙刀と柔術ね。私が弓術と柔術。おばあちゃんが槍術と弓術教えてて、おじいちゃんが剣術と柔術だったの。どれか二つ選べって言われてね」
どうりで、と初めて晃臣の姉に出会った時を思い出した。あの時彼女は弟に関節技をかけて外に放り出したと言っていたはずだ。
それに、晃臣も大熊の腕からさらりと逃げ出したり、バスケ部のチャラ男の腕を簡単に外したりしていた。おそらくこちらは柔術で学んだものなのだろう。
「んで、何で弓を選んだんだ?」
「初めて見た時なんだかとてもカッコよく見えたのよ。立ち居振る舞いも流れるような感じでね。それで興味持ってやり始めたらいつの間にか筋肉が……」
「あ~……」
弓道は見かけの流れるような動作に反して、腕や胸部にはかなり力が入ると先ほど聞いた。さらに姿勢を維持しようと下半身も使うため案外筋肉質になるらしいのだ。
「でも手を抜いたらおじいちゃんに怒られるし……」
「…………おじいさんは知ってんのか? その……須田さんがこうだって」
古武道と聞くと、とても礼節や伝統を重んじているようなイメージが結衣にはあった。そういたものを教えているという晃臣の祖父が、果たしてこのオネェ言葉を操る孫を知っているのか――と聞いてみると。
「須田さん、真っ青だぞ……」
「怖いこと聞かないでよ! そんなのバレないようにしてるに決まってるでしょ! 知られたら刀持ったおじいちゃんと薙刀もったおばあちゃんが乗り込んでくるわ!」
「家族ぐるみで黙ってるのか?」
「当たり前でしょ。怖さを知ってる娘の母さんに始まり、弟子だった父さんも姉さんだって自分の命は惜しいんだから!」
大げさではなく本気で身震いしている。結衣が本性を隠して過ごすのもなかなかキツイものはあるが、晃臣も晃臣でずいぶんと苦労してきたようだ。
結衣は手を伸ばし、ポンポンと彼の頭を軽く叩く。
「何?」
「ん~、よく頑張りました、て感じだからな。ほら、これも持ってけ」
いつの間にか家の前に辿りついていた結衣は、鞄の中から講座で作ったマフィンを取り出した。
「良いの? 瞬ちゃんのおやつでしょ?」
「まだあるから良いよ。頑張ってる須田さんにご褒美だ! んじゃな!」
袋を腕に押しつけて、結衣は玄関へと足を進める。
門に手をかけた所で、そういえばと思い当って振り返った。
「言い忘れてたけどな、今日の須田さんカッコ良かったぞ」
「へ……?」
ポカンと目を丸くした晃臣に、結衣は言葉が悪かったか、と考え直す。
「え~っと、なんて言えばいいんだ? カッコ良かったのは間違いないんだけど……。あ、あれだ! 綺麗だった! 姿勢とか動きとか雰囲気とか。弓道はよく分かんねぇけど、見惚れた!」
「あ……ありが、とう」
「おう! んじゃまた月曜日に!」
「う、うん……」
手を振って玄関に入る。
まだ簡単に思いかえせる記憶の中に、弓矢を構える晃臣の姿が浮かんだ。
それは本当に綺麗で、格好良くて、目を逸らすことができなかった彼の一面。
「須田さんは面白いな」
いろんな事情が重なって出会ったオネェ言葉な隣人は、少しずつ結衣の日常にとって貴重な存在へと変化していくのだった。