ポンコツ系ヒロインの情報収集
週末の土曜日。昨今は週休二日という制度のため学校も休みなのだが、授業をしない分、何かためになることを身につけよう、という流れがある。
結衣の通っている蘇芳高校も、その一環として〈土曜講座〉なるものが開かれていた。
運動、芸術、文学、歴史、科学などなど、あらゆる分野の講師を呼んでおよそ二時間ほど実地を交えた講義を受けるのだ。
とはいっても、実際は〈講座〉なんて大仰なものではなく、少し本格的な試合をしたり、校外の美術館に出向いたりという気軽なものだ。
結衣は転校生だったため、空いている講座をいくつか提示された。選んだのは料理講座である。
「よし、完成!!」
「わぁ、雨宮さん上手にできてるね!」
「ほんと、もしかして料理得意?」
テーブルの上には出来立てのクッキーとマフィン。我ながら綺麗にできたと結衣は満足していた。
この講座も栄養素を習いもするが、このようにお菓子作りが主だった。
「どうだろ。ご飯とか私が作ったりするし、弟用のお菓子とかも手作りするから慣れてるだけだと思うよ」
「へぇ、すごーい!」
「そうかな? へへ、ありがとう!」
結衣の母は結衣が六歳、瞬が二歳の時に交通事故で亡くなった。それからは父が母親の代わりも務めてくれていたけれど、仕事も忙しく疲れている父を見て自分でできることは自分でしようと幼いながらに思ったのだ。
最初は本当に自分のことだけだったのだが、いつの間にかそれは家のことになり、次第に瞬の面倒も結衣が見るようになった。
料理も得意かと言われて自信を持っては頷けないが、同年代に比べれば慣れていて手際も良いのだろう。
「でもほんと非の打ちどころないよね。勉強も運動もできて、料理までやられちゃ」
「敵わないな、って納得できちゃうもんね!」
同じ班にいた子達の褒め言葉に、『そんなことないよ』と返しつつ心の中でガッツポーズ。
転校してきて早三週間。結衣は本性がばれぬように〈完璧な女の子〉を演じてきた。それはクラスを始め、同学年にも周知されているようである。
(勉強は将来のためにも手は抜いてないしな。運動もある程度できて良かった!)
まだどんな仕事をしようかなんて考えていないけれど、勉強はしておくに越したことはない。どんな場所でも身につけた知識というものはふとした瞬間役に立っているものだ。
運動に関しては遺伝的なものもあるだろうが、比較的できたのが功を奏した。女の子らしさを演じている今の結衣は、すでにクラスでも注目の的だ。
(ま、けっこうしんどいんだけどな、これ……)
『ラッピングどうしようか?』『これ焦げてるー!』などと同じ班の女の子とはしゃぎつつ、内心重い溜息をつく。
女の子のグループというのはかなり複雑だ。控えめの子もいればギャル風の子が固まるグループもいるし、優等生や同じ習い事をしている子のグループなど、その数は多い。
そして、同じグループにいるからといって、必ず仲がいいかと思えばそうでもない。
先程まで仲良く話していたAとBを違うところで見かけたら、それぞれの悪口を言っていて驚いたこともある。
気の合わない人間は結衣にだっている。だから全員と仲良くなる気はないが、下手に問題を起こさないように当たり障りない距離を取るのが良い。
特に、かなり力の強いグループとは。
(嫌味にならないような女の子。目の上のたんこぶにはならない女の子)
ブツブツと心で理想を唱えながら会話をこなす。これが、かなりしんどい。
胡坐をかいて素で喋れたらどれだけ楽か、と結衣はため息をつきそうになった。
「いい匂いだね。何作ったの、雨宮さん?」
「へ?」
突然、背後から声をかけられ結衣は振り向いた。
廊下に面した窓枠に、にこにこと笑うイケメンな男子。
「きゃあ! 須田君!!」
「どうしたの!? 誰かに用?」
黄色に叫び声と共に、結衣を押しつぶさんばかりの勢いで女の子たちが押し寄せる。
「っと、大丈夫? 雨宮さん」
「あ、ああ……っと、ありがとう、須田君!」
のけぞった結衣を、後ろにいた晃臣が軽く手で支えてくれた。少し素が出そうになったのを押し留め、ニッコリ笑顔で返せば向こうも完璧なスマイルを披露してくれる。
スラッとした長身に大きな手。優しげな顔つきと耳触りのいい声。学年トップの成績を維持しつつスポーツも万能な、この高校で王子様の呼び声高い須田晃臣。
(誰が思うだろうな。こいつが乙女趣味でオネェ口調だなんて……)
そう、結衣は知っている。この晃臣が持つ本来の性格を。そしてそれは彼もまた然り。
結衣と晃臣は、お互いの秘密を知る共犯者であり、サポートし合うと約束した協力者でもあった。
「須田君、どうして家庭科室に?」
「ああ。雨宮さんに部活案内するって約束しててね。そろそろ行けそう?」
周りに集まった女の子の質問にも丁寧に答え、結衣を見る晃臣。だがその窓下に隠された足が若干引き気味なのに気づいた。
『女の子のはしゃぎ具合は可愛いけど、集団で来ると恐怖よね』と前に溢していたから、きっと結衣をダシに早く去りたいのだろう。
こちらもそろそろ仮面をかぶり続けているのに疲れたので、結衣はすぐ頷いた。
「うん。もう後片付けも終わったし大丈夫。ちょっと待ってて、荷物まとめてくるから!」
お菓子もすでに粗熱は取れている。用意していた袋に簡単に詰めると、結衣は荷物を持って晃臣を振り返った。
そこには自分の作ったお菓子を彼に手渡そうとする女子の山。だが晃臣は笑顔で丁寧にお断りの返事をしていた。
『これから学校中案内するし』『せっかく美味しくできたんだから大事な人に渡さないと』『部に差し入れてくれたものなら、あとで皆でもらうよ』
と、当たり障りないが、女子を傷つけず受け取らないで済むように言葉を選んでいる。
(ま、誰か一人のを受け取るとあとあと面倒だもんな)
それが勘違いするような女子なら彼女面でもされそうだし、かと言って、全員のを貰えば膨大なお菓子の処理ができない。現実とはそんなものである。
「須田君、お待たせ!」
結衣が声をかけると、晃臣はホッとしたようだ。
「大丈夫だよ。行こうか。それじゃあ」
軽く片手をあげて笑顔の置き土産。さすがは学校の王子様。後ろの女子はポーッと頬を赤らめて二人を見送ってくれた。
「モッテモテだな、王子」
「ちょ、やめてよそう呼ぶの!」
人目がなくなったのを確認して声をかければ、晃臣はかなり悲壮な顔をしてこちらを見た。それが眉をふにゃっと下げた何とも情けない顔だから、結衣もついあきれた表情になる。
「何を今さら。少なくとも一年生では当たり前の呼び名だろ」
転校してきた結衣の耳にすら、晃臣の噂は尽きない。面と向かって〈王子〉と呼びかける人間はまだいないようだが、一年女子の間ではもはや通常のようだ。
「ダメよ絶対に!! 王子様っていうのは金髪碧眼に白馬が似合うのよ!!」
「どこの童話だそれは!!」
「童話は理想を体現してるから残ってるのよ!! それに、お姫様のピンチに颯爽と駆けつける男らしさも必要よ! わたしにそれはないわ!!」
「あ~……まあそりゃそうか……」
オネェ言葉で胸を張って理想の王子様とやらを述べる晃臣。
そう、オネェ言葉を操る他称〈学校の王子様〉。しかし今、目はキラキラと先程女子を相手にしていた時よりも輝いている。
「良い顔してるな、須田さん……」
「理想の王子様についてなら二、三時間は余裕で語れるわよ!」
グッと拳まで握って言われれば、もう結衣に返す言葉はなかった。
「ところで雨宮さん、部活はどういうところが見たいの? 入りたい部活の候補はある?」
一応、その場の雰囲気というものは読めるようで、晃臣は勢いに任せて語りだすことはなく当初の目的である部活案内へと立ち返ってくれた。
結衣も気を取り直し、一つ頷く。
「入る部活は決めてる。料理部」
「料理部? さっきの講座も料理講座だったけど、意外ね」
「何が?」
「講座や授業でちょっと家庭的なところを見せつつ、部活はテニスとかやって万能な女の子像を作るのかと思ってたんだけど」
「それも考えたんだけどなー」
運動神経は悪くないから、楽しむという程度なら運動部でもそつなくこなせただろう。テニス部は女子のスコート姿が可愛いのもあり、結衣の目指す女の子像にも当てはまっていた。
「でも、この学校って大会とかにも力入れてるだろ? となると、入部してるのはきっとそっち方面に真剣な子が多いんだろうし。そこにくだらない目的の私が入るのは何か失礼な気がしてさ」
蘇芳高校はどこにでもあるような高校ながら、部活動は盛んだ。部によっては全国大会で好成績を残しているところだってある。
それは部員全員が一致団結して努力したから勝ち取ってきたものだ。そこに、自分の理想の女の子像を作るため、という理由の結衣が入るのは場違いな気がした。
「それに、運動部は上下関係とか考えて動かないといけな……って、なんで目ウルウルさせてんだ、須田さん」
何やら熱い視線を感じて隣を見れば、感極まったような表情で晃臣がこちらを見ていた。手はギュッと組まれた乙女ポーズである。
「だって、だって格好良すぎるわ雨宮さん! 自分の目的のために特大な猫かぶって他人を騙してるのに、ふとした瞬間に見せる誠実さと男前発言! カッコいい!!」
「前半確実に貶してるよな!? オネェ口調で言えば許されると思うなよ!」
他人から言われるまでもなく結衣は口調も悪いし、素の態度はガサツと言われるものだ。
それでも、人としての常識はきっちり持っているつもりである。
「やだ、本当にカッコいいって思ってるのよ。でも料理部で良いの? 美術部とか、コーラス部、写真部なんかも人気よ」
「ああいうのはセンスもいるだろ。三年間続けるなら好きなものじゃないと厳しいし。それに、料理部は学校の予算から食材費もいくらか出るって聞いたからな。その日の一品や瞬のおやつ代が浮く!!」
「お母さんの鏡ね~」
料理は家庭の事情で覚え始めたものだが、実はけっこう好きなのだ。
父は帰ってきた時にテーブルにある食事を見て喜んでくれるし、褒めてくれる。あの生意気な弟ですら結衣が作る料理には文句を言わないし、おやつも市販のものより結衣の手作りの方を好んで食べているのだ。
料理は結衣の持つ唯一の女の子らしい長所かもしれない。ならば、腕を磨いていくことも決して無駄にはならないだろう。
「それじゃあ、入る部も決まってるのに何で部活見学するの?」
「そりゃもちろん情報収集だな」
「は?」
「大事だろ。女子の話題の中には部活のエースとか、人気の先輩とか出てくんじゃん。それを把握しとかないと話についてけなくなるかもしれないだろ。あと、逆らっちゃいけないような女の先輩とかも知っておきたいし……」
「メモとペン用意してるところからして抜かりないわね……OK。なら、運動部を中心に案内するわ。わたしが把握してない上下関係とかもあるだろうけど、そこは許してね」
「了解! よろしくお願いしまっす!」
スチャッと敬礼した結衣を苦笑しながら案内しだす晃臣。
人の気配を感じた瞬間、すぐに〈須田君〉として動き出した彼に合わせ、結衣もまた〈理想の女の子〉を演じるために背筋を伸ばしてついて行った。
* * * * *
主要な部活動を案内された結衣は、できる限り分かったことを書き込んだノートを膝の上に開けた。
やはり多くの生徒が知る人間は運動部の中心にいることが多い。その他人数が多く大所帯という意味で強いのは吹奏楽部だろう。
「どう? 役に立つようなことは分かった?」
笑いながら差し出されたのは紙パックのジュース。晃臣が近くの自販機で買ってきてくれたようだ。
「ありがと。あ、お金……」
「良いわよ。その代わりに、雨宮さんがさっき作ったクッキーちょうだい」
「は? 誰のも受け取らないようにしてんじゃないの?」
先程、家庭科室で断りを入れていた晃臣を思い出して言えば、彼は小さく肩を竦めて苦笑した。
「さすがにあの人数の全部は貰っても食べられないわ。かと言って一人のを貰うと他の子に申し訳ないじゃない。でも今は誰もいないし。雨宮さんの料理が美味しいのは知ってるし」
そういえばこの間、お弁当に入っていた卵焼きを取られた。一瞬どついてやろうかと思ったが、なぜかキャーキャー騒ぐクラスメイトの視線もあったため、その時はグッと我慢したのだ。
「瞬のおやつでもあるんだからな。全部食べるなよ」
「痛っ! ちょっと何でおでこ叩くのよ!」
「この間の卵焼きの恨みだ!」
額を撫でつつ投げ渡したクッキーの袋を開けて、晃臣はいそいそと口へ運ぶ。さっくりした感触が良かったのか、それとも味が好みだったのか、幸せそうな表情に結衣も何だか肩の力が抜けた。
「須田さんを別として、人気なのはやっぱサッカー部のエースとかなんだな」
「まあ、サッカーやってる人が格好いいっていうイメージもあるしね。あとバスケ?」
「あれは格好いいって言うかむしろチャラ男だろ? 私はああいうタイプ顔面踏みつけたくなるんだけどな」
「雨宮さんってば表情引きつってたものね~」
主要運動部として、サッカー、野球、バスケ、テニスなどを見て回った結衣。それぞれの部活には当然、他の生徒が知っているような先輩、同級生も何人かいた。
サッカー部エースと言われる二年生は、周りの黄色い声援は気にせず部活を楽しんでいるタイプ。野球部のキャプテンは真面目で優し気。テニス部はそれなりに応援に返してくれるタイプだった。
その中で結衣の印象が悪かったのがバスケ部ルーキーの同級生、チャラ男だ。正直嫌いなタイプだったため名前も覚えていない。
ひょこりと覗き込んだ結衣に目ざとく気づき、今まで話していた女子生徒を放り出して近づいてきた。しかも馴れ馴れしく手を掴んで見学に無理やり参加させようとしたのである。
「あの『俺が一番です』的な顔がムカついた」
「でもバスケの実力は確かにあるのよ」
それは結衣も分かっている。試合中の動きは素人目に見ても凄いと思ったのだから。
「どんなに実力あっても性格が合わない! あれは無理だ!」
「そうねぇ。わたしも何だか睨まれてたし」
殴り飛ばしたくなる衝動を必死に抑えて断りを入れていた結衣。それでもしつこいチャラ男をやんわり外してくれたのは晃臣だった。
軽く腕を持って外したように見えたが、チャラ男は顔をしかめていたから少し捻りでも入れたのだろう。
「あれは絶対に須田さんをライバル視してるぞ」
「え~。わたし今日初めて話したぐらいなのよ」
「自分が一番って思いたいのに、他に〈学校の王子様〉がいることが気に食わないんだろ」
少なくとも、結衣の中では晃臣かチャラ男なら本性を知っていても晃臣に軍配を上げる。概ね他の生徒の評価もそうなのではなかろうか。
「あと女子が強そうなのは規律が厳しいバレー、テニス……。あ、陸上はしっかりした先輩が多そうだったな」
陸上部は結衣たちが訪ねて行った時、一人丁寧に説明係としてついてくれた先輩がいた。ああいうさりげない気遣いができる人は尊敬できる。
「他に、須田さんが知ってることある?」
「そうね。今日は休みだったけど、茶道部にこの辺りで有名な旧家のお嬢様が入ったって聞いたわ。あと、新聞部にも面白い子がいるとかいう噂があったと思う」
「新聞部も取材とかでいなかったしな。ま、茶道とかお嬢様とかは縁遠いものだから別にかまわないけど……」
女の子らしさを追求するなら茶道・華道などは良いかもしれない。しかし、結衣が理想としているのは同性にもとっつきやすい女の子である。
イメージの問題なのだろうが、茶道や華道は格式が高くて堅いという印象が強かった。
「あとはそうね。学校で影響力が強いってなると生徒会だけど、あそこはもうすぐ世代交代だからその時見た方が早いと思うわ」
「世代交代?」
どういうことだ? と思って晃臣を見上げると、彼は結衣の疑問に気づいて微笑んだ。
「うちの学校、一学期が始まってすぐ生徒会選挙があるのよ。五月の初めだから雨宮さんが転校してくる前ね。そこで決まった次の生徒会が、五月六月で引継ぎして、期末テストが終わった後に所信表明演説があって完全に移行するの」
「なるほど。じゃあテスト後にその顔触れが見れるのか」
「そうね。あと二学期に生徒会から指名で補佐役が何人か選ばれるわね。だいたいこの補佐役がその次の生徒会の顔ぶれだと思っておくと良いかも」
「ふうん、結構しっかりしてんだな」
生徒会というものは何となくしたい人間が立候補して、何となくいつの間にか選ばれ学校の行事の時に動いているという印象しかなかった。だが、引継ぎに二か月近くかけているということはこの学校の生徒会はかなり力を持っているのだろう。
そこに入れるということは、選ばれた人達もハイスペックなのかもしれない。
「まあ、こんなところかしらね。どうする? 他に見たいところはある?」
「いや、これぐらいで良いよ。あんまり情報仕入れ過ぎても転校生らしくなくなるし」
「計画的ね。雨宮さんらしいけど」
クスクス笑われるが、晃臣の笑いに嫌な感じは受けない。楽しそうに、ちょっと眩しそうにするからこそばゆいぐらいだ。
(まあ、前に比べたら話しやすいし……)
転校初日に見た〈須田君〉のどこか胡散臭い感じはなく、最近の彼は自然体だ。結衣も自分の素を知られているからか、晃臣といる時は緊張もせず落ち着く。きっと彼も同じなのだろう。
「ねえ雨宮さん。まだ時間あるならわたしの部活を見学しに来ない? まだやってるし、ちょっと顔は出しとこうと思って」
「え? ああ、別に良いよ。今日私のせいで休ませちゃったもんな。あ、でも……」
情報収取の為に気心の知れた晃臣に無理を言ったのは結衣だ。だからつき合うことに異論はないのだが、問題がある。
「どうしたの?」
「あ~……。私さ、裁縫はあんまり得意じゃないんだよ。行ってボロ出ないかな?」
「? 何で裁縫?」
「? だって須田さん、手芸部だろ?」
「…………」
「…………?」
目を見開いて固まった晃臣。疑問符と共に見上げた結衣の前で、彼は盛大に引きつった口を開いた。
「断・じ・て違うわよ!!」
耳がキーンとするような大声で言われたと同時に、結衣は手を掴まれてズルズルと引きずられることになるのだった。