オネェ系?ヒーロー①
「……おかしい」
学校の帰り道。結衣は深い皺を眉間に寄せて唸った。
「おかしい、おかしいおかしいおかしい! 絶っ対おかしい!!」
一歩進むごとにさらに皺は増え、美少女然とした顔は鬼女のごとく歪み、つり上がっていった。
ブツブツと呟きながら歩く結衣の目に映ったのは我が家。そして、その隣の須田家。
「この二週間、何もないなんて絶対おかしい!!」
そう、あの衝撃的な『事件』から早二週間。あの後、引きつったまま家に猛スピードで入って行った須田を見送り、結衣も茫然自失のまま弟を家に引きずり込んだ。
『隣人がオカマかよ……』という弟の言葉や、それに返す『人によっていろいろあるんだから、言いふらしちゃダメだよ』という父の諭しも耳を素通りし、一睡もできぬまま迎えた次の日。
学校ではすでに結衣の本性について噂がめぐり、さぞや白い目で見られるのだろうな、と憂鬱な気持ちで登校した。
だが、ビクビクしながら通り抜けた廊下、さらにはドキドキして扉を開けたクラス。そのどちらも、昨日と変わらず明るく『おはよう!』と声をかけてくれたのだ。
「しかも、一番おかしいのは須田……君だし……」
てっきり結衣のことを話していると思っていた須田。しかし彼は、入ってきた結衣を見つけてにっこりと笑ったのだ。
「おはよう、雨宮さん」
「お? お、おは、よう……須田……君?」
笑顔だった。もうこれぞ笑顔の見本と言わんばかりの良い笑顔だった。
結衣はうつむき加減に視線を逸らした。昨日のあの須田を見て、正面から『君』づけで呼ぶのは躊躇われたのだ。
そんな結衣を『どうしたの?』と心配する須田。『何でもないよ』と笑顔で返す結衣。
『何だこの茶番』と考えずにはいられなかったが、きっと後で呼び出しでもされて話し合うことになるんだろう、とその時は思った。
が、しかし――である。
「呼び出しもなければ『お前の正体をバラす』という脅迫文もない! かといって避けられることもなければまるで『あんな事件ありませんでした』とばかりに通常運転、ってどういうことだおい!!」
ご近所の目を気にして大声は出さなかったが、それでも結衣の心情は言葉と同様荒れていた。
事件の次の日も、歓迎会の日も、その後の日常も全く変わりがない。須田は結衣を避けることもなければ過剰にも接触してこない。本性が明るみに出るのも嫌だったが、このどうにも宙ぶらりんな現状も落ち着かなかった。
須田が分からない。いや、あのオカマ?を理解するのは難しいのかもしれないが。
「このままテスト週間むかえるとか、マジでやめてほしい……」
父親一人の稼ぎだけで生計を立てている雨宮家。本当は高校卒業後、結衣も働く気でいたのだが、『一番自由なのは学生時代だけだから、家の心配はせず大学に行きなさい』と父が言ってくれた。
それならそれで、恥じないように良い大学に低学費で行きたい。目指すは国立なのだ。
だからこそ、高校一年とはいえど成績は上位をキープしておこうと思っている。だというのに、この状態が気持ち悪くて集中できそうになかった。
「はぁ……どうすっかな」
「なんなら、あたしが相談にのってもいいけど?」
「はあ、それはどう……って!?」
突然横から聞こえた声に顔をあげれば、小柄な女性が一人。
眼鏡をかけた細身で、きつめの印象を受けるこの女性。確か――
「須田姉!!」
「失礼な呼び方しないでくれる。猫かぶりちゃん」
「ぐっ! いや、あの……」
「まあ良いわ。ちょっと顔貸しなさい」
「え!? え!? ちょっと!?」
問答無用で結衣の後ろ襟を掴んだ須田姉。彼女はその細腕からは想像できないぐらいの力で結衣を家の中へと引っ張り込んでいく。
そうして引き上げられたのは二階のとある部屋。
黒いスチール製の棚に、ブラウンのベッドや机。本棚に入っているのは法律関係の参考書などが多い。唯一違和感があると言えば、壁に貼られたプロレスラーのポスターと、天井に貼られたO県の筋肉自慢な消防隊のポスターだろうか。
「えっと……えっと、須田さ……須田君の部屋ですか?」
ついつい、あのオネェ口調を思い出し『須田さん』と呼びそうになった口を慌てて押さえる。しかし、須田姉は『何を言ってるのか』と言わんばかりの表情で振り返った。
「あなた、あの晃臣見てこの部屋があいつのだと思うの?」
「いえ、まったく!」
「ま、当然よね。とにかくそこ座って」
結衣が腰を下ろすと、須田姉も向かい側に座った。
一見地味そうにも見える風貌だが、あの見た目イケメン須田の姉である。彼女もまた、綺麗な顔立ちをしていた。目元のきつさもできる女といった感じだ。
「自己紹介しときましょうか。あたしは須田小夜子。晃臣の姉で、法学部の大学二回生よ」
「あ、えっと、雨宮結衣です。須田……君と同じクラスです」
挨拶を返しながら、それにしてもなぜ自分がここにいるのか、と結衣は思った。須田本人に呼び出されることも避けられることもなく過ごした二週間。やって来たのはあの時彼と喧嘩していた姉。
小夜子は結衣を上から下まで何度も眺め、『へぇ』と感心したようにうなずいた。
「うちの弟もそれなりに猫かぶってるけど、あなたも相当ね。正直、見た目だけだとあの時の怒声の正体があなただって分からないわ」
「す、須田君に聞いたんですか!?」
「まさか! 見てたのよ。あの時、怒鳴り声が聞こえて気になって外見てたら、あいつが『姉さん見て新作できたのよ!』とか言って駆け込んでくるから、ついつい関節技決めて外に放り出したの」
「関節技……」
弟は弟でインパクトがあったが、姉は姉で秘めているものがありそうだった。
「で、まあ。せっかく隣人の弱みを握ったことだし。ちょっと協力してもらおうと思ってね」
「法律を勉強してる人が脅迫!?」
「勉強してれば法律の穴がよく分かるのよ。それに、これは脅迫じゃなくて協力要請よ」
「だってさっき、人の弱み握ったって言ったじゃないですか!?」
「それはあなたもでしょ。あいつの本性知ったわけだし」
小夜子の言う通りではある。
結衣も誰にも知られたくない本性を須田と小夜子に知られたが、須田もアレを結衣と瞬に知られているのだ。
(でもお姉さん自身の弱みじゃない……よな)
弱みの威力が、結衣と小夜子では差がある気がする。
そんな不平等さをのせて胡乱気な目で小夜子を見ると、彼女は肩をすくめた。
「そう睨まないでよ。ここだけの話、晃臣があんな感じになったのはあたしがきっかけな気もするから、ちょっと罪悪感があるのよね」
「え? お姉さんが仕込んだんですか!? あのオネェ口調!」
「違うわよ! ただ、ああなりだしたのが、あたしの言葉だった気がするから……」
ハアッとため息をついて額を押さえた小夜子は、強烈な頭痛を耐えるかのように顔をしかめて話し出した。
「私には、幼、小、中、高。そしてなぜか大学まで一緒になってる因縁の女がいるの」
「それは……幼馴染では?」
「断じて馴染みじゃないわ! あのかまとと女!!」
「かまとと……」
真面目で勉強熱心なのだろうが、小夜子は言葉が古いな、と結衣は思った。かまとと、つまりぶりっ子女ということだろう。
「その女が、幼稚園のころから何かとあたしに突っかかってくんのよ! ビラビラフリフリの服着て! 幼稚園なのに制服に飾りつけしてんのよ! 髪も巻いてさ! あんたはお姫様かって言ったら『当然でしょ』とか返してきて!」
「はあ……」
「ま、運動も勉強も一度もあたしには勝ったことがないんだけどね。それが悔しいのかことあるごとにあのビラビラフリフリ着て『貴女、そんな地味な服しか持ってないの?』とか言ってくるし!!」
嫌悪感いっぱいのオーラをまといながら力説する小夜子。
つまるところ、そのぶりっ子はお嬢様で、庶民出の小夜子が勉強や運動で自分の前に立つのが許せなかったのだろう。
しかし、それがどうしてあの須田につながるのか。
「とにかく、あたしはあいつのせいで女の子らしい物は嫌いになってたの。でも親戚や知り合いは『女の子だからこういうのが好きでしょ』って服や人形をプレゼントしてくるし……」
「あ~、なるほど……」
結衣にもその感覚は覚えがある。幼い時は基本、外で遊ぶのが好きだった結衣だが、親戚は女の子だから、とままごとセットや着せ替え人形を渡してきた。
色も女の子だからとピンクや赤。嫌いではないが、結衣が一番好きなのは白だ。
「で、その贈り物をほったらかして本とか読んでると、晃臣が見つけたりしたのよ。あたしに『遊ばないの?』って聞いてきたから、『欲しいならあげるわよ』って言っちゃって……」
「いや、でもそれだけで、ああはならないんじゃ……」
結衣が見た晃臣は、違和感がないぐらいあのオネェ口調がピッタリと当てはまっていた。女の子向けのおもちゃで遊んだぐらいでは、あそこまではならないはずだ。
「……なんの話か忘れたけど。お姫様が出てくるアニメを見てたの。そしたらあの子、そのお姫様を見て『お姫様可愛いね。お姉ちゃんもああいう服あるんだから着ようよ』って」
「着たんですか?」
「んなわけないでしょ。それを押し付けてくる晃臣があの女とかぶって……『着たいならあんたが着ればいいでしょ! そんなに女の子のものが好きなら、いっそ女の子みたいに話せば!?』って、服、無理やり着せて話させたの……」
「…………つまり、その時に?」
「しっくりきちゃったみたいなのよ……」
がっくりと項垂れた小夜子に、結衣も遠い目をした。
幼い晃臣は、どちらかというと引っ込みじあんな性格だったのかもしれない。大人しい彼には外で他の子に交じって遊ぶより、家の中のおままごとの方が楽しかったのだろう。
それでも、おそらく今の晃臣同様、自分が男であることは自覚していたのだ。姉に可愛いものを着せようとしていたあたり、見て楽しんでいたに違いない。
だがそれが、姉の行動と一言で、少なくとも家の中では構わないんだ、という認識になってしまったのだ。
「で、今にいたる、と……」
「そう。だから、だからね!!」
「うおっ!?」
突然、顔を勢いよくあげた小夜子が立ち上がり、結衣の腕をつかんで引っ張り上げた。
「え? ちょ、どこ行くんですか!?」
「あなたには晃臣をちゃんとした男に教育し直してほしいわけ! 将来、弁護士になるあたしの弟がオネェとか、絶対耐えらんないもの!!」
ドアを開け、廊下をドスドス歩いていく小夜子。結衣はつんのめりながらも、腕を掴まれているため止まることができない。
「無茶言わないでください! 話から察するに結構な年季入ってるじゃないですか!」
「大丈夫! あなたそこらの男より男らしいし! それに晃臣、体は良い筋肉持ってるのよ。あとは中身さえ伴えば完璧なの!!」
「余計なお世話ですよ! っていうか、触れないようにしてたけど、あのポスターやっぱりお姉さんの趣味か!!」
何とかブレーキをかけようと踏ん張ってみるが、外で捕まった時と同じく、どうしてこんな力があるのかという怪力で引きずられる。
そして、小夜子は躊躇いもなく違う部屋のドアを開けた。
「晃臣!」
「え? ちょっと何よ姉さん、いきな……り……」
「うわっと! あ……!」
部屋の中に放り込まれた結衣は、中の住人と目が合った。
小夜子の部屋とは違い、ナチュラルブラウンの家具でまとめられた部屋。想像していたほどキラキラやフリフリはない。
ない、が、机に置かれたおそらく作りかけであろうヒラヒラ服。ふわふわもこもこのぬいぐるみ数体。本棚に並ぶのは服飾関係や小物の作り方。さらに、おそらく女の子が好む可愛らしい絵本。
それらの持ち主である彼は、突然、部屋に入ってきた結衣に目を丸くしていた。
着替え途中の、上半身裸で。
「わ、あ、あの、ごめんなさ……!」
男と同等に喧嘩をする結衣だが、異性の裸などめったに見ない。見たとしても家族である父や瞬ぐらいだった。
顔見しり程度の青年の裸。しかも、小夜子が言っていたようにしっかりした筋肉がついていたように思う。
さすがのことに頬を赤くしてうつむいた結衣。そして――
「き……」
「『き?』」
須田が何か言ったと思った瞬間――
「きゃああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「いや、それこっちの台詞だ!!」
結衣が言ったこともない、女の子らしい叫び声を盛大にあげて、布団にもぐりこむ須田晃臣がそこにいた。