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ポンコツたちの勉強会

本日は18話から20話の三話更新しております。

 真夏のジリジリとした日差し。遠くに、だが忙しなくなく蝉の声に多少の不快感を覚えながら、結衣は隣の家のインターホンを押した。

 ほんの十数歩しか外を歩いていないにもかかわらず、額にはじんわりと汗が浮き出てきている。


『はーい!』

「あ、すみません。隣の雨宮ですけど」

『あら結衣ちゃん、いらっしゃい! ちょっと待ってね~』


 すでに聞きなれてしまった口調と、いつもとは違う高い、確かな女性の声。

 パタパタという足音と開錠の音がすると、結衣の視界に可愛らしい女性の笑顔が飛び込んでくる。


「いらっしゃい結衣ちゃん。さ、どうぞ入って!」

「お邪魔します」

「晃臣―! 優衣ちゃんが来たわよー!」


 女性が階段の上に向かって声を上げると、『はーい』という晃臣の声が聞こえた。

 目の前の女性は彼と同じ黒髪をふわりと揺らし、ニッコリという効果音が似合うほど朗らかに笑った。


 彼女の名前は須田雪子。名前が表す通りの白い肌に、少女と見まがうばかりの若々しく可愛らしい表情。正直、高校の制服を着ていても違和感はないのではないかと結衣は思うが、この驚異の若さを持つ女性は晃臣の母親だ。

 蘇芳高校でイケメン王子と名高い彼を生んだだけあって、もちろん雪子も整った顔立ちをしている。ただし、子供の晃臣や小夜子が『綺麗』と評される部類に属すなら、雪子は『可愛い』と言われる側だろう。


「あの、雪ちゃん。これ私の作ったオレンジのゼリーです。こっちはお父さんが働いてる居酒屋のレシピで作ったつくね。あとは温めてタレをかけてもらうだけでできますから、良かったら」

「まあ、ありがとう! いつも結衣ちゃんの作ってくれるものは美味しくて楽しみにしているのよ! お父様にもお礼を言っておいてね。今日のお夕飯に出させてもらうわ!」

「はい!」


 見てるだけでこちらも笑顔になるほど喜んでもらえると、結衣としても作った甲斐があるというものだ。

 最初は友人の母親をどう呼ぼう、と悩んでいたのだが、雪子はとても気さくな性格で『ぜひ雪ちゃんって呼んでね』と言ってくれた。自分の親と同じ年頃の人間を〈ちゃん〉付で呼ぶのはどうかと思ったが、呼ばないとしょんぼりされるので〈雪ちゃん〉呼びで落ち着くことになってしまった。それに――


「あと、言葉を崩しても良いのよ。晃臣に話してるみたいに」

「いやぁ。さすがにそれは……。私も年上の人への礼儀は一応習ってますよ」


 そう。晃臣にバレ、小夜子にバレ、晃臣が結衣の服を作ると言い出した時点でそれに加担している雪子にも結衣の性格はバレていた。しかし彼女は注意や嫌煙するでもなく、『最近の女の子はちょっとぐらい強い方が良いわよ』と朗らかに笑って流した。

 晃臣曰く『母さんってば誰とでもすぐお友達になるし、気がつけば懐に潜り込んで甘えられるタイプなのよね~』だそうだ。

 おかげで須田家も結衣にとってはすごしやすい空間になっている。


「雨宮さん、いらっしゃい」

「よっ、須田さん」


 階段を下りてきた晃臣が雪子とよく似た笑顔で迎えてくれる。結衣は手を上げて軽く応えた。

 どこにでもありそうなジーンズ姿に、量販店で売られている黒の無地Tシャツ。ありふれた格好だが、長身でスタイルの良いイケメンが着ているだけで何やらスタイリッシュな雰囲気が醸し出されるから不思議だ。


「母さん、ジュース貰っていって良い?」

「かまわなないわよ。結衣ちゃん、リンゴジュースは嫌いじゃなかったかしら?」

「大好きです! ありがとうございます!」


 優衣の返事に楽しそうに頷き、ジュースを入れてくれた雪子。グラスが二つ乗ったお盆を晃臣に手渡し、『あとでアイスでも持っていくわ』と台所に消えていった。


「それじゃ行きましょうか。数学で良かったかしら?」

「できれば化学も……もう数字とアルファベットが頭の中でグルグルしてる……」


 階段を上りながら、今日教えてもらいたい科目を告げる。今日、結衣が須田家にやって来たのは、夏休みに出ている課題を教えてもらうためだ。


「理数系苦手だったのね~。それでも期末ではいい点数とったって聞いたけど?」

「平均点は超えてる。でもなんていうか、無理やり教科書内のことを覚えて取り繕っただけっていうか……。結局根本が理解できてないから応用とかボロボロだったし……」


 通された晃臣の部屋は相変わらずシンプルで落ち着いた内装だった。唯一、作りかけであろう作品の布が勉強机におかれている。


「そっちのクッション使って。それにしても、ちゃんと理解しようと頑張るんだから、雨宮さんは偉いわよね~」

「私にとったら死活問題だ。もう少し成績上げねぇと特進クラスに入れないかもしれないし……」

「雨宮さんは特進を目指してるの?」


 ジュースをもらい、勉強道具を机に広げながら首をかしげる晃臣を見る。今のところ学年一位。特進クラスに間違いなく入ることのできる男に言われると何となくムカッとくる。


「大学は行って良い、ってお父さんは言ってくれてるんだ。でも私立と国立じゃあかかる費用も違うだろ? できるだけ負担はかけたくないし……」

「そう……。もしかしてもう将来やりたいことが決まってたりする?」

「いや、それはまだ……」


 別段なりたい職業があるわけではない。何か夢はないのかと聞かれても、これと言って思い浮かばない。小さい頃はケーキ屋さんになりたいと言っていた覚えがあるが、あれは母が作ってくれたケーキが好きで毎日食べられるようになりたいから、という理由だった気がする。


「そういう須田さんは何か目標があったりするのか?」

「そうねぇ。大学の学部は経済学部かな、と思ってるけど」

「なんで? 須田さん、服作るのすげぇ上手いのに」


 結衣は目をぱちくりと瞬かせた。

 晃臣の趣味からして、いっそ専門学校に行って服飾の仕事でも目指すのかと思っていただけに意外な言葉に驚いたのだ。


「父親が銀行員なの。息子が言うのもなんだけど真面目で融通の利かない人なのよね。今でもこの口調や趣味に厳しいし、専門学校に行きたいとか言ったら……」

「勘当される、とかか?」

「いいえ、家の中でガチンコの戦闘が始まると思うわ」

「…………はぁ!?」


 雪子や小夜子を見ていると何だかんだで仲が良く温かい家庭なんだなと思っていたが、まだ会ったことのない父親とは確執があるのか、と心配したのだが――。

 晃臣の溜息と同時に飛び出してきた言葉に耳を疑った。


「前に言ったでしょう。母方の祖父母が古武道教えてるって。で、父はそこの弟子だったわけで、当然、姉さんやわたしと同じく柔術もできるわ。しかも一番弟子だったのよ」


 それは以前聞いて知っている。だが今のところ武道の力を見たのはショッピングモールでの一件だけだ。確かに晃臣の動きはとても綺麗だったし、一瞬で男を地面に倒していたところから見て腕も良いのだろう。


「でも須田さん、よく小夜子さんに伸されてるじゃないか」

「いくらゴリラみたいな力持ってる姉さんと言っても、さすがに女性に思いっきり手を上げたりしないわよ! 姉さんだって手加減してるもの!」

「ゴリラのくだりはちゃんと伝えておくな」

「やめて!!」


 顔色を青くさせたところから、やはり小夜子が怖いのは怖いらしい。


「ごほん! まあお祖父ちゃんから暴力には使わないようにきつく言い含められているから普段は絶対そんなことしないけど、父さんも一番弟子だったから、本気でやりあえばそれなりの勝負になると思うわ」


 やりあうなら負けない、と晃臣の目が語っていた。やはり彼の中には〈須田様〉が存在していると結衣は思う。


「……やりあわねぇの?」


 教科書をペラペラめくりながら課題の個所を探している晃臣。結衣も同じように教科書を見ながらちらりと彼を見る。

 本当に服飾関係につきたいのなら、そういう道を経るというのも一つの手段だ。もちろん結衣は他人だから言えるのだろうし、晃臣の内面など分かるわけもない。だが、いつも彼が服や小物を作る時にどれだけ生き生きした姿をしているのかはちゃんと知っている。


 何を作るか考えている時も、作っている時も、それを着た結衣を見る時もとても輝いた笑顔をしていて、『ああ、晃臣は本当にこういうのが好きなんだな』とごく自然に理解することができた。

 熱が入っていることも分かるから、たとえ親と喧嘩してでもやりたいことがある道に進んでもおかしくないと思っていたのだが――。


「そうねぇ。服を作る職業につければ、と思わないこともないんだけど……そういう世界って狭き門ってイメージない?」

「そりゃあ、まあ……」


 服を作る会社で、その機械を動かす。というのならばまだ門戸も広い気がする。しかし、晃臣がやりたいと思っているのはおそらくデザインや、自分のオリジナルの服を作ることだ。

 そういう世界で生きていくというのは門戸も狭ければその後の道も険しいだろう。


「そこにね、飛び込むかって言われるとやっぱり躊躇うわけよ。服を作ることは好きだし、独学で技術を習得してるけれど、やっぱり趣味と仕事は違うと思うし」

「……須田さんの方が偉いじゃん」

「うん?」

「私なんかよりさ。ちゃんと将来考えてると思うぞ。夢見がちなオネエかと思ったら、しっかり現実的な考えも方もしてるしな」


 きょとんとした顔をした晃臣は、いつものようにふわりと笑う。出会った当初は少しなよなよしているなと思っていたが、この優しい笑顔を結衣は嫌いではない。


「ありがとう、雨宮さん」

「別に礼を言われることじゃねぇよ」

「うふふ。だって嬉しいんだもの。あ、でもオネエではないからそこは訂正しておくわね」

「そこが一番訂正しなくて良いところだろ!?」

「何言ってるの! わたしは男なのよ!」

「だから説得力ねえ!」


 胸に手を当てながら力説する晃臣に、いつもと同じく対抗する結衣。

 結局、二人が勉強を始めたのはたっぷり一時間が過ぎてからだった。




※※ ※ ※ ※




 言い合いが終わり、勉強をこなしてから二時間ちょっと。窓から差し込む光は少し赤みを増し、夕暮れが近づいてきていることを示していた。


「あ~……。頭の中を数字とアルファベットが踊ってるぞ……」

「お疲れさま。雨宮さんは一から十まで順番に理解していきたいタイプなのね~。もっと大雑把な感じかと思ってたわ」

「おい、喧嘩売ってんのか?」


 ギロリと睨み上げれば晃臣は慌てて手を振った。


「売ってないわよ。真面目でしっかりした性格はやっぱりお姉さんだからかな、って」

「こんなところで性格出てるってか……」


 それで勉強につまずいているとしたら良いのか悪いのか。


「基本はできていたから大丈夫よ。あと文章問題はもう少し軽く考えればいいと思うわ。数学なんだから必要なのは数字とその周囲の文だけよ。あとはまわりくどく書いてることもあるからあまり真剣に読み込まないことね」

「計算の答えを求めてるくせに、文章で引っかけるとかズルいぞ……」


 ぐったりと机に伏せれば、晃臣の苦笑が聞こえた。


「まあ、それぞれ慣れた解き方っていうのもあるから、わたしのやり方があっていたかっていうとあれなんだけど……」

「そんなことねぇよ。須田さんの説明分かりやすかったし」

「そう言ってもらえると嬉しいわ」

「こちらこそ、教えてくれてありがとう。お礼にはなんねぇかもだけど、また弁当作るわ」


 服を作ってもらったり、流行りや似合うものを教えてもらったりしている上に今回は勉強まで面倒を見てもらってしまった。

 だが、結衣が返せるものと言ったら弁当やお菓子を作って渡すことだけだ。


「気にしなくて良いのに。今日だって何かお母さんに渡してくれてたでしょ?」

「オレンジゼリーとお父さんが働いてる居酒屋のレシピで作ったつくねだ! 私も食べたけどすごく美味しかったぞ!」

「ふふ、夕飯楽しみにしておくわ」


 父親の働いている居酒屋の店主は、堅物で寡黙だが料理の腕はとても良いらしい。他のレシピも教えてくれるように父から頼んでもらっているから、もし教えてもらえるならそれも晃臣に披露しようと結衣は考えた。


「そういえば雨宮さん。吉川さんから夏祭りの連絡来た? わたしには岡田から来たんだけど、雨宮さんも誘ってるって」

「ああ、この間来たよ。神社での夏祭りだっけ?」

「そう、蘇芳神社。行く?」

「そりゃもちろん! 前のプールと一緒で外せない行事だしな!」


 八月の頭に行ったプールはかなり楽しかった。クラスメイト十人ほどが集まったのだが、特に浮くこともなく輪の中に入は入れたし、女子からは吉川を筆頭に学校内のことや学校周辺の話も聞くことができた。

 しかもこれぞ学生の醍醐味、恋バナもすることができたのだ。


 一緒によくいるせいか結衣は晃臣との仲を疑われたが、そこはちゃんと〈学校の王子〉須田晃臣が面倒見がよく、家が隣故の責任感だと関係を否定しつつ株を上げておいたので大丈夫だろう。

 そして今度は夏祭り。これもまた学生生活では必須のイベントだ。


「良かった。それなら当日にこれを着てきてほしいの!」


 言いながら晃臣がクローゼットから取り出したのは、なんとワンピースだった。


「え、これって……!」

「夏休みに大作仕上げるって言ってたでしょ。それよ! さすがに今回は材料費もちょっとかさんじゃったんだけど……」

「払うに決まってるだろ! というか材料費に上乗せしろっていつも言ってんのに!」

「だって雨宮さん、お弁当やお菓子の材料費受け取ってくれないじゃない」

「元値と労力が違いすぎるだろうが!」


 夏らしく水色のワンピース。フレアの裾は短めだが、肩を出さない半袖であることや、丸襟と袖口に施された控えめなレースが清楚さを出している。さらに腰の部分を少し濃い目の幅の太いリボンで結ぶことで可愛らしさも演出していた。


「ほ、本当にこれ貰っても良いのか? いやもちろんお金は払うけど……」

「貰ってくれなきゃ困るわ。これは雨宮さんに似合うように作ったんだから」


 晃臣の力作。世界に一着しかない結衣のためのワンピースだ。

 いくら作るのが好きで慣れていると言っても、これだけの物を仕上げるにはかなりの時間と手間を要しただろう。

 結衣はワンピースを受け取ると、皺にならないように気をつけながらギュッと抱きしめた。


「だ、大事にする! 夏祭りにもちゃんと着ていくからな!」


 確かこれに合いそうな白いミュールがあったはずだ。夏用のバッグもこの間気に入った物があって買っておいた。

 結衣の反応と返事に満足したのか、晃臣も飛び切りの笑顔で頷いてくれる。

 やっぱりもっとちゃんとしたお礼を今度考えよう。そう思いながら、手に触れる布地の感触に結衣は自然と頬が緩むのだった。

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