想像が騒々しいお買いもの①
夏の日差しがさんさんと降りそそぐある日。眩いばかりの青空の下で結衣は目的の場所を前に気合を入れた。
「よし、到着だ。トキワショッピングモール!」
目の前に広がるのは、広大な敷地を利用しさまざまな小売店や飲食店を一つにまとめた商業施設。郊外にあるため電車やバスを乗り継いでやって来たそこは、結衣にとっては初めての場所だった。
「おお、話にしか聞いたことなかったけどほんとにいろんな店があるんだな。これだと絶対良いのが見つかるって気がしてきた! な、須田さん!」
「…………ええ、そうね」
ワクワクしながら本日の同行者である晃臣を振り向けば、彼は疲れ切った顔で項垂れていた。
「どうしたんだ? あ、バス酔いか?」
「いいえ、それは平気。それより雨宮さん……ほんとにわたしも一緒に行かなきゃダメ?」
「何言ってんだ、当たり前だろ。須田さんがいなかったら目的を果たせないじゃないか」
「いえおかしいわよ、絶対今日は女の子同士で買い物に来るべきよ。何でわたし今ここにいるのっ!?」
顔を覆ってしゃがんでしまった晃臣を前に、結衣は仁王立ちのまま息をついた。
八月に入った今日、結衣たちがここに来たのにはもちろん理由がある。その始まりは昨日。夕飯を食べ終えたあと結衣がスケジュール帳を見たことから始まった。
* * * * *
夜、結衣はベットに横たわりながらペラペラと今後の予定を確認していた。仰向けになって見ているのは女子高生の必須アイテム、ちょっと可愛いスケジュール帳だ。
ちなみにどちらかと言えば清楚系で通している結衣の手帳はキャラ物やキラキラ系ではなく、パステルピンクの表紙にワンポイントのリボンや花、猫が描かれたものを使っている。
「明日は瞬の草野球だから弁当がいるだろ。あ、料理部の差し入れももうすぐだ」
夏休み、これといって大会などがない料理部は、各部活の顧問に依頼されると試合に出る運動部に応援を込めた差し入れをすることがある。三日後はサッカー部への差し入れの日だった。
「材料の買い出しも行かないとな~。あとは……」
理想の女の子を演じるようになってから、結衣は手帳に細かく予定を記入していた。以前は買っても白紙で終わることがほとんどだったが、これが案外やってみると助かるのだ。
予定は突然決まる時もある。話したり思いついたその時は覚えていても、時間が立てばどうしても頭の中から一つ二つ抜け落ちてしまっていた。だがこうやって書き留めておけば、あとで必ず思い出せる。
もちろん、書く癖と一日一回は見直す癖をつけるまでが少し大変だったけれど。
「あ、吉川さん達とプール行くの来週じゃん。用意しとかないと……」
来週の予定に可愛らしく〈吉川さんたちとプール♡〉と書かれたのを見つけた結衣は、その算段を立てようとしてはたと止まった。手帳を持ち上げたまましばし固まり、次の瞬間慌てて枕元のスマホを手に取る。
アドレス帳から呼びだしたのは、お隣の須田晃臣。
結衣は迷うことなくコールした。たった今思い出した緊急事態を回避するには、彼しか頼れる人物がいなかったからだ。
『はい、もしもし。雨宮さん?』
「須田さん、遅くにごめん! 助けてくれ!!」
『え、何? どうしたの?』
数秒のコールのあと出てきた晃臣に、開口一番SOSを発する結衣。少し心配げな彼の声に構う暇もなく、結衣は彼なら答えられるであろう質問をぶつけた。
「須田さん、最近の女の子が着る水着ってどんなのだ!?」
『ああ、水…………はあっ!? え、ちょっ……うわっ、いって!!』
「え、須田さん? 須田さん!?」
何やら盛大な音が聞こえたかと思うと、晃臣が悲鳴を上げた。そして数秒、スマホの向こう側から静寂が訪れる。
「お、おい、須田さん!?」
『だ、大丈夫。大丈夫、よ……ちょっと足の小指をぶつけただけだから。えっと、それで用件は……?』
声からは未だに痛みを耐えるような色が見えたが、とりあえず話を聞いてくれるようなので結衣はもう一度同じ質問をする。先ほどはこちらも焦りすぎていたため、しっかり内容を伝えようと深呼吸してから話し始めた。
「来週、吉川さんたちとプールに行くだろ?」
『ああ、そうね。それで、えっと、その……なんだったかしら?』
「だから、水着だよ水着! 私考えてみたら、市民プールとか行くのガキの頃以来なんだ。水着っていえば体育で使ってる奴しか持ってねぇし」
『うん…………』
「だから買わないといけないわけだけど、最近の流行とか全然知らないわけだしさ、須田さんに教えてもらおうと思って!」
さすがの結衣でも、友達と行く市民プールに学校のスクール水着ではダメなことぐらい分かる。かと言って今時の女子が着る水着など思いつきもしない。というか最近のものは種類が多すぎてどれが良いのか余計に分からない。
こうなると頼れるのは、あれだけの乙女服を作れる晃臣だけだった。
『いや、それなら吉川さんたちと買いに行けば良いんじゃないかしら?』
「そんなことして私のセンス悪いのがバレたら困るだろ!」
『えぇっと……じゃ、じゃあ雑誌とか見てそれに似たのを買うとか!』
「それができてたら普段の服だって須田さんに協力あおいだりしねぇよ!」
『あ~、あ~……じゃあ店員さんに聞いて選んでもらう!』
「私に似合うの一番分かってんの須田さんじゃん! 店員より信頼できるし!」
『その言葉は嬉しいけどっ、嬉しいんだけどね!』
言葉とは裏腹に何だか泣きそうな声がスマホから聞こえてくる。
いつもならすぐにこの服が似合うだの、あの色が良いだの、このデザインで作りたいだのとあらゆる提案をしてくるのだが、なぜか今日の晃臣は煮え切らない。
向こう側で『あ~、う~、さすがにそれは……』と唸っている晃臣に首を傾げていた結衣だが、ふと気づいた。
「あ、そうか。須田さんも実物見ないと分かんないとかか?」
『…………はい?』
「そうだよな。服と違って季節もんだからそんな頻繁に見ないしな。さすがの須田さんも実物見ないとどれが似合うとか言えないか」
夏限定。しかもプールや海などの場所限定の衣装だ。いくら晃臣とはいえ見る回数も少ないものをちゃんと知っているとは思えない。
結衣だってちらりと見る雑誌やこの季節流れているCMなどで目にするが、それに注目して吟味しているわけではないし、電話口で晃臣からイメージを伝えられてもそれを一人で見つけられるとは思わなかった。
ならば、解決する方法はただ一つ。
「よし、なら須田さん。明日買い物につき合ってくれ! 郊外のトキワショッピングモールの宣伝やってて、一度行ってみたかったしちょうど良い!」
『え、いやちょっと待って雨宮さん!』
「安心しろ。付き合ってもらうんだから交通費や飯代は私がもつから」
『ちがっ、そういう心配じゃなくて、わたしも男なんだから水着を選ぶのは流石に……ぐぇっ!』
何か言い募ろうとした晃臣の言葉が、なぜか悲鳴で途切れる。そのあとドタバタと騒ぐような音が聞こえたかと思うと、次に話し出したのは少し低めだが女性と分かる声だった。
『久しぶり、猫かぶりちゃん』
「へ? あ……小夜子さん?」
電話に出たのは須田姉――小夜子だった。
『そう、なんか面白そうな話してたわね。うちの弟と水着買いに行くの?』
「はい、須田さんのアドバイス欲しくって」
『なるほどね……って、うっさい晃臣! 往生際が悪いわよ!』
晃臣も傍にいるのだろう。何やら必死に制止するような声が聞こえたが、小夜子が叫ぶと同時に悲鳴に変わっている。また関節を決められているのだろうか、と結衣は少しスマホを耳から離した。
(そういえば、小夜子さんには須田さんをまともな男にしてくれっ、て頼まれてたような……)
初めて会った時、彼女は結衣に晃臣がああなった事情を話してくれた。その上で結衣を見込んで彼を男らしい男にしてくれと言ってきたのだ。
まあ、確かに結衣はそこらの男より度胸も据わっていると思うし、口は悪いわ手の方が先に出るわ仕草はガサツで女の子らしさと言えば料理の腕ぐらいだったわけだが――
(いや、そこ見込まれても嬉しくねぇだろ……)
最初の出会いを思い出すと遠い目をしてしまう。
『猫かぶりちゃーん、聞いてる?』
「うあっ、はい!」
『この愚弟を男らしくってお願いしてたのに、まさかの趣味にご協力だもの。しかもうちの母親もノリノリで一緒に服作ってたのを見た時は驚いたわ~』
「ええっと……すみません」
とりあえず謝っておいた。
もとをただせば、晃臣を乙女趣味に目覚めさせた原因の一つは小夜子なわけで。なかなか根深いというか既に染みついてしまっていそうなあの性格を強制するのは難しいと理解もしているはずなのだから、責められるのは少し理不尽な気がしないでもない。
だがしかし、この女性も怒らせるとなかなか怖いことを結衣はすでに知っている。しかも晃臣と同じように柔術を習い、晃臣すら押さえつけられることを思えば逆らうのは得策ではない。
『ま、良いわ。で? 晃臣と水着を買いに行くのよね?』
「はい! あ~……弟さんお借りしても?」
『良いわよ~。どーんどんきわどい水着選んで試着して見せつけてやりなさい!』
「は…………?」
『これ以上弟を乙女道に堕とす気か!?』と怒鳴られることを覚悟していたのだが、意外にも小夜子は快く了承した。しかも、だ。何やらあのクールな容貌からは想像できないぐらいはしゃいだ声を出している。
『ワンピースも清楚なのに水着っていう矛盾がなかなか良いけど、男の本能を呼び覚ますならビキニよビキニ! 晃臣だって乙女趣味でも健全な男子高校生! 女の水着姿に興奮しないはずはない!』
『ちょっ、やめて姉さんーっ!!』
『黙れ弟よ!! お母さんが測った猫かぶりちゃんのサイズ表を見たけどなかなか良い感じのナイスバディじゃない! これを水着で見られるのよ! しかもあんたが選んであげる水着でね!』
『ダメでしょう! それはダメでしょう!? だから断ろうとしてたのに!』
『はんっ、やはり想像してたのか! ならやっぱりついて行きなさい! そして男の本能を覚醒させて戻ってこい!!』
『いやぁーっ!!』
ドタンバタンと激しい物音が聞こえてくる。そっと部屋のカーテンを開けると、隣家の明かりに透けて何やら締め上げられている人影が見えた。
忘れていたが結衣の部屋と晃臣の部屋はほぼ隣の位置にある。距離はもちろんあるのだが、スマホから聞こえてくる二人の騒ぎ声と暴れている影さえ見ればだいたいの状況は把握できた。
「はげしいな……」
結衣も瞬とは兄弟げんかをやらかすが、まだ瞬が幼いこともあってどちらかといえば結衣が一方的に怒り、瞬が口答えしてくるぐらいが関の山だ。手を出すにしても拳骨を落とす程度。須田姉弟の――おそらく晃臣の性格からして姉が一方的に締め上げているのだろうが、あそこまで派手なものはなかなかない。
それから数十秒すると、スマホの向こうからは完全な静寂が訪れた。まず間違いないだろうとは思っていたが、少し息切れした口調で出てきたのは小夜子だ。
『悪いわね、待たせて。こいつったら無駄に体力はあるから落とすのに時間かかったわ』
「……須田さん、生きてます?」
『大丈夫よ。筋肉は私が認めるぐらいで良い体してるもの』
「はあ……」
正面切って聞いたことはないが、やはり小夜子はマッチョ好きであるようだ。
『てなわけで、明日こいつを引きずってでも連れて行ってちょうだい。良いわね』
「ええ、まあ。私はその方が助かるんで良いんですけど、須田さん出てきてくれるんでしょうか?」
『大丈夫。行かなきゃこの子のコレクション全部燃やすつもりだから』
笑いなど一切含まない平坦な声。これは確実にやる。須田小夜子はやると言ったらやるタイプだ。
そしてそんなことになった場合、きっと晃臣が鬱陶しいぐらいに落ち込み、『新作! イメージ! 今までの分全部作り直すわ! 雨宮さん協力して!』と、結衣にまとわりついてくる未来まで浮かんでしまった。
「……いろんな平穏のために引きずってでも連れて行きます」
『そ、じゃあよろしくね~』
軽く歌うように言って切られた電話。ツーツー、という無機質な音を聞きながらもう一度外を見ると、晃臣の部屋の電気が消える瞬間だった。
(須田さん、明日元気に起きてこられると良いけど)
おそらく今床に放り出されているであろう彼を思い、結衣も就寝の支度を始めるのだった。
* * * * *
そんなひと悶着があった翌日の今日。悲壮な顔をした晃臣は朝から小夜子に背中を蹴り出され、電車やバスは結衣が無理やり乗せてここまでやって来た。
小夜子が手加減したのか、彼女が言うとおり彼が丈夫すぎるのかは分からないが、心配していた怪我はないようだった。
「須田さん、ここまで来たんだからもう諦めろよ……」
しゃがんだまま立ち上がろうとしない晃臣に焦れて、結衣は溜息と共に吐き出した。本当に嫌なのか涙目で見上げてくるイケメン。これは傍から見たら結衣が彼を虐めているようにしか見えないのではないだろうか。
「姉さんの言いつけどおりここまで来たし……帰っちゃダメ?」
「小夜子さんの指令では須田さんのスマホで私の水着姿を撮ってこい、とあったぞ」
「なら貸すから他の人に撮ってもらって!」
「ツーショットもお望みだそうだ」
「あ~っ、もう!」
ガシガシと頭を掻きむしりうずくまる晃臣は、ついこの間弓道の大会で優勝した彼とは思えないぐらい情けない姿だった。
「あのね、雨宮さん……わたしと水着を買いに行くってことは、その……私がその姿を見るってことなのよ?」
「んなの、プールにだって一緒に行くんだからちょっと早いか遅いかの違いだろ」
昨夜の電話からでもなんとなくは伝わってきていたが、どうやら彼は結衣の水着姿を見るのが失礼にあたるのではないかと思っているようだった。
しかし、どのみち遊びに行く時は一緒なのだから今見てもあとで見ても同じだと思うのだが。
「よく考えて! ただ見るだけじゃなくて一緒に選ぶのよ! だからっ、その、つまり! どの水着が似合うかなってわたしがずっと雨宮さんの姿を想像することになるわけよ!」
「んなの、いつも私に似合う服考えてるのと一緒だし」
「面積が違うのよ面積が!!」
赤くなったり青くなったり、果ては泣きながら怒っていたりとなかなか今日の晃臣は忙しい。すでに到着して十五分。彼は未だに入り口から動こうとしない。むしろそのせいで余計に周りからの注目を集めてしまっている。
蘇芳高校の校区からは大分離れてはいるが今は夏休みだ。結衣たちと同じように遊びに来ている者がいないとは言えない。
結衣はまだしゃがんだままの晃臣の腕を取った。下手に知り合いに見つかる前に店に入って人込みに紛れてしまいたい。
「ほら、あとで好きなもん奢ってやるから。さっさと行くぞ!」
「いやぁ! 雨宮さんお願いだから恥じらいをもっと持ってよ! 男に水着姿をいくつも想像されて恥ずかしいとか思わないわけ!?」
「水着着てんだから問題ないだろ! てか須田さん乙女じゃん!」
「趣味がね! 何度か言ったことある気がするけど、わたしはれっきとした男なの!」
「だったら男らしく潔く諦めて着いて来い!」
結局のところ、結は一人ではちゃんとしたものが選べないと分かっている。
夏休みのクラスメートと行くプール。クラスに溶け込む〈理想の女の子〉としては、このイベントを失敗するわけにはいかない。まして、美少女と噂されている結衣が水着で失敗することなど言語道断。喚いて嫌がって泣いていようが晃臣は連れていかねばならないのだ。
「ちょっ、腕引っ張らないで! 胸がっ……雨宮さん後生だから放してー!!」
「ええい、問答無用!」
引きずられながらも逃げ出そうとする晃臣。その腕を放してなるものか、と一際強く抱き込み結衣はショッピングモールの中へ歩みを進めるのだった。