世話焼き系ライバル
弓道大会午後の部。腹を満たした晃臣は個人戦にも出るらしい。午前中に行われた団体戦は、男子が見事三位通過。県大会へは出場できることが決まった。
ここ数年は入賞が限界だったらしく、部員たちは大いに沸いていた。功労者である晃臣を寄ってたかって滅茶苦茶にしていたから、その喜びは推して知るべし。
お昼時に小島誠の襲来という嵐があったものの、午後の試合が始まる前には晃臣も元の様子に落ち着いていた。もう間もなく出番ということで、先ほど客席から試合会場の方へと降りて行ったところだ。
結衣は弓道部の好意で彼らの応援スペースにお邪魔している。
「弓道って、こう……言い方は悪いかもしれないですけど部活ってイメージはなかったんですよね」
「そうね。確かに部活動ではあんまり見ないかもね」
「まず弓道をするためのスペースや安全性を確保するのが難しいもの。まかり間違って人に当たるようなことがあったら大変だし」
「うちはほら、隣が弓道場だから自然と続いてるみたいよ」
女子部員たちに基本的なルールを教えてもらいながら、結衣は試合会場を見る。地区予選とはいえそれなりの人数がいる。
正直なところ、部活動で弓道をしている高校生がこんなにいるのかと驚いたものだ。
「あの弓道場は昔からあるんですか?」
「えっと、十五年ぐらい前にできたみたい。弓道場って、市や県が経営する運動公園とかに併設されているのが多いんだけど、あそこは個人経営なのよ」
「経営者さんが弓道やってた人で、日本の伝統を学ぶって理由で最初は生徒が授業かなんかで見学に行くようになってたみたい」
「そのあと興味持った子が部活立ち上げて……っていうのが部設立の過程ね」
そういえば弓道場の隣にはかなり大きな家が建っていた。おそらくあの家がその経営者の家なのだろう。
個人経営とはいえそれなりに広く綺麗な道場だった。設備もちゃんと整っているようだったから、蘇芳高校の面々としてはありがたいことだろう。そこに入部した晃臣。
『もうこんなに筋肉つくとは思わなかったのよ~』
などと嘆いてはいたが、決して祖父母がその道にいたからやっているというだけではないだろう。中高と自ら部活に入っているようだし、彼ほどの実力をつけるためには真剣に取り組んでいなければできないはずだ。
「あ、須田君出てきたわよ」
「個人戦じゃ圧倒的に優勝候補らしいわね」
出番が近くなったようで、待機場所に入る晃臣が見えた。何度見ても姿勢や一つ一つの動作がとても綺麗だと思う。
(なんつぅか……私が言うのも変だけど、別人だよなぁ)
集中するために精神統一をしているのか、静かに目を閉じて待っている姿も。違う選手の結果を確認するためにゆっくり目を開けて前を見据える姿も。いつものどこかふにゃっとした空気はなく、どこからどう見ても頼りになる男だ。イケメンな上に男前度合いも上がっている気がする。
(これ作った奴には見えない……)
今着ている服を見下ろして結衣は苦笑する。
『この腰からふんわり広がるところがポイントよ! シンプルなデザインの中に見えるちょっとした女の子らしさが自然で嫌味がなくて良いのよ!!』
と、力説しながら渡されたのは記憶に新しい。目はこれ以上ないぐらい輝いていたと思う。
そうこう回想している間に晃臣の出番が回ってきたようだ。立ち上がり所定の位置に着く。だがその時――
「きゃーっ、晃臣君頑張って!」
「かっこいいー!!」
突然、結衣たちから少し離れた所で甲高い声が響いた。
ちらりと声のした方を見れば、午前の試合の時、晃臣に声をかけていた女の子達だ。他校の制服を着た少女が五人そろって歓声をあげている。
他にもいくつか声援を送る者はいるが、彼女たちほど響き渡る大きさではない。
「あれって、良いんですか? なんか、もっと静かに応援するものだと思ってたんですけど……」
「ん~、応援は禁止されてるわけじゃないの。でもまあ、競技が競技だからあからさまなやつは暗黙の了解で誰もしないんだけど……」
女子部員は彼女達を見て溜息をついていた。
「あんまり酷いと審判の人達から注意が入るんだけど、すぐには無理だろうな」
「あ、須田の奴ちょっとブレた」
部員たちの言葉に会場を見れば、晃臣が一本目を終えたところだった。確かにいつもより外側に当たっている。
「緊張もあるんだろうけど……」
「大丈夫か、あれ?」
一本終えた後は少し時間があるらしい。だが、まだ五人組の声援は続いている。彼女たちにしてみれば好意からの応援なのだから悪気はないのだろうが――。
小さく息をついた晃臣に気づいて、結衣は立ち上がった。
「ちょっと注意してきます」
「え? いや、やめときなよ雨宮さん。向こう人数多いし」
「大丈夫です。大声やめてもらうだけですし」
隣にいた女子部員にニコッと笑って五人組に近づく。
悪気はなくても、真剣にやっている晃臣の邪魔になるのなら意味はない。彼が練習をどれだけ頑張っていたかを見ていた結衣は許せなかった。
先ほど女子部員に見せた笑顔を消し、真面目な顔をして少女たちの後ろに立つ。
本来なら眉間に皺を寄せて怒鳴りつけてやりたいところだが、そこはグッと我慢する。素をバラすわけにもいかないし、今日の主人公である晃臣や弓道部に迷惑をかけるわけにもいかないのだから。
「あの、すみません」
「え?」
「なに~? あ!」
声をかけると、振り向いた少女たちは結衣に気づいて目を見開いた。だが、次の瞬間には顔をしかめてこちらを睨みつけてくる。
ニッコリと笑いかけながらも、こめかみが引くつくのを感じた。
(初対面の人間睨みつけるとか、いい度胸じゃねぇの)
話や喧嘩をしたこともなければ挨拶も、ましてや陰口や嫌味すら言っていない結衣を五人の内三人は睨みつけてきた。だが人数が多いとはいえ、ここで後ずさるような性格を結衣はしていない。
「蘇芳高校の弓道部関係者です。すみませんが、もう少し応援の声を小さくしてもらえませんか? 選手を集中させてあげたいんです」
あえて晃臣の名は告げずに話す結衣。しかし少女たちはヒソヒソと小声で話し合うと、代表なのか一番気の強うそうな一人が前に出てきた。
「何? あんた晃臣君の彼女なわけ?」
おそらく彼とも初対面だろうが既に名前呼びにしている少女。その感覚にも結衣は合わなくて苛立ちを覚えたが、ここは我慢である。
「いえ、違います。でも彼にはお世話になってるのでその関係で応援に……」
「あ、分かった! あなたがつきまとってるんでしょ!」
「はい?」
「手作りのお弁当持ってくるとか、ちょっと引くよね~」
結衣の話を最後まで聞かず、後ろにいた女の子達が次々と声を上げる。その甲高い声にもだが、発される内容に苛立ちは増えるばかりだ。
今すぐ右手を振り上げて下ろしてやりたい気分だが、『私は女の子。理想の女の子。暴力ダメ絶対!』と心の中で念じ続けて口を開く。
「そういう関係じゃありません。純粋に応援に来たんです。だから、邪魔になるような大声はやめてもらえませんか?」
「そんなの晃臣君本人が言ったわけじゃないんでしょ? あたしたちだって彼に頑張ってほしいと思ってるから応援してるの」
「そうそう。あたしたちも純粋な応援なのよ! それを止めるとか自分が特別なつもり?」
「彼女じゃないなら、恋人面しないでよね!」
「そうよそうよ!」
一人が対抗すれば次々と便乗する少女たち。いつ誰が恋人面をした、と結衣は大きく溜息をついた。
これはダメなパターンだ。彼女たちは昼から晃臣といた結衣に敵愾心を持っている。そんな人物の忠告を聞いてくれるような雰囲気ではない。
さらに、自分たちに全く顔を向けなかった晃臣の視界に少しでも入りたいと思う気持ちもあるのだろう。だからあれほどに大声を出しているのだ。
「あのですね。だからっ……」
「でしたら貴女方は、蘇芳高校の人間でもないのに何様のつもりですか?」
結衣を気に入らないのは別にかまわないが、晃臣の邪魔はしないでほしい。そう思って再度注意を促そうとした結衣を遮るように、後ろから凛とした声が響いた。
驚いて振り返ると、そこにいた一人の少女に結衣は目を丸くする。
「うわぁ、美人……」
つい小声で口をつく言葉。結衣の目の前には、黒髪をなびかせた美女が立っていた。大人っぽく見えるが、その身が纏っているのは蘇芳高校の制服だ。微かにウェーブがかった髪を揺らして、美女はチラリと結衣を見る。
少しきつめの目元が結衣を数秒見つめたかと思うと、彼女はすぐに五人組に視線を移し前に進み出た。
「耳障りな応援だと私も思っていましたけど、この方が注意をしたから静観するつもりでしたわ。子供ではないんですから、それぐらい聞けると思ってましたし」
「な、なによ! 純粋に応援してるだけって言ったでしょ!」
美女に気圧されたのか、強気な少女の声も少しどもっている。
「それが須田君の邪魔になるのなら意味がないのでは? 射る前と後ならまだしも、一番集中しなくてはならない時に大声を上げるとか、邪魔だとしか思えませんわ」
「そんなこと、あんたが決めないでよ!」
「あら、でしたら正式に抗議させていただいてよろしいのね?」
「え……?」
まったくと言っていいほど表情を変えず、冷たい視線のまま美女は告げた。美人が怒ると怖いというが、冷たい表情のまま見下すように言われるのはかなり迫力がある。
隣にいる結衣ですら少しゾッとしたのだから、正面から見られている五人組はたまったものではないだろう。現に、及び腰になっている者も何人かいる。
「私とこの方の注意に納得がいかないというのなら、蘇芳高校の名前で正式に審判団に抗議させていただきますわ。貴女方の応援が邪魔で選手が競技に集中できない、と」
「こ、このぐらいで、そこまでする!?」
「言いましたでしょう? 貴女方は蘇芳高校の人間ではないんです。それが集中の邪魔をするのなら、そちらの高校がこちらを負けさせるために妨害してるとしか思えませんもの。正式に抗議しても問題ないと判断しています」
「ちょ、ちょっと!」
「貴女もそう思いません?」
「え!?」
急に話しを振られ、結衣は一瞬体をびくつかせた。しかし美少女の真剣な目を見て気を持ちなおすと、もう一度五人組を正面から見つめた。
「あなたたちが大声をやめてくれないのなら、それもありだと思う。ここに来てるってことは弓道のこと少しは知ってるんだよね? だったら、須田君を集中させてあげてほしいんだけど……まだ分かってくれない?」
敬語をやめて、言外に大声をやめないなら本気で行動を起こすぞと伝える。少し睨んだのも効いたのか、少女たちは焦ったように『行こっ』っと言いながら会場を出て行った。謝りもしないのは最後の意地だろうか。
ようやく静かになったと小さく息をついて試合を見れば、晃臣が二本目を射る体制をとっていた。固唾を飲んで見守る中、次の矢は見事真ん中を捉える。
「やった!」
ついつい嬉しいくて小さくガッツポーズをとる。そんな結衣を、隣にいた美女がジッと見つめていた。
「あ! あの、ありがとうございました。注意してくれて」
「当然のことをしたまでです。あんな低能な人間に、須田君の邪魔をされたくありませんもの」
「はあ……」
ツンと澄ましたように言い切る美女に、結衣は曖昧に頷いた。
改めて見ると、晃臣のようにとても姿勢は良いが、弓道をやっているようには見えない。どちらかと言えばあまり重いものも持てなさそうな華奢な体系だ。しかも言葉づかいがお嬢様っぽい。
晃臣の知り合いだろうか、と考えていると、彼女は結衣を上から下まで舐めるように何度も見る。何事かと片足を引けば、美女は少し詰め寄ってきた。
「時に貴女、日焼け止めは塗っていまして?」
「へ?」
「日焼け止め、です」
突然何を聞いてくるのかと思ったが、やはり美女。迫力があるため勢いに負けて首を横に振った。
「では日傘をしていらしたの?」
「う、ううん」
「なっ、貴女何を考えてますのっ。浅葱!」
「はい、お嬢様」
「うわ!」
結衣の返答に盛大に顔をしかめた美女は、誰かに向かって手を差し出した。そこに、いつの間にいたのかスーツをきっちり着込んだ男性が立っており、美女の手に折りたたみの日傘を乗せる。
(いつからいたっ!? てか、やっぱお嬢様なのか!)
浅葱と呼ばれた男性の登場に目を白黒させている結衣に気づかず、美女お嬢様はツカツカと近づいてくると腕の中に日傘を押しつけてきた。
「この暑い中、日焼け止めも日傘もしないなんてっ! せっかくの白い肌が台無しになるじゃないの! 須田君の隣に立つならもう少し気を遣いなさい!」
「え? え?」
「少なくとも顔は合格。性格もミーハーな馬鹿ではないですし、須田君の為に動くところも好感はもてますわ。だというのに身だしなみや美容に気を使わないなんて……。須田君に見合うままでいられるよう、努力を続けなさい!」
いったいなんの話をしているのか、と思っている結衣に言いたいことだけ言い、美女はくるりと背を向けた。
しかし一歩踏み出したところで慌ててもう一度向き直り、彼女は試合会場をじっと見つめた。結衣もそちらに目を向ければ、晃臣が三本目を綺麗に当てた瞬間だった。
見事な命中に、会場全体が沸き立つ。
「さすが、素晴らしいわ」
ほうっと感嘆のような溜息と共に零れ落ちた美女の呟き。彼女の目は先ほどの冷たい感じが嘘のように柔らかく、うっすらと頬を染めて晃臣を見ている。
礼を終えるまで彼を見ていた美女は、結衣の視線に気づいて表情を引き締めた。
「そういえばまだ名乗っていませんでしたね。私は一乗寺宝と申します。こちらは護衛で運転手の浅葱」
一乗寺嬢の紹介に控えている男も軽く会釈してみせる。
「日傘は二学期に返していただければ結構です。くれぐれも日焼けはしないように。肌の手入れは怠らないようにしてくださいね。あと髪焼けにも気をつけること。よろしいわね!」
「は、はい……」
勢いに押されて頷く結衣に満足したのか、一乗寺は髪を翻し、浅葱を引きつれて会場から颯爽と出て行った。
押し付けられた日傘と出入り口を交互に見やり、結衣は本日二度目の嵐に呆然とするのだった。
* * * * *
夕方、試合を最後まで見ていた結衣は晃臣と帰路を共にしていた。
少し気温が下がったとはいえまだ暑く日差しもある。結衣はあのお嬢様に言われたことを忠実に守り借りた日傘をさしている。
「一乗寺さんね……知り合いではないけれど有名よ。ほら、前に言ってたでしょ。茶道部に入った旧家のお嬢様」
「ああ~、その人か」
帰り道、本日出会った二度目の嵐のことを晃臣に聞けばそう返された。さしている日傘を見上げれば、外は薄いピンクで、中にも遮光用の素材が使われている。柄の部分は結衣には分からないが、何か高そうな木だと思われる。
「これは家帰ったらきっちりしまっとかないとな……。壊しそうで冷や冷やする」
「そうねぇ。でも日焼け止めや日傘は女の子には必須よ。いくら雨宮さんの元が良くても紫外線で将来台無しになっちゃうんだから!」
「分かった、分かったよ! 今度買うから頬を突くな!」
むにむにと頬を押され、結衣は払うように晃臣の手を遮る。彼は『ひど~い』などと言いつつもニコニコとこちらを見下ろしていた。
「何?」
「ううん。今日はありがとう。おかげで優勝出来ちゃったわ」
「別に私のおかげじゃないだろ。あいつら注意してくれたのは一乗寺さんだし、優勝できたのは須田さんがちゃんと練習してたからだ」
そう、晃臣は個人戦で見事に優勝した。一本目はやはりあの応援で集中し切れなかったらしいが、その後はしっかりと立て直し、二位と差をつけての優勝だった。
「でも最初に動いてくれたのは雨宮さんだったって、先輩から聞いたもの。それに、美味しいお弁当で活力もばっちりだったしね」
「そりゃどうも……」
面と向かってお礼を言われるとなんだか恥ずかしい。日傘を傾けて顔を隠した結衣の耳に、晃臣の苦笑が聞こえてきて少し悔しかった。
「それからその服も、可愛く着こなしてくれて嬉しいわ~」
「これは、お礼言うのは私の方だろうが! って、おいコラ!」
服をつまんで言えば、晃臣は結衣の手を取ってクルクルと回してくる。
「だって、自分の作品を着てくれる子が現れるなんて思ってなかったもの! それにこんなに似合うのよ。わたしがお礼を言うのは当然よ!」
「いやおかしいだろ。理想の女の子づくりに協力してもらってるのは私なんだから」
「いいのいいの! わたしにしてみれば、夢が一つ叶ったんだから! 地区大会も終わったしこの夏はもっと頑張るわよー!!」
「県大会もあるんだからほどほどにしろっ。てかこっちのお礼が追いつかねぇから抑えてくれーっ!!」
優勝の嬉しさも相まってかかなり浮かれている晃臣。手を繋がれたまま、まるで踊るように引っ張られて結衣は叫ぶのだった。