(個性的)生徒会発足
期末テストの結果通知。それを受け取った結衣はホッと安堵の息をついた。
全教科の点数が載せられた紙の右端には三十二位の文字。一学年六クラスで、一つのクラスは三十人前後。それを思えばこの順位は良い方だと言えるだろう。
(でも、二年から設けられる特進クラスに入るならもう少し上じゃないとな……)
蘇芳高校は公立高校だが、二年からは一クラスだけ国公立大学や難関私学を目指す〈特進クラス〉が設けられる。授業のコマ数が他クラスより多くなり、内容も上を目指すために難しくなるクラスだ。しかしその分、塾などに行く必要がなくなるのがメリットとしてあげられる。
塾費用は高い。父子家庭の結衣の家は余裕を持てる蓄えがあるわけでもないし、この先、瞬の進学費用だって必要になってくる。だからこそこの特進クラスに入っておきたい。
入れるのは希望者の成績上位者二十五名まで。上位者が全員、国公立大学を目指すわけではないだろうが安全を考えて二十五位以内。できれば十位代に上がっておきたいところだ。
「雨宮さん、成績どうだった?」
「ん? ん~、まずまずってところかな。こっちの学校の方が授業進んでたからちょっと焦ったんだけど」
クラスメイトの吉川がやって来てにこりと笑った。彼女の中学校から蘇芳高校に来た人間は少ないため、このクラスの中でも結衣とよく喋ってくれる子だ。
明るくて話題が多いのも付き合いやすい特徴かもしれない。
「転校したてだもんね。でもでも、これで一区切りついたんだし。一度勉強のことは忘れて夏休みにパーッと遊ぼうよ!」
「そっか、明後日から夏休みだもんね」
「そうそう! あのね、クラスの何人かでプールに行こうって言ってるんだけど、雨宮さんもどうかな?」
その誘いに結衣の目はキラリと光った。結衣の目指す〈理想の女の子〉がクラスメイトの集まりを蹴るわけがない。
「私も行きたい! 近くにプールあったっけ?」
「電車で二駅先に市民プールがあるんだ。男子も混ざってるけど平気?」
「うん、大丈夫!!」
転校してからようやく一か月以上経った。晃臣と衝撃のカミングアウトをし合い、お互いをカバーしながら慣れない町や学校に四苦八苦していた日々。何とか形になってきたかと思えばそのあとすぐに期末テストだった。
歓迎会で一通りのクラスメイトとは話したけれど、まだ一緒に何か行動するというのは晃臣と以外経験がない。これはクラスの輪に溶け込むチャンスだ。
「でね、良かったら雨宮さんから須田君も誘ってくれないかな?」
「え? 別に私じゃなくても誘えば須田君は来るんじゃない?」
「ダメだよ! そこは雨宮さんから誘わないと!!」
「ええ、なんで!?」
「見たいから!」
「何を!?」
目をキラキラさせながら身を乗り出してくる吉川は、結衣に何かおかしな方向の期待をしているように見えた。
「須田君だって雨宮さんから誘ってもらった方がきっと嬉しいって!」
「そ、そうか……なぁ?」
人当たりの良い晃臣だ。クラスにだって頼りにされているし友達も多い。誰が誘ってもきっと快く頷くと結衣は思う。
曖昧な笑顔で吉川に同意していると、突然、教室の前方でワッと歓声があがった。
「すっげぇ、中間テストに続いて、須田がまた一位だってよ!」
「ちょ、岡田返せ!」
そこには成績表を岡田に盗られた晃臣の姿。生徒や机を避けながら必死になって追いかけている。彼と岡田は小中と同じらしく、長い友人関係らしい。それを聞いた時はよく今まで素の性格に気づかれなかったな、と感心したものだ。
ちなみに岡田の身長は小さいものの陸上部に入っていて期待の新入生なのだとか。小回りや足の速さは晃臣を上回っている。
「お前、数学満点とかケンカ売ってんのか!?」
「売ってないよ! 返せってば!」
「ほい、雨宮さんパス!」
「え? わっ!」
いつの間にか近くて来ていた岡田が結衣に成績表を押しつけて後ろに逃げる。悪いとは思ったが、見えた成績は本当に素晴らしいものだった。
全教科九十点以上。というか満点がいくつか。この中で一番低い化学ですら九十点だ。
(マジでケンカ売ってんのかこいつ……)
やって来た晃臣を意図せずキツイ目で睨みあげてしまった。周囲は分からなかっただろうが、目の前にいた晃臣が頬を引きつらせる。
「えぇっと……雨宮さん、返してもらえる?」
「はい……ほんとに凄い点数だねぇ」
ニッコリ笑いながら嫌味を言えば、晃臣は困ったように微笑んだ。きっと心の中では『雨宮さん怒らないで~!!』とか言いたいのだろうが、教室の中にいるためかろうじて〈須田君〉を保っている。
「数学満点とか……私、苦手で点数上がらなかったのに……」
「うっ……よ、良ければ今度教えるよ?」
「……ほんとに?」
「うん。あんまり教え方上手くないけど、それでも良い?」
聞いてくる彼と目を合わせて真意を探る。
結衣と晃臣は共犯者で協力関係。何かをお願いするなら何か対価を渡す。それが最近の二人の暗黙の了解だった。
晃臣の目は『この間わたしが作った服着て!』と言っているように感じる。写メを自信満々に見せてきたけれど、確かちょっとヒラヒラが多い目の服だったな、と結衣は思い返した。
正直なところ気乗りはしない。外に出ない時はスウェットで過ごすことが多い結衣だ。外出の時も今まではGパンがほとんど。最近になって〈理想の女の子〉を体現するためにスカートやそれに合う服を何着か買ったが、それらはギリギリ〈ふんわり系〉であって、断じて〈ヒラヒラ系〉ではない。
つまり、そういった服を着ることにはものすごく抵抗感があるのだ。
(いや、でもそれで成績が上がるならっ!)
恥ずかしさを我慢して将来の為になるのなら、少しぐらいの恥など正面から受け止めてやるわ、と腹をくくった。
結衣が小さく頷き返すと、彼は目に見えて嬉しそうに笑う。
そしてなぜか、周りにいた生徒達も『キャー! 密室で二人っきりの勉強会フラグよ!』とか『雨宮さんの上目使いゲットォ!!』などとよく分からない内容で盛り上がっていた。
このクラスは時々、妙に結束力が強まる時があると思う。
その時、予鈴が鳴り響いた。すぐに反応したのは晃臣だ。
「あ、皆。これから新生徒会の所信表明演説会だから体育館に移動して」
「ああ、今日だったな。りょうか~い! 行こうぜ皆」
「新生徒会長って、確か二年の学年一位だったよね?」
「そうそう、神崎先輩だっけ? 親は警察官だって部活の先輩が言ってた」
移動を始める生徒につられて結衣も立ち上がる。晃臣と一緒に廊下に出れば他クラスの生徒も体育館に向かって行くところだった。
「新生徒会、ね。須田さんが言ってた影響力のある最後の集団だな」
「そういう言い方すると、なんだか影の権力者みたいよ」
「生徒のトップなんだから、そういうもんじゃねぇの? 皆頭良いんだろ?」
「そうねぇ、学年のトップクラスではあるみたいよ。運動部部長とか文化部部長もその道じゃ結構有名みたいだし」
「んじゃ、やっぱ要注意だな」
小声で話しながらも結衣は気合を入れた。
しっかり顔を覚えて、決して目をつけられないようにしなくてはいけない。妙に力を持った奴に関わると碌なことにならないのは前の学校で経験済みだ。
「そんなに気合入れなくても……目が怖いわよ、雨宮さん」
「おっと……でも、念には念を入れて、だ」
強張った顔をほぐしながら、少し心配そうに見てくる晃臣に冗談めかして言う。
行事の段取りなどもする生徒会に選ばれた人達だ。付き合えばいい影響も受けるかもしれないが、少しでも不安材料を取り除くなら関わらないのが一番だと結衣は思う。
(普通に生活してれば、生徒会なんて早々関わるもんじゃないだろうけどな)
他の生徒に紛れて体育館に並びながら、結衣は壇上に目を向けた。
※ ※ ※ ※ ※
「というわけで、今日で俺らの生徒会は終わりを告げた! この一年で作り上げた蘇芳高校と俺たちの熱意は次の世代に引き継いだからな。お前ら今年も思う存分楽しめよ!!」
深刻で真剣な面持ちをしてこの場に臨んでいた結衣は、どうも思っていたのとは違う状況に唖然としていた。
壇上で良い笑顔をしながらマイク片手に拳を振り上げる青年。そしてそれに合わせて『おーっ!!』と声を上げる青年の周りの生徒。
結衣の知らない先代生徒会は、熱血の集まりだったらしい。
短髪で爽やかな顔。しかしそれに似合わない非常に熱血的な先代会長の引継ぎ演説を聞きながら、結衣はその周りに並ぶ他の元生徒会メンバーも見た。
副会長は小柄だが応援団の団長をしていたらしい。書記は眼鏡美人だが厳しいテニス部の副部長だとか。結衣の前に並んでいる吉川の情報をまとめると、どうも体育会系のメンバーでまとまった生徒会だったようだ。ちなみに元生徒会長はサッカー部である。
「さて、こっからは新しい生徒会のメンバーの紹介だ! よしお前ら! 上がってこい!」
一応学校行事のはずだが、元生徒会長は非常に自由だった。教師たちも諦めているのかそういう校風なのか特に注意もせず好きにさせている。
そして、元生徒会長が作り出したちょっとノリ切れない雰囲気の中、これから結衣が過ごす学校をまとめる新しい生徒会メンバーが壇上に登った。
生徒会長、副会長、議長、書記、会計。この五人に、二学期になると一年と二年の中から補佐役が二~五名ついて学校を回していく。これは晃臣情報だ。
書記以外は全員男。先代のメンバーに比べるとこれと言って何か特徴があるというわけではなかった――生徒会長以外は。
「よ、吉川さん。えっと、あの真ん中にいるのが生徒会長?」
「うん、そうだよ」
「へ、へぇ~」
真面目そうだが平凡な顔だちの副会長。照れた笑いを浮かべている議長。少し気弱そうな会計と、紅一点でおっとりしてそうな書記。その中心にいるのは、前髪によって目を完全に隠している青年。
(いやいやいや、前髪長すぎだろ。てか顔見せろよ! ある意味目立つから会えば分かるけど、顔! 気になるだろ!!)
見えないと余計に気なるとはよく言ったものだ。隠されているものは見たくなる。
結衣はマジマジと壇上の新生徒会長を見つめた。
「この五人が新生徒会だ! ほら神崎、代表で挨拶挨拶!」
元生徒会長にマイクを渡された新生徒会長は、無言で受け取り一歩踏み出す。
最初の一言に注目した生徒達が静まり返った。
「今期、新しく会長に就任した神崎慧だ」
(うおっ、イケメンボイスだ!!)
その声は晃臣のように柔らかい感じではなかった。彼よりも低く、それでいてしっかりと響き渡る力強さがある。声だけを聞けば確実にイケメン、いや、男前を連想することができる。
しかも新生徒会長、身長もそれなりにあるし体格ももやしではない。
(だからよけい気になる、顔!!)
顔以外の全てが男前の条件を満たしているからこそ、最後のパーツとなっている顔が気になって仕方がない。
周りを見れば、結衣だけでなく一年生は往々にして気にしているようだった。なんとかして見えないかと少し覗き込むようにしている生徒もいる。
「まず第一に、今までの生徒会が築いてきた良い点は必ず踏襲すると約束する」
「うんうん」
「だが先代の熱血ぶりを引き継ぐ気は一切ない」
「おおい、神崎ぃ!?」
元生徒会長と新生徒会長で、まるで漫才のようなやり取りが繰り広げられる。
静かだった空気は一変してざわつき、ところどころ忍び笑いすら漏れ聞こえた。
「学校生活は楽しく過ごせ。だが面倒事は起こすな。起こすなら事前に申告しに来い。やる気がなくなるほどに潰してやる」
「生徒を脅すなボケェ!!」
「俺は仕事したくないんです。ボーっとしてるのが好きなんで」
「しろよ! 何のためにお前を生徒会長に推薦したと……っ」
「迷惑でした」
「少しはオブラートってもんを使え!」
「先輩知ってたんですね、オブラートなんて用語」
「お前の中の俺はどんなイメージだ!!」
手を振り上げギャーギャーと叫ぶ元生徒会長の攻撃を、新生徒会長の神崎は軽くかわしていく。彼も何かスポーツか武道をしていると思わせる動きだった。成績が学年一位であることは聞いているから、これで文武両道なことが分かった。
分かった、が――どうも生徒会長としては少々問題がある人物のようで。
もはや所信表明演説とは思えないぐらいハチャメチャになった壇上。教師は諦めたような溜息をつき、他のメンバーは苦笑したり肩を竦めたりしながらそれでも止めない。
(大丈夫か、この生徒会……)
体育館に入る前とは違う不安を抱いた結衣。その視界の端で、新聞部が使うカメラのフラッシュだけが妙に綺麗に光っていた。