嵐の前夜
「ターゲット確認。追尾します」
物陰で、ピアス型通信機に報告を入れる。
暗い路地裏。電灯の下に佇むターゲット。
白い薄汚れたロングコートに、同じく泥に汚れた白いブーツ。
おおよそ、堅気の人間には見えない。
対して俺は、真っ黒コートに、真っ黒パンツ、そして黒い靴を装備している。闇に紛れて偵察するには、これ以上のコーディネートはないだろう。
今回、俺がターゲットに指定したのは、俺とは対照的な姿のアイツ。
何かと昔から比較されてきた相手。出会い方が違えば、いい相棒になりそうな、アイツ。
だが、今は俺がヒットマンで、アイツがターゲットだ。
俺が再びターゲットに見つかれば、このミッションは達成できない。
俺に信頼をかけてくれたボスのためにも、またターゲットに伸されるわけにはいかない。
今度こそ。今度こそはミスするわけにはいかない。
銃を構え、ターゲットに狙いを定める。
何しろ、俺の命がかかっているのだ。
中途半端な気持ちで銃を放とうものなら、一瞬で返り討ちにされる。
『慎重に……。慎重に……』
いつも以上に注意深く、いつも以上に気を引き締めて。
準備は万全にしてきたはず。
これで再びミスを重ねるようなら、俺はもうどこにも顔向け出来ない。
一世一代の大勝負。
それが、今ここにやってきた。
ここで、以前と同じようにすんなり白旗を上げるなんて、まっぴらごめんだ。
せめて、一泡……、いや、二泡くらい吹かせなければ、俺の気が済まない。
俺の考えをよそに、ターゲットは何やら、物憂げな表情で小さくため息をつく。
「やっぱり……」
その先は、小声すぎて聞き取れない。
『何だ……!? 何と言った!?』
何かの手がかりになりそうだったのに、俺としたことが、耳が棒のようになって、全く聞き取れない。
「そうだよね。やっぱり、こうでないと」
おっ。今度は、はっきり聞こえた。
良かった。俺の勘違いではなさそうだ。俺の耳もおそらく無事な様子。
いやあ、本当に良かった。これで、目だけでなく耳までイカれちまったら、完全にお払い箱になるところだった。
「うーん、でも、何か足りないような気が……」
ふっ。そんな努力、俺の力で全部、まっさらにしてやる。
俺に狙われたが最後、立場を変えなかった者はいない。
そうさ、俺が狙いし者、上玉に決まっている。
上玉さ……。とっても……、とっても上玉……。
『本当に、俺でいいんだろうか……』
相手が優れていればいるほど、ボスの見込みは勘違いではないのかと、腹を疑いたくなる。
『俺などに、打ち倒せる相手では……ないのでは……?』
俺の心に迷いが生じる。
『いやいや、いけない。集中、集中。相手に……、ターゲットに、集中!』
雑念は仕事の敵。一瞬でも気を抜けば、相手はどこから反撃してくるか分からない。
反撃されたが最後だ。俺の、つまらない人生が、一瞬にして終わりを迎える。
つまらない人生でも、せめて、最後にひと花くらい愛でてから……。
『……ターゲット、逃げてくんねぇかな』
長年の勘。ターゲットと俺にとっての最適解。
それは、多分、これだ。これに違いない。
俺がターゲットに逃げられれば、俺が無能ということで事は済む。
ターゲットにしてやられた、ただのクズだということが、今度の今度こそ確定する。
仕事のミスは数知れず。
その度、周囲の温情によって生かされてきた。それだけの……、出来損ない。
出来損ないに出来る仕事など、たかがしれている。だから、どの仕事場でも雑用ばかりの日々だった。だが、ようやく銃を撃ってもいい許可が出た。
だから、失敗するわけにはいかない。
『……でも』
仕留める予定の、ターゲットを見つめる。
今、死ぬとは思ってもいないその表情。明日が来ることを無邪気に信じるその姿。
何か楽しい事でも詰まっているような、その……、俺の知らない機体。
“それは、面白いのですか?”
内なる自分の声がする。
そう聞きたくて仕方ない。
そんなに、その機械に面白いものが詰まっているのなら。
面白いことのなかった俺にも、一筋の光くらい……、見えるだろうか。
「……」
胸にしまった依頼書が急に重たさを増す。
『くっ……、こんな紙切れ一枚で……っ!』
契約。約束。条件。
面白くもないものの羅列。細かいばかりの字。年と共にかすんできたこの目には、辛いものがある。
できるなら、今すぐ破いてしまいたい。
こんな依頼書、書かなければ。
こんな依頼を、引き受けなければ。
『俺も、あっち側にいられたかもしれないのに……!』
『僕も、あっち側にいられたかもしれないのに……!』
ふたつの声が重なる。
「いや、待て、おかしいだろ。何で心の声が重な……」
言いかけて、ふと。
『まさか……。お前は……!』
『くうっ、こんなミスを犯さなければ……!』
おおよそ、当たりと見ていいだろう。
「何で……、そんな……」
確かに妙な格好をしていると思った。最近は見ないような、やたらと派手な服を着て……。
「こんな奴が、捕まったのか……!?」
くらっと。歪んだことない視界が、大いに歪んでゆらゆら揺れる。
『ふん。今に見ておれ……。あの化け狸……。いつか鍋にして食ってやる……!』
何故だか全く分からない。
ターゲットは表向き、とても涼やかな顔をしている。なのに、漏れ聞こえる心の声が物騒極まりない。
『これは、確定だろ……』
ターゲットは、俺でもまだ行ったことのない、「異世界」とやらに行って、無傷で帰ってきた人間だ。 そうに違いない。
あの、行けば二度と帰ってこれなくなるという、幻の「異世界」。
一度、向こうに行った奴は、何かが狂って、人の良い犬に変わるという……。
『先輩、にあたるわけっすよね……』
複雑な感情が心の内を巡る。
荒れる感情をいなすため、俺は静かに目を閉じる。
過去のあらゆるシーンが浮かんでは消え、浮かんでは消え、俺の頭の中を流れ去っていく。
「時間ね」
ターゲットの声に、再び俺は目を開ける。
「それはそうだが、仕事は仕事」
今回は“完遂して帰る”と、皆に言ってきた手前、成果なしでは帰れない。
アジトには、俺の帰りを待っている下っ端どもが、沢山いるのだから。
一呼吸おいて、感情を消す。
無意味な雑音も、雑念も、仕事に邪魔なものは全て消す。
「ターゲット、ロックオン。任務、遂行します」
通信機に無表情で投げかける。
答える声はない。
『いいさ、それでも』
姿勢を低く保つ。いつでも、飛び出せるように。
いつでも、殺せるように。
これが、俺の――。
仕事、なのだから――。




