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嵐の前夜

作者: 鈴乱
掲載日:2026/01/30

「ターゲット確認。追尾します」


 物陰で、ピアス型通信機に報告を入れる。


 暗い路地裏。電灯の下に佇むターゲット。

 白い薄汚れたロングコートに、同じく泥に汚れた白いブーツ。

 おおよそ、堅気の人間には見えない。


 対して俺は、真っ黒コートに、真っ黒パンツ、そして黒い靴を装備している。闇に紛れて偵察するには、これ以上のコーディネートはないだろう。


 今回、俺がターゲットに指定したのは、俺とは対照的な姿のアイツ。


 何かと昔から比較されてきた相手。出会い方が違えば、いい相棒になりそうな、アイツ。


 だが、今は俺がヒットマンで、アイツがターゲットだ。


 俺が再びターゲットに見つかれば、このミッションは達成できない。

 俺に信頼をかけてくれたボスのためにも、またターゲットに伸されるわけにはいかない。


 今度こそ。今度こそはミスするわけにはいかない。


 銃を構え、ターゲットに狙いを定める。


 何しろ、俺の命がかかっているのだ。

 中途半端な気持ちで銃を放とうものなら、一瞬で返り討ちにされる。


『慎重に……。慎重に……』


 いつも以上に注意深く、いつも以上に気を引き締めて。


 準備は万全にしてきたはず。

 これで再びミスを重ねるようなら、俺はもうどこにも顔向け出来ない。


 一世一代の大勝負。

 それが、今ここにやってきた。


 ここで、以前と同じようにすんなり白旗を上げるなんて、まっぴらごめんだ。

 せめて、一泡……、いや、二泡くらい吹かせなければ、俺の気が済まない。


 俺の考えをよそに、ターゲットは何やら、物憂げな表情で小さくため息をつく。


「やっぱり……」


 その先は、小声すぎて聞き取れない。


『何だ……!? 何と言った!?』


 何かの手がかりになりそうだったのに、俺としたことが、耳が棒のようになって、全く聞き取れない。


「そうだよね。やっぱり、こうでないと」


 おっ。今度は、はっきり聞こえた。

 良かった。俺の勘違いではなさそうだ。俺の耳もおそらく無事な様子。

 

 いやあ、本当に良かった。これで、目だけでなく耳までイカれちまったら、完全にお払い箱になるところだった。


「うーん、でも、何か足りないような気が……」


 ふっ。そんな努力、俺の力で全部、まっさらにしてやる。


 俺に狙われたが最後、立場を変えなかった者はいない。


 そうさ、俺が狙いし者、上玉に決まっている。


 上玉さ……。とっても……、とっても上玉……。


『本当に、俺でいいんだろうか……』


 相手が優れていればいるほど、ボスの見込みは勘違いではないのかと、腹を疑いたくなる。


『俺などに、打ち倒せる相手では……ないのでは……?』


 俺の心に迷いが生じる。


『いやいや、いけない。集中、集中。相手に……、ターゲットに、集中!』


 雑念は仕事の敵。一瞬でも気を抜けば、相手はどこから反撃してくるか分からない。


 反撃されたが最後だ。俺の、つまらない人生が、一瞬にして終わりを迎える。

 つまらない人生でも、せめて、最後にひと花くらい愛でてから……。


『……ターゲット、逃げてくんねぇかな』


 長年の勘。ターゲットと俺にとっての最適解。

 それは、多分、これだ。これに違いない。


 俺がターゲットに逃げられれば、俺が無能ということで事は済む。


 ターゲットにしてやられた、ただのクズだということが、今度の今度こそ確定する。


 仕事のミスは数知れず。

 その度、周囲の温情によって生かされてきた。それだけの……、出来損ない。


 出来損ないに出来る仕事など、たかがしれている。だから、どの仕事場でも雑用ばかりの日々だった。だが、ようやく銃を撃ってもいい許可が出た。


 だから、失敗するわけにはいかない。


『……でも』


 仕留める予定の、ターゲットを見つめる。


 今、死ぬとは思ってもいないその表情。明日が来ることを無邪気に信じるその姿。

 何か楽しい事でも詰まっているような、その……、俺の知らない機体。


“それは、面白いのですか?”


 内なる自分の声がする。

 そう聞きたくて仕方ない。


 そんなに、その機械に面白いものが詰まっているのなら。


 面白いことのなかった俺にも、一筋の光くらい……、見えるだろうか。


「……」


 胸にしまった依頼書が急に重たさを増す。


『くっ……、こんな紙切れ一枚で……っ!』


 契約。約束。条件。


 面白くもないものの羅列。細かいばかりの字。年と共にかすんできたこの目には、辛いものがある。


 できるなら、今すぐ破いてしまいたい。


 こんな依頼書、書かなければ。

 こんな依頼を、引き受けなければ。


『俺も、あっち側にいられたかもしれないのに……!』

『僕も、あっち側にいられたかもしれないのに……!』


 ふたつの声が重なる。


「いや、待て、おかしいだろ。何で心の声が重な……」


 言いかけて、ふと。


『まさか……。お前は……!』


『くうっ、こんなミスを犯さなければ……!』


 おおよそ、当たりと見ていいだろう。


「何で……、そんな……」


 確かに妙な格好をしていると思った。最近は見ないような、やたらと派手な服を着て……。


「こんな奴が、捕まったのか……!?」


 くらっと。歪んだことない視界が、大いに歪んでゆらゆら揺れる。


『ふん。今に見ておれ……。あの化け狸……。いつか鍋にして食ってやる……!』


 何故だか全く分からない。

 ターゲットは表向き、とても涼やかな顔をしている。なのに、漏れ聞こえる心の声が物騒極まりない。


『これは、確定だろ……』


 ターゲットは、俺でもまだ行ったことのない、「異世界」とやらに行って、無傷で帰ってきた人間だ。    そうに違いない。


 あの、行けば二度と帰ってこれなくなるという、幻の「異世界」。


 一度、向こうに行った奴は、何かが狂って、人の良い犬に変わるという……。


『先輩、にあたるわけっすよね……』


 複雑な感情が心の内を巡る。


 荒れる感情をいなすため、俺は静かに目を閉じる。


 過去のあらゆるシーンが浮かんでは消え、浮かんでは消え、俺の頭の中を流れ去っていく。


「時間ね」


 ターゲットの声に、再び俺は目を開ける。


「それはそうだが、仕事は仕事」


 今回は“完遂して帰る”と、皆に言ってきた手前、成果なしでは帰れない。

 アジトには、俺の帰りを待っている下っ端どもが、沢山いるのだから。


 一呼吸おいて、感情を消す。

 無意味な雑音も、雑念も、仕事に邪魔なものは全て消す。


「ターゲット、ロックオン。任務、遂行します」


 通信機に無表情で投げかける。


 答える声はない。


『いいさ、それでも』


 姿勢を低く保つ。いつでも、飛び出せるように。



 いつでも、殺せるように。



 これが、俺の――。


 仕事、なのだから――。


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