第四話 初討伐はつらいよ②
「で、これがスライムねぇ……」
昼過ぎ。街外れの森。
寅二郎とシドは依頼の対象――青く透き通ったゲル状の生き物――を前に立っていた。
見た目はぷるぷる。だが、近づくと地面を溶かすほどの強酸性。
「油断するな。こいつら、見た目よりやっかいだ」
シドが低く言いながら短剣を構える。
「了解。でもスライムって、ゲームだと最弱モンスターじゃね?」
「ゲームが何か知らんが油断して死ぬ奴が多いんだ。……あれを見ろ」
指差した先には、溶けかけた動物の骨があった。
寅二郎の背筋に冷たい汗が流れる。
「うわ、マジか。これ……ガチのやつだな」
剣を構えながら一歩踏み出す。
前世のSP時代に染みついた「間合い」の感覚が、無意識に働いていた。
スライムが弾けるように跳ね上がる。
だが、その動きを寅二郎は完全に読んでいた。
「っと!」
すれ違いざま、一閃。
鈍い音とともに、スライムが真っ二つに裂けた。
「……お前、ほんとにステータス0なのか?」
「へ? まぁ、見た目ゼロでも中身は満タンよ」
冗談めかして笑うが、その動きには確かな訓練の跡があった。
(反応速度……体の重心移動……あれは素人じゃないぞ)
シドは寅二郎を見ながら次のスライムに向かう。
だが、突然その足元が光り、ぬるりと液体がはねかかった。
スライムの必死の一撃か、鋭い槍のようにシドに襲い掛かってきたのだ。
「くっ!」咄嗟に体をひねりかわそうとしたが、胸甲の脇をかすめた。
(さらしが、コノ!)シドは短剣を煌めかせスライムを両断した。
「大丈夫か!」心配そうに寅二郎が声をかけた。
「問題ない。俺がスライムごときに遅れは取らん」シドは答えたが、
「いや、お前それ胸膨らんでないか?」
寅二郎が指差すと確かにシドの胸甲周りが膨らんでいた。押さえつけられていた双丘が自己を主張せんと。
「違う!これはずれただけだ。ずれただけ!」
顔を赤らめたシドの足元から両断したはずのスライムから酸がはじけた。
そのまま腕にかかりかけた瞬間――
寅二郎が一歩で間に入る。
腕を伸ばし、剣で薙ぎ払うと、スライムごと霧散した。
「……はぁ、危なかったな」
手を見下ろす寅二郎。皮膚には一切のダメージがない。
むしろ、わずかに白い光が手の甲に残っていた。
「お前……今、何をした?」
息を整えながらシドが問う。
「さぁな、体が勝手に動いた。SPの頃に、反射で人をかばったことはあったけど
……これはちょっと違うな」
風が吹き抜ける。
剣が、わずかに震えていた。
まるで――主に共鳴しているかのように。
(やっぱり……王の言った通りだ。
この男、只者じゃない。放っておけば、何かが“起こる”。)
「なぁシド?」
「なんだ」
「お前……その、なんつーか……」
「言ってみろ」
「ずれただけとか言いつつ、巨乳みてぇだな?それ」
寅二郎は胸甲を指さしながら爆笑しはじめた。
胸甲の前で腕組みしたシドはおもむろに寅二郎に近寄ると蹴り上げた!
「この変態!」
「ぎゃいん!何で?」寅二郎は吹っ飛んでいったのだった。
閑話:王城にて ―報告書には書けないこと―
「……以上が、異世界勇者・トラジロウ殿に関する初期観察の報告です」
荘厳な王の間。
月明かりが差し込む中、シドは片膝をついて報告を終えた。
前線帰りの鎧ではなく、王直属の密偵らしい黒衣姿。
その姿は勇者の前で見せた“旅人の青年”のそれとはまるで違っていた。
「ふむ……」
玉座の上でリ・エスティーネ王国国王レオニス四世は顎に手を当てる。
年老いてなお鋭い目は、シドの背後を見るように寅二郎を想像しているのだろう。
「報告によれば、召喚された時点では特別な加護も力も確認できず。
だが初討伐において、素手でスライムの酸を無効化し、剣を光らせた、と」
「はい。偶発的なものでしたが、明らかに通常の人間とは異なる反応を示しました。
……彼の内に“何か”が眠っているのは確かです」
「なるほど……。やはり女神の導きは間違ってはおらぬ、か」
王はゆっくりと頷いた。
だがシドの心は、別のことで落ち着かなかった。
(あのとき……あの人、まるで本能だけで動いてた。
理屈じゃない。あの一歩は、“誰かを守るため”の動きだった――)
彼女の脳裏に浮かぶのは、スライムの酸が飛び散ったあの瞬間。
迷いもなく自分をかばった彼の姿。
あのとき感じた温もり。
……そして、直後の台詞。
『巨乳みてぇだな?それ』
「……っ!」
顔が思わず赤くなり、シドは咳払いでごまかす。
王が怪訝そうに眉を動かした。
「……なにか問題でも?」
「い、いえっ! その……報告外の、ちょっとした不注意で、
……装備を損傷しまして」
「そうか。勇者の前で、か?」
「ッ……!」
王の口元が微かに緩む。
まるで全て見透かしているようだ。
「陛下……!」
「よい。人の心を知るのも任務のうちだ。
それに――おぬしのような者が隣におれば、あの奔放な勇者も、きっとまっすぐに成長しよう」
「……奔放、ですか。確かに、あの人は何をするにも勢いばかりで……」
気づけば、声が少し柔らかくなっていた。
シド自身、なぜそんな口調になったのか分からない。
ただ、あの能天気な笑顔を思い出すと――どうしても、口元がゆるむのだ。
「陛下、私は冷静に観察を続けます。
あくまで勇者監視官として、任務に忠実に」
「ふむ。……そうしてくれ。
ただし、監視とは見守ることでもある。忘れるでないぞ」
「……はっ」
王の言葉がやけに胸に残った。
執務室を出て廊下を歩くシドの顔は、どこか熱を帯びている。
外に出ると、夜風が頬を撫でた。
「……まったく。何を考えてるのよ、私」
あの男の顔を思い出して、また溜息。
バカで、無神経で、女にだらしなくて。
でも――
手が無意識に胸甲を押さえる。ふぅと息をつき、夜空を見上げた。
星々が瞬き、遠くで風が木々を揺らす。
「……報告書には、書けないな」
呟いて、彼女は歩き出した。
再び、あの“バカ勇者”の隣へ。




