第一話 暑くてつらいよ⑩
夜が明けた。
長い戦いの後の、最初の朝だった。
王都カルナードの街には、静けさが戻っていた。
崩れた建物や焦げた広場にも、子どもたちの声が少しずつ戻ってくる。
風が吹くたびに、焦土の匂いに混じって果実と香辛料の香りが漂った。
それは――街が“再び息をし始めた”証だった。
リーネは、広場の中央に立っていた。
包帯で覆われた腕を静かに下ろし、寅二郎とシドを見た。
「……街の人たち、少しずつ笑うようになってきた」
その声は穏やかで、昨日までの苦悩が嘘のようだった。
「人間って、しぶといからな」
寅二郎が肩をすくめる。
「何度倒れても、また立ち上がる。そういう生き物だ」
リーネはその言葉に、微笑んだ。
けれど、その瞳の奥にほんの少し影が残っていた。
「……私、まだ終わっていないの。
あの夜、私はこの国の人を傷つけた。
呪具の力を振るい、人々を壊した。
あれは、どんな理由があっても“罪”よ」
寅二郎は黙って聞いていた。
否定も、慰めも口にしない。
ただ、彼女が言葉を紡ぎきるのを待っていた。
「だから、せめて踊り続ける。
――贖いの舞を」
そう言って、リーネは破れた布を拾い上げた。
かつて呪具の光に染まったその衣。
だが今は、月でも魔でもなく、朝日の光を受けている。
彼女は裸足で砂の上に立ち、静かに一歩、踏み出した。
音もない舞だった。
だが、その動きには確かに祈りがあった。
手を差し伸べ、胸にあて、地を踏みしめる。
砂が舞い上がり、光が反射し、
まるで街そのものが息を吹き返すようだった。
人々が集まり、ただその姿を見つめていた。
彼女に石を投げた者も、涙を流して跪いた。
リーネの声が、風の中で響く。
「私はもう、魔にはならない。
この地で、生きていく。
罪を、歌と踊りで癒していくわ」
舞の終わり、彼女は掌を掲げた。
そこには、砕けた首飾りの小さな欠片。
それが陽の光を受けて淡く光り、風に乗って散っていった。
寅二郎はその光景を、ただ見守っていた。
彼の頬を一筋、砂混じりの風がなでていく。
「……きれいだったな」
ぼそりと呟くと、リーネは振り向いて笑った。
「あなたが守ってくれたから、私は“もう一度”踊れたの」
寅二郎は少し照れくさそうに頭をかく。
「礼なら、シドにも言っとけよ。あいつも夜通し動いてた」
「ええ、後でちゃんと」
少し離れた場所で、シドが腕を組み、淡く笑った。
「さて――行くぞ。ベルゼを追う。次は東の渓谷、帝国方面だ」
寅二郎は頷き、リーネの方をもう一度振り返った。
彼女は風に舞う布を掴み、
まるでそれが新しい人生の幕であるかのように微笑んでいた。
「ありがとう、トラジロウ。
今度は、ちゃんと“人のため”に踊るわ」
「その時はまた見に来る。……今度こそ、観客としてな」
「ふふっ、約束よ」
朝日が昇る。
二人の影が砂の上で交差し、やがて離れていく。
その瞬間、どこか遠い空の向こう。
黒き雲の中で、誰かの低い声が響いた。
――「止められるかな? わが野望を。」
その声を、まだ誰も知らない。
けれど、確かに“次の夜明け”が近づいていた。




