第一話 暑くてつらいよ⑦
夕陽が砂の街を赤く染めていた。
王都カルナードの通りは、いつもの賑わいを失っている。
人々は早々に店を閉め、戸口に月避けの護符を貼っていた。
――まるで何かを恐れているかのように。
「この辺りもダメか……」
寅二郎は額の汗をぬぐい、路地の奥を見回した。
昼から王都を歩き回ってもう何時間になるか。
市場、貧民街、踊り子宿、果ては神殿の裏庭まで。
リーネの姿は、影ひとつ見つからなかった。
シドが腕の魔石端末を操作しながら言う。
「反応はどこにもない。
彼女の“呪具”は封印状態か、あるいは……別の場所に移された」
「別の場所?」
「ああ。王都の下層、旧時代の遺跡区域。
“神殿の地下”と呼ばれてる。
魔王軍が潜伏してると噂される場所だ」
寅二郎は空を見上げた。
白い月がもう、夕焼けを押しのけて昇り始めている。
輪郭が妙にくっきりしている――まるで月自体が息をしているように。
「明日の夜が満月、か」
「間に合うかどうか……」
シドが言いかけたそのとき、通りの向こうで鐘が鳴った。
“王都門限”の合図。
門が閉まる音が、ゆっくりと砂の夜に溶けていく。
寅二郎は拳を握った。
「夜が来る。――あいつ、今どこで何してんだ」
シドは短く息をつき、視線を落とした。
「……祈るとしよう。せめて、まだ人間のままでいることを」
王都に、夜が降りた。
砂嵐の音が静まり、代わりに遠くから微かな“歌声”が聞こえてくる。
誰のものかは分からない。
けれど、どこか悲しく、甘やかで――まるで誰かを呼んでいるようだった。
その頃。
王都の地下、崩れた神殿の奥深く。
燭台に照らされた黒い水鏡の前で、一人の男が立っていた。
黒衣の裾を引きずり、赤い瞳を細める。
魔王軍三魔将ベルゼ。
鏡の中には、舞うリーネの姿が映っていた。
瞳は虚ろに光り、首元の呪具が淡く脈打っている。
「美しいな。人間は恐怖の中でこそ、最も綺麗に輝く」
ベルゼはゆっくりと手をかざした。
鏡の水面が揺れ、リーネの肩のあたりから淡い黄金の光が漏れ始める。
「あと一夜。月が満ちれば、王都は我らの“祭壇”になる」
唇の端に、笑み。
低く、愉悦に満ちた声が、洞窟の奥で反響した。
「いよいよか……楽しみだ」
暗闇の中、赤い瞳がゆらりと輝いた。




