第一話 暑くてつらいよ⑥
翌朝。
王都カルナードは、昨日の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
市場の露店は半分も開いておらず、
人々はどこか落ち着かない様子で空を見上げていた。
――砂の空の、白い月を。
「昨夜から、妙に月がはっきり見えるな」
宿の窓から外を見ながら、寅二郎がぼそりと呟いた。
目の下には少しクマ。寝ていない。
「……リーネのことが気になるんだな」
シドが机の上に並べた魔法陣のスケッチを見つめたまま言う。
数冊の古文書、砂で汚れた羊皮紙。
どれもこの地に伝わる“月の儀式”に関する記録だった。
「気になるっていうか……あの顔、忘れられねぇんだよ。
泣きながら“もう放っといて”って……あれ、助けてほしい顔だろ」
シドはペンを止める。
「お前の勘は、案外当たってる」
「え?」
「調べた。リーネの耳飾りと首飾り
――あれは古代カルナードに伝わる“月喰いの偶像”の欠片。
簡単に言えば、“月の光”を食べて力を溜める呪具」
寅二郎が目を丸くする。
「光を……食べる?」
「そう。満ちる月の魔力を吸収し続け、やがて宿主に返す。
ただし、“返す”と言っても、魔力じゃない。呪いそのものを、ね」
「……まさか」
「ああ。次の満月――二日後。
あの首飾りが限界まで満ちれば、リーネの中に封じられた“魔”が解放される」
寅二郎は拳を握りしめた。
「ベルゼの仕業か」
「可能性が高い。おそらく彼女自身も、完全には知らされていない。
“踊れ”と命じられ、そのたびに魔力が街に広がる……」
シドはノートを閉じ、静かに立ち上がった。
「このままでは王都全体が“魅了”される。
王城の兵も、民も、全員がベルゼの操り人形になる」
寅二郎の顔が険しくなる。
「じゃあ、止めるしかねぇだろ。
リーネを――救ってやらなきゃ」
シドが眉をひそめる。
「救う? 相手は呪具そのものだ。封印か、最悪――処分しかない」
寅二郎は短く息を吐き、立ち上がった。
窓の外には、昼間なのに白く輝く月が浮かんでいる。
「だったら俺は、その“処分”を止める」
背を向ける寅二郎の声は、妙に静かだった。
「守るのが仕事だ。呪われてようが関係ねぇ」
シドはその背中を見つめ、何かを言いかけて――やめた。
彼の中の“抗体”の正体、それはきっと――。
外で風が鳴った。砂を巻き上げる突風が、窓のカーテンを膨らませた。
その風の中、月の輪郭が一層くっきりと輝いて見えた。
――満月まで、あと二日。




