第一章 第六話 急襲はつらいよ①
「さて……今日から修行の旅、ってわけか」
ギルドを出た寅二郎は、肩に荷物を担ぎながら大きく伸びをした。
通りの向こうでは、冒険者たちがヒソヒソと笑っている。
「ほら、例の“ステータス0勇者”だぜ」
「スライム一匹に勝てないって噂の?」
「でも隣のあの男……やけに美形じゃね?」
聞こえてんだよ、バカヤロー。
寅二郎は内心で悪態をつきながら、隣を歩くシドを見た。
無表情だが、目つきと姿勢に隙がない。
黒い髪を後ろで束ねた中性的な姿は、男とも女ともつかないが
――やけに腰のラインが目に悪い。
「なにか?」
「い、いや。なんでもないっす」
バレてた。目線が完全にバレてた。
「まったく、王はなんでこんなのの見張りを――」
シドが小声で呟いたが、すぐに口をつぐんだ。
(王? なんだそりゃ)
寅二郎は首をかしげたが、聞き流す。どうせロクでもない話だ。
森の奥。
今日の依頼は――薬草採取。地味だが、冒険者の基本だとシドは言う。
「スライムと違って、今回は“採るだけ”だから簡単だな!」
「油断しないことだ。森の中には植物型の魔物も多い」
「植物の魔物? 動かねぇだろ?」
「……それが、動くんだ」
まさにその瞬間だった。
緑に紛れていた巨大な蔓が、寅二郎の足を絡め取った。
「うおっ!? な、なんだこりゃ!」
見上げると、花弁が大きく開く。
――中心からぬるりとした液体が滴り、地面の草をじゅうっと溶かした。
「酸性の唾液……《イート・プラント》だ! 離れろ!」
シドが短剣を抜く。寅二郎はすぐに剣で蔓を切り払った。
「くそ、でっけぇ雑草だな!」
「言ってる場合か!」
花弁がこちらを向き、酸の雫を吐き出す。
シドが身をひねってかわすが、頬に一滴がかかった。
「っ!」
一瞬、肌が焼けるように熱く――そして、あの時の感覚がよみがえる。
(スライム……酸……服が……!)
思わず顔を赤らめ、首を振る。
「ち、違う! 今は戦闘中だ!」
「え、何が!?」
「なんでもないっ!」
寅二郎は剣を構え直す。
反射で体が動き、敵の動きを正確に読む。
前世――要人を守る訓練で染みついた防御本能が自然に発動していた。
「そこだッ!」
一歩踏み込み、花の根元を斬り上げる。
鈍い音とともに、魔物が崩れ落ちた。
「……ふぅ。やっぱ反射って大事だな」
「本当に、お前は何者なんだ……」
シドは、倒れた魔物よりも寅二郎を見ていた。
その目には、敵を見極める訓練された光――
だが同時に、誰かを守る動きを迷いなく取る人間の、それがあった。
(あの時と同じ……)
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
でも、そんな自分に気づくのが怖くて、シドは言葉を飲み込んだ。
「さて、これで薬草も採れたし……報酬分にはなるな」
「うむ。任務完了だ」
森を出る二人。夕日が差し込む中、寅二郎が口を開いた。
「それにしても、さっきの酸、やばかったな」
「……っ! 思い出させるな!」
「え、なんか反応変じゃね? あれ、照れてる?」
「照れてない! 黙れ!」
その日、森に響いたのは魔物の断末魔ではなく――
寅二郎の悲鳴だった。
夜。焚き火の火が静かに揺れる。
二人の間には少しだけ柔らかい空気が流れていた。
「お前、なんでそんなに動けるんだ?」
「まぁ……前の世界で、要人の護衛とかやってたからかな」
「……護衛、か」
シドの声が、わずかに和らぐ。
その横顔を、寅二郎はただ「頼れる仲間」として見ていた。
だが、彼女の胸の奥では――
あの酸の感触と、寅二郎の一歩が重なって、
小さな“トクン”が生まれていた。
それが何なのかを、彼女が理解するのはもう少し先の話だ。
翌朝。
空の彼方――王都の方角に、黒煙が立ち上っていた。




