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共感支配者 - エンゲージ・ゴッド

作者: LUCE

朝倉潤あさくら・じゅん、30歳。外資金融勤務、年収は軽く2000万。顔はモデル系、歯は真っ白、アゴのラインはカミソリのようにシャープ。学生時代から常にモテていた。都内のタワマン高層階に住み、朝食はアサイーボウル、ランチは部下が予約してくれる隠れ家レストラン、夜はワイン片手にジムで仕上げの筋トレ。


一見、完璧な人生。

けれど、そんな潤にも”秘密の趣味”があった。


SNSで「不幸な人間」を探し出し、眺めて悦に浸る――。それが潤の至福のひとときだった。


「彼氏に浮気された…泣」

「今日もバイト落ちた。人生詰んだ」

「もうダメ、死にたい」

「2chのワイニート」


そんな投稿を見つけては、潤はワインをくいっと煽って、ソファに沈みながらほくそ笑む。


「いやー、今日も俺って幸せ。ありがとう、社会の底辺ども」


そして、気に入った投稿はスクショして「不幸フォルダ」に保存。これがもう、500枚を超えている。芸術的コレクションといっても差し支えない。


最近では、投稿を「ジャンル別」に分けて楽しんでいる。

・家庭崩壊系

・就活全滅系

・SNS炎上後悔系

・メンヘラポエム系


潤の中で特にアツいのは「クラファン型貧困訴え系」だった。

「親の手術費が足りません…」

「大学を辞めたくないんです…」

「飼い猫のために、どうかご支援を…」


「あはは、アホかこいつらは」


だが、ある日、その“趣味”に異変が起きた。


「この投稿さっきもどこかでみたような、え…また似たような投稿…?」


どれを見ても、テンプレートのような言い回し。同じような写真、同じようなハッシュタグ。潤は違和感を覚えた。


しかも、投稿に対するコメント欄がやけに整っている。「かわいそう」「応援してます」「DMしました」…美しすぎる流れ作業。怪しい。


「もしかして…これ、サクラか演出か?」


そう思って調べていくと、驚愕の事実が判明した。


「不幸テンプレート生成AI」

「感情を揺さぶる文例集」

「“かわいそう”を演出して稼ぐ!クラファン成功術」


まさか、泣きながら支援を求めていた投稿の裏に、“マーケター”や“法人企業”が関与していたとは。プロが「共感で課金させる」仕組みを作っていたのだ。演者の写真も、AI生成。ペットの画像すら、猫っぽい何か。


「…ってことは俺、マーケティングに釣られて優越感に浸ってたってこと!?」


動揺を隠せない潤。

彼の“趣味”は、一気に色あせた。

自分が馬鹿にしていた”不幸な人間”は、本当に存在してすらいなかったかもしれないのだった。


それでも、潤は未練がましくSNSを漁る。そして、一件の投稿が目に留まった。


「死ぬ勇気も生きる力もない。誰か、見てますか?」


写真は、ベッドに沈む小柄な女性。目はうつろで、部屋には薬の瓶が転がっている。

潤はそのリアリティに心を打たれた。


「これは…ガチじゃね?」


何かが胸に引っかかった。初めてだった。

見下すのではなく、「この子、本当に助けが必要かも」と思った。


潤は思わず、裏アカウントでメッセージを送る。


《こんばんは、投稿を見て、気になってしまいました。大丈夫ですか?》


すると、すぐに返信が。


《…会って話せますか?もう、誰ともつながってる気がしない》


潤の正義感(と少しのスケベ心)はくすぐられた。

タワマンの住人らしからぬ心の動きで、待ち合わせ場所のカフェに向かった。


──そして、現れたのは。


「こんにちは、朝倉さんですね?」


スーツ姿の、清潔感のある男性。後ろには同じくスーツを着た女性がタブレットを持って立っていた。


「私たちは、マーケティング会社“エモート株式会社”の者です。突然すみません」


潤の顔が引きつる。


「え、あの、彼女は?」


「ええ。弊社が開発した“共感引き寄せAIモデル・アカリ”の作中人物です。あなたのような感情依存傾向のあるユーザーを特定し、どのような演出が最もエンゲージメントを生むか、データ収集しておりまして」


「え、ちょ、俺が…モルモット?」


「いいえ、立派な“ターゲットユーザー”です。実は本日、課金してもらうフェーズまで誘導できるかのテストだったんですよ」


「いや…ちょっと待ってくれ!俺はただ…!」


「ちなみにあなたのデータ、弊社でサンプルとして社内報に掲載させていただきますね。“理想的優越感ユーザーの行動モデル”として」


そう言って、スーツの女性がぺこりと頭を下げた。


帰り道、潤はスマホを見た。

不幸を収集するフォルダも、スクショも、もう見る気がしなかった。


マンションに戻り、ソファに沈みながら思う。


「結局、不幸なのは俺だったんだな…」


彼はついに、自分のアカウントで初めてこう呟いた。


「誰か、見てますか?」


いいね:0

RT:0

リプライ:「運営から警告されました


            ※

            

「それじゃ、次回からは『育児ノイローゼ偽装パッケージ』のテストに入ります。母子写真は“ユウリ2.3β”で生成。ハッシュタグは“#母親失格かもしれない”。共感率、最低80%を狙ってくださいね」


エモート株式会社・共感設計事業部。

そのプレゼン会議室では、“悲しみ”と“怒り”と“救済”が、すべてKPIで測定されていた。


泣く女性の声、震える手書き風の文字、曇った鏡に写る孤独な姿――

そうした「不幸のテンプレ」は、すべてAIモデルとマーケターの共同作業で作られている。


「感情は、数字で設計できるんですよ」


そう言い切ったのは、社員の一人・笠井かさいだった。

30代半ばの女性で、“ユウリ”シリーズの演出設計者であり、前回、潤をターゲットにしたチームのリーダーでもある。


実績としては、「死にたい系女子Bot」からの課金誘導、「うつ症状自白系クラファン」のROI(投資利益率)200%超えなど、いずれも輝かしい。


しかしその笠井が、ある日ふと口にした。


「…でも、私たち、どこに向かってるんでしょうね」


一瞬、室内の空気が止まった。


「いや、数字出てますよ。感情流通量も過去最高ですし」

「共感で動く人間を刺激するだけで、商品も売れる。何か問題でも?」


若手社員たちはきょとんとしている。

だが、笠井の頭には“あの男”の顔が浮かんでいた。


――朝倉潤。

演出された不幸に心を動かされた、強者の皮をかぶった“本物の弱者”。


笠井はあの日のログを読み返していた。

あれほどの高スペック男が、本気で“誰かの心”に触れたがっていたこと。

そして、その気持ちごと“商品テストのログ”として保存されたこと。


(あの人、本当に壊れたかもしれないな…)


罪悪感?違う。むしろ好奇心に近い。


それからしばらくして、エモート社の窓口に1通の応募メールが届いた。


「SNS共感設計職に応募します。

朝倉潤。前職:外資系コンサル。年収2000万。

趣味:不幸を見ること。

特技:上から見下ろす視点と、地べたで呻く視点、両方持ってます」


人事部がざわついた。


「これ…あのログの人じゃない?」


「マジで来ちゃったの?共感中毒の人が、演出側に?」


笠井は面接を担当することになった。


――会議室。

以前と同じタワマン仕様のスーツ、だが目の奥の光は違っていた。


「ようこそ、エモートへ。……まさか本気で?」


潤は静かに笑った。


「俺、気づいたんです。

“不幸を見る”より、“不幸を作る”方が、圧倒的に気持ちいいって」


「……気持ちいい?」


「だって、操作できるんですよ。誰が泣くか、誰が怒るか、誰が財布を開くか。まるで神様みたいじゃないですか」


「それ、完全にイってますけど」


「ええ。もう一線は超えました。

でも、ここってそういう会社でしょう?」


笠井は思わず笑ってしまった。

気づけば、彼女の中にもあった。


「可哀想」と呟かれる演出を作るのが、

「救いたい」と言わせるストーリーを組むのが、

本当は、快感で仕方なかったということに。


「…一緒に、作りますか?」


「喜んで」


こうして潤は、「共感設計クリエイター」として再デビューした。


彼が初めて手がけた案件は、SNSで人気の女性フォロワーをモデルにした“病み垢型メンヘラ支援プロジェクト”。


弱音を吐き、薬を並べ、誰にもわかってもらえないと泣き崩れる――

それを見た1万人が、思わず“支援ボタン”を押した。


潤は笑った。


「俺の演出で、1万人が涙を流した。最高だな」


笠井がそっと耳打ちした。


「次は、“炎上から救われる男”っていうストーリー、いけますか?」


「いいですね。

じゃあ、俺自身を燃やして、世間に謝罪して…感動の手紙でも書きます?」


「本当に、あなた、共感モンスターですよ」


かくして、朝倉潤は“悲劇の消費者”から“悲劇のプロデューサー”へと転身した。


今や彼は、ただ不幸を眺める側から、不幸を演出し、販売し、操作する側になった。


             ※

             

朝倉潤がエモート株式会社に入社してから半年――。

彼の作る「不幸ストーリー」はすべてバズった。泣ける投稿、怒れる投稿、炎上して救われる投稿。

すべて“設計済み”。共感数、シェア数、寄付総額――KPIは常に100%超え。

社員は彼をこう呼んだ。


「エンゲージ・ゴッド」


だが、潤はもう「数字」には飽きていた。

もっと、“本物の感情”が見たかった。

もっと、人間のドロドロしたものを、表層じゃなく芯までこじ開けて、操作したかった。


ある夜、潤は笠井にこう言った。


「作り物の感情には限界がある。

俺が今から、“本物の不幸”を作るよ」


「……え?」


「ガチの人生崩壊を演出する。

演技じゃなく、現実を”崩して”いく」


彼が目をつけたのは、SNSで「真面目な日常」を投稿する一般人たちだった。

幸せそうな子持ち主婦、誠実そうな大学生、介護を頑張る中年男性。


「こいつらに地獄を見せて、そこから“コンテンツ”を作る。

崩壊した家庭、裏切られた信頼、失敗した挑戦。

現実の不幸には、演出を超える“狂気”がある」


「それ、犯罪に近くない…?」


「ギリギリを攻める。

だって見てみろ、誰も気づかないよ。“不幸の演出”と“現実の不幸”の違いなんて」


潤は動き出した。


              ※

              

「お祈りメール、5通目だ…」


田嶋亮、22歳。慶応大学経済学部4年。

GPAは3.8、TOEICは890点、サークルの代表も務めた。

就活は無敵のはずだった。

──そう思っていた。


しかし、第一志望の大手広告代理店に落ちてから、何かが狂い出した。

次の企業では、面接官の顔色が明らかに曇った。

さらにその次の企業では、「何か過去に問題ありました?」と唐突に聞かれた。


心当たりはない。

過去の炎上も、失言も、SNSでの発言もクリーンだった。

だが、どこかで自分が“壊れていく音”が聞こえた。


「おかしい…俺、何か間違えたか…?」


やがて田嶋は、無意識にスマホで「就活 詰んだ」「人生終わった」と検索するようになる。

そんなとき、あるアカウントのツイートが目に留まった。


「がんばってる人が報われない世界は、本当に残酷だよね」

──@engage_god


心に刺さった。

その投稿を、何十回も読み返した。

田嶋は初めて、他人の言葉に“自分を見てもらえた”感覚を抱いた。


思わず、DMを送った。


《俺も…その通りだと思いました。全部落ちて、自分が壊れてる気がします》


すると、即座に返事が返ってきた。


《あなたは壊れてるんじゃない。

壊されてるだけ。》


その日から、田嶋は@engage_god――朝倉潤とのDMを、日記のように続けた。



「今日も面接、変な空気になりました。

自己PRを始めた瞬間、面接官が笑ったんです」


《彼らが笑ったのは、あなたの言葉じゃない。

“自信”に傷がついてるのを、嗅ぎ取っただけ。》


「でも、俺、何がダメか分からないんです。

何が間違ってたのか…」


《間違ってないよ。

“普通に頑張った人”ほど、折れると深く壊れる。

君は今、商品になるところなんだ》


「商品…?」


《傷ついた人間の言葉には価値がある。

立ち直ろうとする姿は、他人の涙を呼ぶ。

今の君は、磨けば光る“失敗の物語”なんだよ》


田嶋は、その言葉に救われた気がした。

「価値がある」と言われたのは、いつ以来だったろうか。



やがて、@engage_godから一本のリンクが届いた。


《noteを書いてみないか?

“就活に失敗した僕が、見た景色”。

君の人生には、他人を動かす力がある》


田嶋はその晩、徹夜で文章を書いた。

気づけば手は震え、目から涙がこぼれていた。


「僕は、自分が価値ある人間だと信じていた。

でも、企業に何度も拒絶されるうちに、

鏡の中の自分すら信用できなくなった」


投稿後、数時間でnoteは拡散された。

「わかる」「泣いた」「自分も同じ経験がある」


フォロワーは1万を超えた。

DMで取材依頼が来た。

中には、出版社もあった。


その中の一通に、こう書かれていた。


「“失敗した若者の声”が、今の日本には必要です。

ぜひ、あなたの人生を語ってください」


田嶋は震えた。

彼の“壊れた経験”は、いまや希望だった。



──だが、それが演出されたものだったと知ったのは、数ヶ月後。


とあるWeb掲示板で、「朝倉潤」「エモート株式会社」「就活偽炎上」などの言葉が飛び交っていた。

ある匿名の投稿が、決定打だった。


「俺、朝倉ってやつに人生ぶっ壊された。

DMで『支援します』って言われてたのに、全部裏切られた。

実はこっちの情報、彼が企業に流してたって噂もある」


その書き込みに添えられていた、1枚のスクショ。


朝倉の匿名アカウントが、企業の内部者に向けて送っていた。


「田嶋亮、拡散力あり。精神的に追い込めば、自発的に物語を作る」


目の前が真っ暗になった。


あの言葉も、あの励ましも、全部、操作だった?


田嶋は潤にDMを送った。震える指で。


《あれは、演出だったのか?

俺の不幸って、仕組まれてたのか?》


返事は、すぐ来た。


《もちろん、仕組んだよ。

でも、君が泣いたのは本物だろ?

それが一番、価値があるんだ》


怒りも、悔しさも、湧かなかった。

ただただ空虚だった。


──俺は、物語にされるために生かされていたんだ。


             ※

             

田嶋亮は、“自分が壊されていた”ことに気づいた。

就活の失敗は、朝倉潤による巧妙な情報工作。

支えてくれたと思っていた@engage_godは、彼を「失敗者のモデルケース」として利用していた。


普通なら、復讐を選ぶだろう。

だが田嶋は、逆だった。


むしろ――嫉妬したのだ。


「自分には見えていなかった構造が、彼には見えていた」

「“不幸すら設計できる人間”が、この世界の支配者なのだ」と。

次の日、田嶋はエモート株式会社のビルの前に、スーツをビシッと決めて立っていたーー。

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