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02

 闇色の髪も、せっかく手に入れたマントやブーツも、焼け()げ、嫌な臭いを放っている。

 肌は赤く()け、あるいは火膨(ひぶく)れとなり、眼は痛み、かすみ、もはや涙で潤す事さえできない。喉はいがらっぽくひりつき、鼻は……

 その剣呑(けんのん)な平原を渡り終えた時、彼は咳き込み、大地に両掌をついていた。

「とんでもない……所だ……まったく……」

 咳の合間にゼイゼイいう喉から言葉を絞り出す。

「帰ったらレダニアの話を割り引いて聴いていた()びをしなきゃな」

 もはや世界は闇でも()けた鉄色でもなく、ぼんやりとした薄明に変わっており、林立する鈍色(にびいろ)の巨石と白く立ち枯れた貧相な木々、うねうねと走る小さな()れ川、点在する窪地(くぼち)といった様相を(てい)している。

 陽光や月光、といった一方からの光ではなく大気そのものがわずかな光を含んでいるようで、陰影のない、幻のような(なが)めだ。

「現れたか……」

 またしてもレダニアの話を裏付けるように、幾つもの影が彼の様子を(うかが)っていた。

 身の(たけ)はおよそ三スパン。骨と皮だけに見える細長い手足。(とが)った歯。毛むくじゃらの、下腹のふくらんだ胴。知性の欠片(かけら)もない、餓えにギラついた小さな眼。

「この僕を獲物に選ぶとは、いい度胸じゃないか。いや、度胸は関係ないか。『あれば喰らう』それが餓鬼の本能だからな」

 ジェレアクは立ち上がり、餓鬼共から目を離さずに爪先を使って地面に線を引き始めた。

 何本もの線が交差し、図形が刻まれ、そして文字。

 バッ!

 大地を蹴る音。黄色い歯をむき出し、一斉(いっせい)に宙を飛ぶ餓鬼共。その鋭い爪はジェレアクの喉を狙って突き出され……

(いかづち)よ!」

 最後の一文字を書き終えたジェレアクは一瞬のうちに飛び退(すさ)り、高々と右手を挙げて叫んだ。

 閃光、轟音――

 大気が青くかすみ、鼻をつく臭いが漂う。

 魔法陣の上に積み重なり、 (けぶ)る、焼けた(かばね)

「何とか間に合ったか。……この程度の魔術に魔法陣が必要だとはな。

 だが、これで食事にありつける。極上の美味とはいかないが、野趣あふれる冥土の珍味、と言ったところか。なに、()げ臭いのもご愛敬(あいきょう)さ」





 無の空間――

 光の不在、あるいは単なる闇の欠落ではない。虚無の拡がる場。すべての認識を拒む絶対。

 冥府の果てはその存在の否定、という形で亡者の逃亡を(こば)んでいた。

 だが、一カ所だけ、他が存在せぬが故にすべてでもある聖所、《門》の威容(いよう)現世(うつしよ)の影と共にある。

 二本の巨大な石の柱。それは遙か頭上に渡されたもう一本の石柱を支えてそびえ、その両の根本に鎖で繋がれた二頭の獣。

 太陽を宿したように燃える 翡翠(ひすい)色の(ひとみ)。青銅色の (うろこ)背鰭(せびれ)のある巨大な山猫が水晶のような牙を()き出し、冥界を 睥睨(へいげい)している。

「ヴァーガ・ジュード」

「ほう…… 我の名を知っているのか」

 獣の、およそ言葉を発するに適さない口が醜くゆがみ、グルグルという低い喉音と共に地を揺るがすような声が響く。

「レダニアから話を聴いたのさ、(とら)われの魔獣さん」

(二頭いるとは聴いていなかったが。レダニアめ、意外と用心深い。

 こいつはもっと肝心な所が端折(はしょ)られていると思った方がいいな)

「……レダニア? はっ、あの女の身内の者か。成るほど生粋(きっすい)の闇の臭いがするわ」

 ヴァーガ・ジュードは鼻に(しわ)を寄せ、前足で(かお)()く。

「さっきから気になっているんだが、なぜ二匹いっしょに話すんだ?」

「気にするな。あれはただの影だ」

「影、ね……」

 ジェレアクは片眉を上げ、同じ動作をする二頭を見比べる。

「僕にはどちらも実体があるように感じるが……」

「それはそちらの都合だ。我には関係ない」

 言われて、ジェレアクは僅かに肩をすくめる。

「で、どちらが本物なんだい?」

「我にそれを()くのか? 闇の子よ」

 それをそう呼んでいいものかどうかは別にして、二頭の獣は明らかに(わら)っている。

「訊くだけ無駄、か」

 二頭は同じ事しかしないのだから、どちらも『我が本物だ』と言うに決まっている。

(本当に同じ動きしかしないのなら問題はないが……どうも怪しい。

 創始者(ディスファーン)がわざわざ混沌から呼び出してここに繋いだというからには何かあるはずだ。何か……)

「ま、いいさ。ところで、ものは相談なんだが……」

「聞けんな」

「まだ何も……」

「ここを通す訳にはいかん」

「どのみち通る事になるんだ、お互い手間を省こうじゃないか」

「たいした自信だな。レダニアの使った手はくわんぞ」

「彼女はどんなやり方をしたんだ?」

「聴いていない、と言うのか?」

「そうは言ってない。ただ、我が一族の習慣として……」

「あの女の言った事が嘘か誠か判別し難い、と……」

 ジェレアクは話の腰を折られ、ヴァーガ・ジュードの嗤いが皮肉に響く。

「……その通りだ」

「クックックックッ……さもあろう。実にひねくれた一族(うから)よ。

 我が教えたとして、どうする? もし、それが真実で我の話と一致すれば……」

「どのみち、彼女と同じ事をするつもりはない。父がどんな手段をとったのかは知らないがね」

「父だと? ……では、貴様はディスファーンとレダニアの息子か?」

「レダニアは父の妻の一人にすぎない。僕の母はエレイン。それがお前にとって何か意味があるのか?」

「ないな」

 あっさりとした答え。

「ただ、これから喰らう者の血筋を知っておくのも悪くないと思うたまで」

生憎(あいにく)だが、お前に喰われてやるつもりはない」

「『貴様の都合は関係ない』と言っただろう」

 ヴァーガ・ジュードは低く身を伏せて大地に爪をたて、尾をくねらせる。

 ジェレアクは両腕を開いて、門の狭間(はざま)から漏れ来たる暗黒の気を受け、燐光を放つ指先の軌跡で、宙に図形を描く。

「大地の(ひも)の王ファーヴニルよ

 ジェレアクの名に(いら)えよ

 (いで)て 混沌より生まれし獣ヴァーガ・ジュードを封じよ」

 鳴動――

 《門》の向こう、現世(うつつよ)の大地が割れ、黒金の鱗を持つ大蛇が現れた。(つつみ)を破って(あふ)れ出す大河さながら、恐ろしい勢いで《門》を潜り、二頭のヴァーガ・ジュードに襲いかかる。

「ガァッ……!」

 ヴァーガ・ジュードが唸り、(くちなわ)(から)みつき、締め付ける。

 が、二頭の獣のうち一頭は霧のように消え、次の瞬間、再び現れたかと思うと大蛇(ファーブニル)に牙をたてていた。同時に、取り残されていた方が消え失せ、予期せぬ場所に現れる。

 ファーブニルがその身を絡めても、絡めても、獲物は霧散し、相手の牙と爪は容赦ない攻撃を加えてくる。

「どちらも影であり、実体でもある、か」

 戦闘の巻き添えをくわないよう離れていたジェレアクは『やっかいだな』と呟いて、地面に魔法陣を描き始めた。

(レダニアに教えられた方法を使っていたら、また奈落に逆戻りしていたところだ。しかも、あのケダモノの腹の中を通るっていう、うれしくないおまけ付きで)

 ヴァーガ・ジュードに喰らいつこうとしたファーヴニルの(あぎと)(むな)しく()み合わされ、毒牙からしたたった黄色い毒液がシュウシュウと地を()がす。

(見たところ二体同時に実体化する事はないし、影に対しても鎖は有効なようだ。ただの鏡像ではなく、どちらも独自の判断で動いているようだが)

 作業を終えたジェレアクは魔法陣の中央に立つと印を結び、呪文を唱え始めた。

 一陣の風――

 一羽の黒鷹が羽ばたき、宙に舞う。

 その右足には黒い小石がつかまれている。

 変化(へんげ)魔術(じゅつ)

 一度、(あた)う限りの高みまで昇ったジェレアクは《門》の最上部を潜るべく一気に滑空する。

「ガウッ!」

 ジェレアクの目論見(もくろみ)に気付いたヴァーガ・ジュードが黒い翼を引き裂こうと地を蹴り、柱を蹴って飛びかかる。

 ジャリン!

 ファーヴニルがヴァーガ・ジュードを繋ぐ鎖に噛みつき、引き戻す。

 その刹那、落下中の魔獣は影となり、地上で構えていたヴァーガ・ジュードが瞬時に実体化、ジェレアクに向け、炎の玉を吐き出した。

 衝撃!

 鷹となったその身の(たけ)ほどもある火球が尾羽をかすめ、ジェレアクの体はクルクルと回りながら垂直に近い弧を描いて落下する。

 かすむ視界の中で大地が迫り、恐怖がその鎌首(かまくび)をもたげる。

 バササッ……!

 羽音。浮揚感。

 それは意識される事なく行われ、実感のないままに彼は大地に降り立っていた。

 現世(うつつよ)の大地に。

 咆哮(ほうこう)――

 ふたつの世界を震わすヴァーガ・ジュードの叫び。

 我に返ったジェレアクは変身をとき、大蛇の王が戦意をなくした標的を放り出し、地下の住処(すみか)へ帰っていくのを見送る。

 ヴァーガ・ジュードは《冥府の門》の番人。

 旅人が望むのがどちらの側への通過であるにしろ、《門》を潜り、新たな大地を踏まえた時点でその役割は終わる。その者は資格を得たのだ。

「貴様とはまた近いうちに逢うような気がするぞ、ディスファーンの息子よ」

 再び、二頭で同じ動きをするようになったヴァーガ・ジュードが呼びかける。

「冗談でも願い下げにしたいね。だけど、別にアンタの貌が気に入らないからって訳じゃないぜ」

「《奈落》へ帰りたがる(やから)はおらん。だが、我とまみえるのはここでだけとは限らぬ」

「なんだって……?」

 足下に転がっていた石を拾い直し、その場を離れようとしていたジェレアクは思わぬ言葉に(きびす)を返した。

「ヴァーガ・ジュード、お前はディスファーンがウェリアを造った時にその故郷である混沌から呼び出され、《冥府の門》を護るべく命を受けて繋がれたんじゃあ……」

「《門》の番など二義的な役目よ。我の使命は別にある」

「な……んだって? 別の使命だと? そいつは一体……」

「今ここで貴様にそれを明かす事はできぬ。が、貴様なら……知る事になるやもしれぬな。

 その石……」

 ヴァーガ・ジュードは片方の前足を伸ばし、ジェレアクの拳を指した。

「大事にする事だ。それはただ偶然に拾ったものではない。貴様の(うち)から出たものだ。貴様の望み、肉体を再生するに至った力の(みなもと)となった 妄執(もうしゅう)が具現化した物」

「これが……?」

 にわかには信じ難く、だが、心の奥底で気付いていたように思える事実。そうでなければ、なぜ彼はこのような物を持ち帰る気になったのだろう。

「教えろ! お前は一体……」

 霧が……すべてを押し隠す霧が世界を覆い、何も見えなくなった。目の前にかざした自身の手でさえも。

 元々、《冥府の門》は生ある者にとってその所在の定かならぬ所。生者への復活を果たしたジェレアクにとって、見る事かなわず、行く事の許されざる場所となった。


 方角もわからぬまま、ほんの数歩踏み出す。

 そこはもう、見慣れた闇の世界。彼の父、ディスファーンの領地だった。


鈍色(にびいろ)(濃い灰色)

※三スパン(約五十四センチ)


次からは奈落から帰還を果たしたジェレアクのお話「闇の碑石」をアップしていきます。


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