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私が書くファンタジーは文語表現や描写が多いのが特徴だと思いますが、この作品は他の話より更に文語的・描写多です。
昔ホームページに掲載していた時は「それが好き」と言ってくださる方々もいらしたのですが、合わない人も多いかもとは思います。
これを読んで「ダメだ」と思っても、他作品も試していただけると嬉しいです。
くらい
つめたい
おもい
いつの頃からだろう。それ、を感じ始めたのは。
それ、が感覚を持つようになったのは。
さ……む……い……
それが多分、そのものの最初の思い。
世界が――だんだんと――形を成していく――そのもののまわりで――
いや、そのものが、形作られていくのか。
どちらでも同じ事。そのものにとっては。
そのもの
その者
彼――
そう、彼は目覚めた。
暗く、冷たい――奈落の底で。
躰が……重い。
永劫とも思える時の中で、彼は自身の身体が再構成されつつあるのを知る。
初めは奈落の底に押し込められた意識体だった。いや、意識のない《霊体》とでもいった存在。
遠い、昔の、おぼろな――彼の、肉体の――記憶が、霞のように希薄な霊気を引き寄せ、形作り、実体化させてゆく。
だが、彼のかすかな存在だけでは足りぬ。手近に漂う霊気――他者達――をたぐり寄せ、押し潰し、取り込む。意志のみの力で奈落の底の冷たい魂共を喰らい、 糧 とする事で、血を、肉を、骨を構築していく。
強い者だけが再生を、復活を手にする。
「う……う……」
彼の 咽喉 から声が……世界の果ての静寂をうち破る唯ひとつの音が漏れる。
「う……あ……くっ……」
しゃがれ、ひずんだ、しかし、まぎれもない彼自身の声。
「あ……ぐぅ……がはっ……」
突如、彼は上体を起こした。
「お……れ……は……」
彼の中で様々な記憶が渦巻く。
「オレ……は……」
認識が彼を捉え、その名を口にさせる。
「ジェレアク……」
それは力。大いなる深淵より魔力を呼ぶ偉大な名。
彼は立ち上がり、叫ぶ。
「ジェレアク。我が名はジェレアク。魔王ディスファーンの 王子ジェレアク!」
闇が慄き、霊気が震え、果てがざわめいた。その力ゆえに、あるものは恐れ、飛び去り、あるものは霊力のおこぼれにあずかろうと集いくる。
(まおうじだ……まおうじだ……まおうじだ……)
幽鬼共の声なき叫びが谺する。
(ちから……ちからだ……ちから……)
(すいこまれる……くらわれる……ひきさかれる……)
(まだよわい……まだ……まだ、めざめたばかり……)
(ちから……ちからだ……ちから……)
(ほしい……ほしい……ほしい……)
(ちから……からだ……あたらしい……つよい……)
(まだよわい……まだ……いまなら……いまならまだ……)
(ほしい……あのちから、からだ……ほしい……ほしい……)
「うっ……わぁっ!!」
肉の衣を持たぬ幽鬼共がジェレアクに群がる。彼が存在しているが故に。
(ほしい……からだ……いきた……にくたい……)
下位の者共とはいえその肉体に対する執念は凄まじく、また次から次へと執拗に群がるその数、およそ限りというものがない。
「幽鬼共……」
ジェレアクの裡で懐かしい感覚が湧きあがり、言葉を形作る。力ある言葉。黒い深淵より引き出される闇の呪言。
「 奈落にたゆとう幽鬼共
黒き力を求める愚かな魂共よ
闇の御子ジェレアクがその名において命じる
疾く 去 ね!」
ゴォォッッ!!
旋風――そして、静寂。
あれほどの数の幽鬼が一瞬の轟音と共に姿を消した。
あとにはただ、黒々と広がる荒野――
奈落――
ウェリアの果て、《 常闇の荒野》の彼方に穿たれた黒き異界。闇に蝕まれた者の魂は肉体を失うと奈落へ落ちる。
忘却――
でなければ永劫の闇と苦悶。それが奈落の掟。
だが、稀に力ある者、常ならぬ精神力、現世への抑え難き執着を持つ者が自らの意志で肉体を再生し、奈落の底で起きあがる。長い長い……果てなく長い道のりを歩み、《冥府の門》を潜る為に。
魔を操った事でジェレアクの記憶はいっそう鮮やかに蘇り、自身の置かれた状況を明確に判断する。
「ヘルヴァルド、ウォデヴァー、シャーン……そしてエリシャ」
彼の唇から、それ自体が力を持つ音節、力ある者達の名が紡ぎだされ、そのまま歪んだ笑いへと変化する。
「フ……フフフ……ハハハ……ハッハッハッハ……
許さない、許さないぞ、貴様達。この僕を陥れるとは……。
必ず後悔させてやる、 この世に生まれ落ちたことを」
ふと気付くと、右手に何か握っている。
小さくて硬い、黒い卵形の物体。
「石か……」
投げ捨てようとして、思いとどまる。
たとえ再生の苦しみの為に無意識につかんだ物だとしても、それは彼が再び存在するようになって初めて手にした物なのだ。それ故、それは奈落の底のくだらぬ小石ではなくなった。
「連れ出してやるよ、お前も。この腐ったくだらん穴からな」
我ながら馬鹿馬鹿しいと思いながら手の中の小石に語りかけて、歩き出す。昔語りが真実だとするならば、とにかく坂を登り続けねばならない。
凍った土とゴツゴツした岩、時折吹きつける身を切るような風の他には闇が拡がるのみ。
幽鬼ならばいざ知らず、生身でこの辺土を踏破できる者がいるとすれば、彼ら闇の王族を除いていないだろう。真の闇を見通し、 類い稀なる魔力と生命力とを持つ彼ら一族の者でさえ、奈落から帰還した者は少ない。
いや、少ないというのは控えめに過ぎる表現だろう。
彼の知る限り、奈落からの帰還者は二名だけ。この世界を創ったとされる混沌の王子の名を継いだ彼の父、魔王ディスファーンと、その妻の一人レダニア。
彼がまだ幼なかった頃。
彼は闇の宮殿の一室でレダニアの話を聴いていた。レダニアの実子であるヘルヴァルドとその妹エリシャ、ヘルヴァルドともジェレアクとも母の違うマーカス、ウォデヴァー、キーンらと共に。
『……そこでは魔法は殆ど使えなかったわ。体が弱っていたせいだけじゃない。
何かの力が働いていて例えば、そう《闇の隧道》を開いたり、乗り物になる魔獣を召還したりといった事だけじゃなく、衣服をまとうことすらできなかった。寒さや痛みを消す呪文も発動しない。
ただ、歩いていくしかないの。歩いて、歩いて、歩いて……
裸足に斬りつける尖った岩や氷。流れ続ける血。初めて体験した本物の飢えと渇き。
まるで自分があの無力な《ヒト》になったようにみじめで、疲れきり、幾度、幾万度もう一度無に還りたい、楽になりたいと思ったかしれない。だけど、私は歩き続けた……』
「レダニアにできて俺にできない訳はない」
彼は歩き、進んでいく。
もちろん魔法も試してみた。が、やはり上手く働かなかった。
彼は裸で、凍え、血を流し、飢え、渇き、疲れている。しかし、みじめではない。無力でもない。手の中には彼の復活を記念する石があり、身内には憎悪と誇りと決意が漲っていた。
ヘルヴァルド
ディスファーンの長子、おっとりとして愛想のいい、魔族にあるまじき品行方正な男。両親の言いつけをよく守り、弟妹を可愛がり、魔術の研究に勤しむ。
おおかた口車に乗せられて担ぎ出されただけなのだろうが、御輿になったからにはそれなりの責任をとってもらわねばなるまい。
ウォデヴァー
あの間抜け。ぶよぶよと太った白いウジ虫。おとなしく菓子でも食べていればいいものを……。馬鹿のくせに魔力だけは並以上なんだからな。
フフッ、奴は生かしておいて一生こき使ってやってもいいかもしれん。
シャーン
ジェレアクと母を同じくする彼の 雛形 。だが、似ているのは見かけだけだ。
俺が眼をかけてやっていたのを逆手に取るような真似をしやがって……。ま、あいつはまだガキだからな。だが、無知が罪悪のひとつである事を教えてやる。
エリシャ
美しく、聡明で大胆な、その母親によく似た可愛い妹。
多分、首謀者は君なんだろうな。素晴らしい、まったく見事な計略だったよ。だが、その素敵に冴えた 頭脳が命取りだ。
「君には何か特別素敵な計画を考えてあげよう。ゆっくりと時間をかけてね。
その取り澄ました綺麗な顔が恐怖と苦痛で醜くゆがみ、そびえ立つ山のような自尊心をかなぐり捨てて、ありもしない僕の慈悲を乞うて泣き叫ぶような……独創的な仕掛けを」
どのくらい歩いたのだろう。 月日 のない世界では無意味な事だが、それでもそう思わずにはいられない。そして、そんな思いすら擦り減ってしまったかに感じる頃。
足下の地面が凍っていない事に気付く。いや、むしろ熱いくらいだ。
それまで、ただひたすらに一歩先の大地のみに注がれていた視線をあげると、遠く、暗黒の空と地平の狭間に、灼けた鉄のような輝きと微かにゆらめく陽炎。
「火炎地獄……か」
『氷の世界が終わると灼熱の炎に灼かれるわ。僅かばかり働くようになった魔法と一族特有の並はずれた再生力のおかげで、なんとか切り抜けられたけど……』
「レダニアの言っていた通りだな」
見渡す限りの灼けた砂。
砂を割り、不意に噴き上がる炎の柱が林立する。
轟きを発し輝く柱は太さも高さも間隔もまちまちで、天を目指し真っすぐに伸び上がると、しばし世界に熱を撒き、力尽きたように消えゆく。
「魔法が使えるようになったのなら……」
ジェレアクは衣服を望み、下穿きと長靴、厚いマントのみ現出させる事に成功した。
「フン、まだ完全とはいかないか」
それでも事態は先程までより好転している。小さく、ごく弱いものではあるが、魔法の障壁を作る事もできた。
マントに結び目を作って落ちないように石をくるむ。
「いざゆかん、我が復活と栄光の道へ」
意気揚々と間歇火炎の原へと踏み出し、ヒトの子の歌う行進曲を口ずさむ。
が、後に彼が語ったように鼻歌交じりで踏破、と言う訳にはいかなかった。
※隧道(トンネル)
「奈落」は時系列ではウェリガナイザシリーズ最初のエピソードです。
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