第3段「糸繰ふらんとの出会い・後半」
「え、ふらんさんvtuberなんです?」
言いながら、あまりに露骨な聞き方だったかもしれない、と反省。
だが、これを聞かないと僕は夜も眠れまい。
しかし、 僕はいまだ自分の思っている以上にvtuberに関心があるらしい。
「まあね、まー底辺だけどね!」
まあ、それはそうだろうけど……
有名ならこんな辺鄙な鯖にいるはずがないだろう、と各方面に失礼なことを考えた。
「もけちゃんvtuber好きなの?」
「ぬぅ……まぁ……」
肯定するのは不服だった。
しかし、これまでの自分を振り返ってみて否定もできなかった。
僕が自分の返答に悶々としていると、ふらんは驚くべきことを口にする。
「じゃあ配信してあげよっか、もけちゃんのために」
「えっ……」
若きヒキオタニートの悩み/第三段
「えっ……」
言葉の意味が理解できなかった。
「もけちゃん初ボイチャ記念だよ、やったるで」
dispeakには、画面共有機能があることは知っている。
数クリックでかんたんに配信できるが、つべの配信者が実際に使っている本格的な配信ソフトを使うことも可。
「そんじゃ、色々準備するからちょっとまっててね~」
「えっ、えっ……」
僕の理解が追いつく前に、ぽろろん、と配信開始のアラームが鳴った。
僕は恐る恐る視聴開始ボタンをクリックする。
◆
そこには、VTuberがいた。
やわらかな金の髪、アメジストのような紫の瞳。
服装は、ゴシックロリータ風で、黒を基調としたドレスに紫のレースがあしらわれている。
落ち着いた黒で統一されているが、紫のアクセントがあやしい魅力を引き立てていた。
まとめると、ビスクドールを思わせるビジュアルだ。
「こんふら~! バーチャル美少女ドールの糸繰ふらんで~す!」
いままでの気だるい話し方とは打って変わって、詫びボイス。
「きょうは、モケモケさんのために配信をつけてみましたー!」
そのハツラツとした話し方、声の通りが一般人のそれとは一線を画している。
率直に言って、配信慣れしている、そう感じた。
彼女はにっこりと笑い、ぴょこぴょこと元気よく左右に動きながらあいさつした。
「なんてね」
ふらんは少し恥ずかしそうに笑った。
『プロだ』
『すごい』
『俺のモノマネとは違うな』
『────プロやな』
「もけちゃんもなんか言えよー!」
何と言われれば、素直にかわいい。
いや……かわいい。
語彙が消失し、その一言しか無く、そしてその一言が言えなかった。
ひとまず、なにか言わなければ……と僕は口を動かした。
「すごいですね、これはlife2Dってやつで動いてるのですか」
「実写ですけど!!!」
「はい……」
怒られてしまった……
vtuber界隈では、舞台裏や中の人関連の話はあまり歓迎されない。
少なくとも、かつて僕の常駐していたスレではそうだった。
「なにしよっかな、とりあえずキノストでもすっか、準備するからちょっとまっってね~」
ぼーっと配信画面を見ていると、「あ、やべ」というふらんの低い声が聞こえた。
どうも配信ソフトの操作を間違えたらしい。
一瞬だけ、あるウィンドウが映り込んだ。
それを見て、僕は目を見張った。
その画面には、昨今のキラキラしたSNSのような洗練さは無い。
むしろ、無骨で古典的ですらある。
”名無し”とだけ書かれた投稿者名がずらりと並んだ画面、早い話、匿名掲示板のそれであった。
そう言えば、このギルドも匿名掲示板発祥だったな、と思い出す。
しかしそれでも、うんTとかいう場末の匿名掲示板に、女性ユーザが存在するとは思わなかった。
僕がそんな風に軽いカルチャーショックを受けていると、あるメンバーによってこんなメッセージが投下された。
『ふーたんのidでログ検索してみたら草』
ふーたんとは、ふらんのことだろう、と僕が察知していると、続いて以下のようなリストが投稿された。
・【緊急速報】俺氏、朝から快便な件[ID:87hg8★]
・うんこってうんちより人気無いよね[ID:87hg8★]
・深夜だし生まれたままの姿で出歩いても良いよね[ID:87hg8★]
・うんち、救世主だった [ID:87hg8★](16)
・雑談スレ✌ [ID:87hg8★](156)
……要するに、きょうふらんが建てたスレの一覧だ。
どうやらさっき彼女が映した画面には、彼女のきょうのIDが映っていたらしい。
ものの見事に糞まみれ……いや、クソスレまみれである。
『快便だったの』
『草』
『うんち大好きかよ』
『うんこ、な』
「ちっ、ちち違いますけど!! おれちゃんじゃないし!! なりすましだし!! ID被りだし!!!」
ご愁傷さまである。
僕はスレ立て自体片手で数えられるくらいしかしたこと無いのに、アグレッシブなものだ。
とりあえず僕は『草』とだけ送信しておいた。
「ふらんさんも掲示板使うんですね」
「まあね、というかここはもけちゃんも含めてみんなネラーじゃない?」
『俺はにゃんJから』
『ぷんJ→にゃんJ→にゃんG→うんT』
『デッヂから』
『ぷんJからきたまとめキッズです』
ネラーとかいう死語が普通に全員に通じるくらい、ここはネラーのたまり場らしい。
そういえば、この鯖のメンバーは、彼女も含めてみんな重度の掲示板ユーザだったはずである。
「おれちゃんはもともとソシャゲ板に常駐してたんだよね、あとはだいたいみんなと同じかな」
「! 僕もだいたい同じです!」
そんな感じ。
そんな感じで、みんなの掲示板遍歴や、それぞれの掲示板であったことなどについて話し合った。
◆
「やっべもう朝じゃん」
ふらんの言葉で窓を見てみると、カーテンのすき間からじんわりと光が差し込んでいた。
またやってしまった……
僕はニートとは言え、元来至極健康的な生活を送っていたというのに。
まったく彼らと出会ってから、毎日夜明かしだ。
「なんか予定あるんです?」
ふと気になって聞いてみたが、それは余計な質問だった。
いや、ここでそれを聞いていなかったとしても、いずれ直面した問題のはずだっただろう。
「彼氏とデートじゃ」
彼氏。
彼女のその言葉を聞いて思わず僕は凍りつく。
息が詰まる。
鳩尾から黒いどろどろとした何かがせり上がってきて、肺を焼く。
いや、そんなこと、理論としてはとっくの昔に知っていたのだ。
女には男がいるものだ。
だが、事前に想定しているのと実際に本人から耳にするのとはでは、恐ろしいほどに重みが違う。
テキストチャンネルを見て、僕はさらに絶望的な気分に囚われた。
『ジャコブローさんか、鯖に帰ってこないかな』
『遅くなったけど婚約おめ』
『惚気(怒)』
そうか。
そうかそうか、すでにそこまで発展していたか。
「……なるほど、がんばって」
ひとまず僕はそう返した。
声が震えないように、喉を抑えつけながら。
「うん、また夜ね、ばいばい」
そう言い置いて、僕らは通話チャンネルから退出した。
僕は椅子にもたれかかり、天井を仰いだ。
そして、深くため息をつく。
めくるめく甘い陶酔の時間だった。
だが、最後の最後でこの仕打ちか。
いや、ワンチャンある、なんて思っていたわけではない。
決してだ。
なぜなら僕を天秤にかければ、どんな女性が相手でもあまりに不釣り合いだからである。
何故かと言われれば、僕は女性を喜ばせられる何かを一切持たないからだ。
金、ルックス、性格、ステータス、力……エトセトラエトセトラ。
どれをとっても僕はクズなのだ。
まあそんなことより重要なのは、それからの僕の生活は至福を極めたっていう話だ。
毎日夜や朝まで通話したり、通話しながらにキノストや他のゲームを遊んだり、色々だ。
暗い青春を送った僕にとっては、それはもう刺激的だった。
ただ女の子が傍に居てくれるだけで、すっごく嬉しくて、楽しい。
僕はもう、彼女から離れられそうにない。
願わくば、この日々が続きますように。
どうかできるだけ、長く。
傍にいさせてもらえるだけで、僕は満足だ、幸福だ。
しかし。
僕の心の平穏は長続きしなかった。