本編二話
森の中、獣道に近い道を切り開きながら進んで行く。青々とした木々は生命を象徴し、小動物たちが草陰や枝を伝っていく姿が見え隠れする。私たちの存在を認識し、遠巻きから観察しているのが感じられるが、実際はほとんどが静寂を占めていた。先導していた太陽は私達よりもいくらか早く進んでおり、若干の焦りが出てきた。まだ明るいうちに進んでおきたい気持ちが自然と足を急がせるが、機敏に反応し後ろから黙ってついてきてくれるカラメラには非常に助かっていた。汗が冷え始めてきた夕方近くの薄暗さは、近くに火の灯があるのを目立たせる。同じ冒険者かもしれないという期待は、あまりに無垢で愚かな判断だと脳は即座に切り捨てた。思わず駆け寄ろうとしていたカラメラを無言で制止し、腰を屈めて慎重に近づき実態の確認の為に目を凝らす。視認できるギリギリを責め、呼吸を制御し、正確に火に映る姿を分析する。鼓動が大きくなる、若干の手の震えが出てきた。火を囲むように座る四つの影は、主が優に3m以上の巨体を持っていることを示していた。火に当たり照らされる姿は灰色をしており、岩の様に巨大かつ一部の隙も無い筋肉質な体が映っていた。手にしている得物も1.5m以上はあるだろうが主の巨躯に圧倒され大きさを正しく認識させない。中でもひと際巨大な肉体をしているトロールは肌が黒曜石の様に黒く、また筋肉に鋭さを感じるほど引き締まっていた。彼らの顔が遠いため表情は確認できないが、これ以上の接近は危険すぎる。幸運にもまだこちらに気づいている様子がないこと安堵しながら深呼吸を心がける。トロールは夜型の蛮族だ。まだ日が出ている内に離れたい。
「それで、あの方々はなんでしたの?」
小声で聞いてくるカラメラに、震える呼吸をしながら小さく返答をする。
「あれは蛮族の、トロールです。数は火に当たっている数の最低4人以上。一人はダークトロールといってトロールよりも高位の蛮族です。」
「それは強いのですの?私より?」
「トロールでカラメラさんと同じかそれ以上、ダークトロールにはまるで歯が立ちません。」
これは非常に冷静で、公正な評価と言える。カラメラの実力を過少でも過大にも評価していない。戦いになればまず勝ち目はないだろう。まだ荒れた呼吸を整えながら迂回する案を考えつつ提案しようと口を開きかけたとき、彼女は真剣なトーンで提案をしてきた。
「もしそうならば、立ち向かわない理由は無くってよ?これからこのトロール程度とは比べ物にならない脅威に向かう以上、怯み腰になっている場合ではないですわ。」
そう言って近くの木の枝を二本折り、両手に握ったかと思えば、匍匐前進をしてジリジリとトロールたちに近づいて行った。あまりにも理解に苦しむ判断に反応が数瞬の間遅れている間にも彼女は背の低い草木の中を構わず匍匐前進で進んで行く。小さな小枝は彼女の繊細なドレスを容赦なく引っ掛かり、柔い肌を引き裂き、進行を妨げんとするが、彼女はおかまいなく進み続ける。トロールと彼女に交互に視線を送りながら、腰をさらに屈め這うように彼女に近づいていくと、突然彼女に腕を捕まれ地面に伏せさせられた、突然の出来事に驚き声が出そうなるが、トロールの方向を見るとさっきまで私がいた位置を見ている。あのままであったら、トロールに気が付かれるところだったろう。もし気が付かれていたらと、最悪の想像をしている間に、それ以上の事態を引き起こそうとしている彼女は進み続けている。自分は決して勇敢ではない、それでも冒険者として最低限の矜持は持ち合わせているつもりであった。しかし、一度脳に刻まれた死に対する恐怖はそう簡単に拭えるものではないようで、全身の筋肉は硬直し、一歩も進めず引くことすら叶わなくなってしまった。目の前にいるのが自分の仲間の仇を取ってくれるかもしれない人物であってものどれだけ足を殴りつけても一歩も動く気配がない。ただこうして彼女が、カラメラが、死にゆくのを見るしかないのか。思わず目を閉じそうになる。でも閉じることはなかった。見ることまで辞めてしまったら二度と立ち上がれないかもしれないと思ったから?言語化できない感情があった。
カラメラは、全身が草木で包まれた様な姿で、あと一歩進めばトロールの背中側に出るほど接近していた。そこで小さな小枝を両手から離し、背中に背負っていた二本のフランベルジュに手をかけ、構えた。まだ這いつくばっている。ここからどうするのだろうかと息を呑んでいたら、膝を若干立て、持ち手の部分を支えにしながら、まるで得物を狙うウルフの様な姿勢から、勢いよく地面を蹴り出し飛び出した。ほとんど前に倒れるように飛び出した前傾姿勢のまま二本のフランベルジュを突き出し、勢いそのまま前方のトロールに突き刺した。フランベルジュは滑るように、岩の様な筋肉に入り込みそのまま肉体を貫通させた。貫かれた巨体は抵抗する姿はなく、両の腕はだらりと下にぶら下がり、首が座っていなかった。彼女は前に巨躯を蹴り出しながらフランベルジュを素早く引き抜き、吹き出た血液を浴びつつ、目元を拭いながら再びトロールたちに向けて二本を構えなおす。応戦するかと思われたトロールたちは、以外にもあっさりと撤退を選び。視認ができなくなるまではこちらの様子を確かめながら慎重に下がっていった。助かった。心からそう思った。急に緩んだ緊張に、筋肉がおぼつかない動きをしたため、立ち上がるのに苦心したが、一刻でも早く彼女に近づきたかった。なんて声をかける?ごめんなさい?ありがとう?それとも、
「あ~~~~きんちょうしましたわ~~~~~」
さっきとは打って変わって気の抜けた声とともに、ペタリと座り込む。もうドレスは土と草木と血液でぐちゃぐちゃだ。大胆な提案をすると思えば案外緊張もしている。少し手の震えも見えるだろうか、決して自信ばかりであったばかりでもないということだろうか?ではなぜ?なんて思案をしているうちに、すっかり日が暮れてしまった。
「丁度トロールたちが使っていた火もありますし、今日はここで野宿することにしますか?」
私の提案に首肯によって答える。声を出す気力もなくなってしまったのか、先ほどよりもぐったりとしているように見える。草木はともかく血は落とさないと面倒なことになる。今日は生返事の彼女を相手しながら床に就いた。