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 捜査はなかなか進展しなかったが、ここにきて予想外のことが判明した。

 児玉太一の元妻である小谷真樹が、「わどメンタルクリニック」の医師である和戸尊の妻・聡子さとこのいとこであることが判明したのだ。早速海老名はクリニックを訪れた。

 「あらー、エビちゃんさん、お久しぶりですね」クリニックの受付にいた聡子は笑顔で迎え入れた。40代半ばではあるが、なかなかの美貌びぼうである。これで普段はぶっきらぼうな男言葉を使うなんて信じられないぐらい。夫の尊もかなりの変人ではあるが、ある意味ではお似合いの夫婦なのかも。「今日は真樹のことで私に用事があるんですよね? まさかあの子が人を殺すなんてことはないはずなんですけど、お役に立てることがあれば何でも話しますよ」

 「エビちゃん、待ってたわよ」待合室のソファに座っていた尊が腰を上げる。三船敏郎に顔が似ている髭面ひげづら。屈強な体格。それと反比例をなすオネエ言葉。この和戸尊に会うたびに、海老名は世の中の常識が数ミリほど傾いてしまうのを感じて、戸惑ってしまう。

 「今日は奥さんに用事があるんですけど、先生も同席しますか? 診察の方はいいんですか?」と海老名が迷惑そうに質問する。

 「大丈夫よ。今は午前中で診察時間外だし、それにママがどうしてもあたしに付きってほしいって、うるさいのよ」

 「だってさ、俺のいとこが殺人犯じゃないかって疑われてんだろ? 不安でしょうがないんだよ。父ちゃんに付き添われないと俺、倒れそうだぜ」聡子は男言葉でつぶやいた。「……あ、失礼しました、エビちゃんさん。ということなんで、主人が付き添ってもいいですよね?」

 「そうと決まったら早速為夫ちゃんも呼ばなくちゃ」尊は浮かれた調子でそう言った。「為夫ちゃーん、エビちゃん来たわよ!」

 「いいですよ、あんな奴呼ばなくたって。邪魔でしょうがないんですよ」と海老名が訴える。

 「いや、為夫ちゃんもママの話をぜひとも聞きたがってるのよ」

 「あいつ、いつも人の妨害ばっかりなんですよ。あいつが探偵として無能であることは先生も認めてるでしょう」

 「話を聞いてるだけならいいんじゃない? 誰にだって話を聞く権利はあると思うの」

 そうこうしている間に「3」と上部に表示された扉が開いた。扉には「丸出為夫探偵事務所」と、マジックペンで汚く手書きされた紙(しかも半分はがれかかっている)が貼られている。ベレー帽にパイプ煙草、トレンチコートの下はランニングシャツにステテコ姿の丸出が登場。手にはなぜか実験用の空のフラスコを持っていた。

 「なぜか知りませんが、コートを着ると急に暑くなりますな」丸出が不満そうにつぶやく。「やあエビちゃん。昨日はよくも私をわなにはめましたな? このうらみは倍にして返しますぞ」

 「そりゃ悪かったな。あんたがまともな人間でまともな服装をしてれば、あんなことはしなかったよ」と海老名が悪びれずに平然と言った。「それよりおっさん、そのフラスコは何だ? 素人しろうとのくせに化学実験でもする気か?」

 「よくわかりましたな。私は化学実験が趣味なんですよ。シャーロック・ホームズと同じ趣味です。アルミの空き缶から純金を取り出そうとしてるところですぞ……あ、ママさん、あの花瓶に違うアジサイを活けましたな」丸出が受付の机の片隅にある白い花瓶を見ながら言った。花瓶には赤いアジサイが活けてある。「前は青でしたぞ。あの花瓶には私が大事な金属を入れておいてあるんだから、触らないでいただきたい」

 「あ、そういえば、花瓶の中に小さな石ころが入ってたな」聡子が悪びれずに言った。「どうしてこんな汚い石ころが入ってるのかと思って、燃えないゴミの日に捨てちゃったよ」

 「駄目じゃないですか。あの石から純金が取り出せるかもしれなかったんですぞ。せっかく私の実験の成果が出せたのかもしれないのに……」

 「でも為夫ちゃん、その前に賢者の石が見つかんなければ、純金は取り出せないわよ」と尊が口を挟む。

 「そう、それが問題なんですな。賢者の石ってのは、そもそもどこで見つかるのか今のところ最大の謎でして……」

 「夢の中ならば見つかるんじゃねぇの? 部屋に戻って、ひと眠りしてこい」と海老名が嘲笑ちょうしょうした。


 「真樹は今でも前の旦那だった児玉さんに未練があるみたいですね。児玉さんの引っ越し先の近くにすぐ越してくるんですから。昔からあの子、やたらと1つのことに執着するところがあるんですよ。フラフープをうまく回せるようになるまで何度も何度も夜遅くまで練習して、練習してるうちに腰を痛めちゃったりして。そりゃもう頑固がんこでしてね。ちょっと気味が悪いぐらいでした」と聡子は話す。

 「最近、真樹さんとは会いましたか?」と海老名が聞く。

 「ええ、池袋から大塚まで近いですから、しょっちゅう会ってますよ。よく家にも遊びに来たりもするし……なあ、父ちゃん」

 「そうよ、彼女、家にもよく遊びに来るの」と尊も同意する。「確かにちょっと変わってるところがあるわね。彼女、アイスクリームが好きで、いつもおみやげはこのアイスクリーム。それもいつも同じハーゲンダッツのパイナップル味。こればっかり買ってくるのよ。ちょっと飽きてきちゃった。今の時期ならともかく、寒い真冬でもいつもこれだから。一度診察してみたいと前から思ってたわ」

 「児玉さんの子供のことについて何か話をしてましたか?」と海老名。

 「よく話してました。いつも遠目でしか見たことがないけど、とてもかわいい子だって」と聡子。「あの子、子供がいないから、自分も児玉さんとあんな子がほしいらしいんですよ。この前殺された望美ちゃんのことも話してましたね。まったく血のつながりのない、今の奥さんの連れ子だって言ってましたけど、私もあんな子がほしいって……うーん、憎んでたり、ましてや殺そうと思ってたりと言った話は聞いたことがないですね。あの子、てこでも動かないぐらい頑固一徹なところがあるけど、心は優しい子なんですよ。猫が車にかれて死んでるのを見て、涙を流して泣くような子ですから。だから絶対望美ちゃんを殺すはずがありません」

 「為夫ちゃんはどう? 何か質問したいことがある?」と尊。

 「んー……暑い。ママさん、エアコンの設定温度もう少し下げてくれませんかね?」丸出は汗だくになりながら言った。


 「……ということでして、小谷真樹は接着剤よりも粘着質な性格ですが、児玉望美を殺害する理由も動機もなしですね」海老名が残念そうな表情で報告をした。

 「そうか。すっかり袋小路に入ってしまったな」藤沢係長も外の空模様より陰鬱な表情でつぶやいた。「元夫の児玉太一にもアリバイがあるし、殺害する動機は不明確。芝塚元は生身の子供に興味をなくした。そして小沢克也にもアリバイがあるし、押収されたガムテープの芯からは指紋も何も出ず。無地の段ボールはどこのホームセンターで誰が買ったのかわからないし……これは長期戦になりそうだな」

 「もう一度原点に立ち返らなけりゃならないわね」と新田が言った。「まず望美ちゃんの遺体が発見された現場。ここの一軒家は空き家。おそらく犯人はここが空き家だと知ってて、わざとそこを選んだ。遺体の発見を極力遅らせることができるだろうと思って。ということは、犯人は間違いなく近所の住人ね」

 「段ボールで棺桶を作ってアジサイの花で飾りたてるってところは、望美ちゃんに対して思い入れが強い人物だと言えますね。少なくとも通りすがりの犯行ではない」と大森が言う。

 「そのアジサイの花が切り取られていた場所は広範囲に及んでいた。1か所に集中してない。かなり用意周到な性格と言えますね。しかも土地勘にも通じている」警視庁捜査1課出身の三橋天真みつはしてんまが言った。

 「そして望美は全裸だった。ただし強姦されてはいなかった。小児性愛者の仕業か、それに見せかけた犯行だな。もし見せかけたんなら、なかなかの知能犯と言える。うなぎを素手で捕まえるよりも難しいぞ」と言いながら海老名は自分の机の上にあるパソコンの電源を入れ、パスワードを入力した。

 その時海老名は異変に気付いた。何が変なのかは説明できない。ただパソコンのディスプレイの裏から目に見えない煙のような、嫌な予感が漂ってくるような気がする。ドキュメントの保存場所やインターネットの履歴欄を調べてみる。

 「フジさん、誰か俺のパソコン触りました?」

 「そういえばさっき、ブーの奴がおまえのそのパソコンいじってたぞ」隣で係長が言った。

 「ブーが?」

 「何でもおまえに頼まれて、ちょっと探してるファイルがあるとか言ってたな」

 「頼んでませんよ。だいたい誰かにそんなこと頼むわけがないじゃないですか」

 「そりゃただ事じゃないな。パスワードも知ってたみたいだったし」

 幸い重要な情報は、このパソコンに保存していない。だが高木によって勝手に自分のパソコンをいじられた、パスワードも知られていたとなると、海老名の心臓にありの大群が集っているような感じがして、落ち着かなかった。ブーの奴、いったい何の目的で俺のパソコンをいじったのか? その高木は今、聞き込みに出掛けてその場にはいない。これはとんでもないことが起きそうだぞ。窓の外はどんよりとした雲に覆われた梅雨空。その雲に隠れている魔物が今にも雲を振り払って窓ガラスを叩き壊しそうな、そんな予感を海老名は感じていた。


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