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 自称名探偵・丸出為夫まるいでためお……あいつはいったい何者なんだ?

 池袋いけぶくろ北警察署刑事課強行犯捜査係(通称・捜査1係)の海老名えびな忠義ただよしの探求は続く。丸出は強行犯でもなければ窃盗せっとう犯というわけでもない。たとえ窃盗犯であったとしても、なぜか署内の妙に腐った空気で漂白され、全てがなかったことにされてしまう。

 簡単に言えば、丸出は警察に取りつく疫病神やくびょうがみ。探偵としての能力は全くないどころか、警察の真面目な捜査を妨害してばかり。だが色々な刑事の秘密を知っている。海老名の酒気帯び運転のことまで知っているのだ。池袋北署の刑事だけではない。警視庁本庁の刑事たちの秘密まで知っている。そうやって色々な刑事たちの弱みを握って、自分の手下として従えているのだった。その目的は他でもない。自分も捜査に加わりたい、名探偵としての名声を極めたい、という他愛のない目的。

 他愛がないが、どうにも不愉快だ。まるで熱い雨が身体中にまとわりつく今の季節のように。これはミステリーなんてもんじゃない、ある種のホラーの世界だ。あいつがいなくなれば世の中はにごりがなくなり、きれいな清水が流れていくようになるだろうに。これでは足元を汚していく泥水のようなものだ。

 そこで海老名は丸出の身辺調査を始めた。まず奴がどこに住んでいるのかはわかっている。池袋駅前の精神科「わどメンタルクリニック」。だがそこに奴の住民登録はなかった。そもそもこの丸出為夫、戸籍上は存在していないのだ。

 丸出為夫というのは偽名か? 確かに「まるでだめお」とも読めるような変な名前が、この世に存在するとは思えない。なぜ奴はこんな変な名前を名乗っているのか? 意図的なのか、天然なのか、わからない、あいつのことがますますわからなくなってきた。あいつはいったい何者なのか?

 そこで海老名は方針を変えることにした。こっちの方から変なうわさを流して、逆に奴をいぶし出してやれ。

 わどメンタルクリニックの経営者である精神科医の和戸わどたける三船敏郎みふねとしろうに似た強面こわもての見た目とは裏腹にオネエ言葉を話す変人。この変人と丸出とは親友であるとのこと。この2人は(実際はそうではないらしいが)ゲイであり、夜な夜な妙なよがり声をあげている、との噂を海老名は至る所で流し始めた。もし何かあっても海老名の同僚の女性刑事・新田清美にったきよみのせいにすればいい。BL漫画にはまっている新田は、この種の噂をまき散らすのが大好きなのだ。男同士で仲良くしているのを見て、あの男とあの男は実は愛し合っているのだ、とか何とか。日頃から変な噂を垂れ流していることに対して、いい天罰にもなるだろう。

 その効果は高かった。もっとも丸出を困らせるつもりが、新田を困らせる結果となってしまったが。ある日、新田が血相を変えて海老名の席の前に立ちはだかった。

 「エビちゃん、わどメンタルクリニックって知ってるでしょ? あの丸出のおじさんが住んでるクリニック。あそこで変な噂が流れてるの。あそこの医者の和戸尊と丸出のおじさんとが愛し合ってるって噂。あの噂を流したの私じゃないかって、おじさんが言ってたわよ。でも本当はエビちゃんなんでしょ? 私、迷惑してるんだから。あのクリニックであの2人が小学生の男の子を連れ込んで、いたずらをしてるんじゃないかって噂まで流れてるの」

 そんな噂まで流れているとは海老名は知らなかった。もちろん海老名が流しているわけではない。どうやら噂が1人歩きしている間に余計な尾ひれまで付いてしまったようだ。

 「俺は全然知らないね。あいつらとは関わりにもなりたくないし。500メートルくらい透き間を開けておきたいんだけどね」と海老名は空とぼけた。

 「本当に? でも丸出と和戸が愛し合ってることはエビちゃんだって知ってるじゃん。あの2人だけが被害をこうむるだけならともかく、子供まで巻き込まないでくれる? 洒落しゃれにならないから」

 子供まで巻き込まないでくれ……か。


 だが殺人事件には、時には幼い子供までが巻き込まれることもあり得る。7月の陰鬱いんうつな雨の中、幼い命が犠牲になってしまった。

 北大塚きたおおつか4丁目の裏通りにある一戸建ての空き家。塀の中は丈の高い雑草がにらみを利かせている小さな庭。その庭に面した家屋の軒下で、粗末な段ボールで作られた即席の棺桶かんおけが淋しく置かれていた。ふたのないその中身は切り取られた色とりどりのアジサイに埋まっている。アジサイに囲まれて、まだ幼い少女が……顔だけ出した状態。表情は明らかに苦悶に満ちた様子。まるで美しいアジサイの花に囲まれることが苦痛であるかのように。朝の陰鬱な雨が葬送曲を静かに奏でる中、少女とアジサイを満載した段ボールの棺桶は飛び散る雨粒によって浸食を始め、今にも溶けて消えていきそうだった。

 遺体の発見は朝の6時ごろ。近所に住む青木夏子あおきなつこ(72歳)が雨の中、愛犬とともに散歩していると、その空き家の前で愛犬が突然激しく吠え始め、閉まっている門の中へと入ろうとした。犬があまりにも尋常ではないことに気づいた飼い主は門を開け、犬に引っ張られるがままに裏庭へと入っていく。目に飛び込んできたのは、この世にあってはならない悲愴な光景……

 「もう本当にびっくりしましたよ。まさかあの望美のぞみちゃんがこんなところで死んでるなんて。うちのラーメンが気付かなかったら、こんな人目に付かないとこでしょう? どうなってたことやら。ラーメンも悲しんでますよ。あんなにかわいがってくれたのに。本当はこの雨のようにポロポロ涙を流したいんでしょうね」と青木は泣きながら言った。ラーメンとは遺体を発見した青木の飼い犬である。典型的な茶色いトイプードル。

 被害者の名は児玉こだま望美(10歳)。近所の小学校に通う普通の小学4年生。近所の評判によれば特に目立つ少女というわけではない。どこにでもいる普通の女の子だったとか。死因は絞殺こうさつ。死亡推定時刻は前日の夕方から夜の初め頃。衣服は見つかっていなく、アジサイに埋もれたその下は全裸の状態だった。

 状況から察するに、まず可能性として浮上したのは小児性愛者による犯行である。ただし強姦された形跡はない。さらに望美の家族から事情を聞いているうちに、その家庭環境はかなり複雑なことがわかってきた。

 望美の戸籍上の父親である児玉太一(たいち)(44歳)の話によると、望美は妻である児玉ひかり(38歳)の連れ子で、太一とは血縁関係がない。太一とひかりの間には5歳になる息子、つまり望美から見れば父親違いの弟がいる。一家は合計4人暮らし。

 「確かに僕は、望美とは血のつながりがありません。だがそれでも妻の実の子ですし、僕も実の我が子のように愛してきたつもりです。もちろん僕の実の子である息子もかわいいですよ。でも2人とも差別せずに育ててきたつもりなんですがね」太一は少し腹を立てながら、そう言った。

 ただ太一のアリバイは少々微妙である。太一は広告会社の営業職で、前日は夜遅く、終電間際まで残業していたとか。帰宅した時には日付が変わっていたと言う。望美が殺害されたと思われる時刻にはずっと社内にいたらしい。現在、会社の同僚にアリバイを確認中である。

 望美がいつ頃行方不明になったかは今のところ明らかではない。前日の昼間は学校で普通に授業を受けていたとか。その日の服装は、紫色のTシャツに水色のキュロットスカート。その後帰宅したかどうかについて聞き出そうとしても、母親のひかりはただ泣き崩れるばかり。まともに話ができる状況ではない。ただ夫の太一が夜中に帰宅した時、ひかりはまだ起きていて沈んだ様子だったと言う。眠れないと言う以外に特に理由は聞かなかった。望美が帰宅していたかどうかも詮索せんさくはしなかったらしい。普段望美は別の部屋で寝ているし、いつもどおりに自分の部屋で寝ているものとばかり思っていたとか。太一もとにかくすぐに寝ることしか考えていなかった。

 太一には望美を殺害したかもしれない人物に心当たりがあると言う。自宅から数百メートル離れた所に元妻の小谷真樹こたにまき(40歳)が住んでいる。飲食店勤務で独り暮らし。太一との復縁を望んでいて、児玉一家が引っ越しをするたびに、どこかから一家の住所を聞き出して近くに住み始めるのだとか。太一との間に子供はいない。太一の話によれば、復縁してくれなければ子供を殺すと脅したことがあると言う。

 「確かにそのようなことを言った覚えがあります」と小谷は正直に告白した。「でも本気で言ったんじゃありませんよ。つい口をついて出てしまっただけです」


 「とにかくこの小谷真樹という女はネチネチと油のようにしつこいらしくて、1つのことに異常なほど執着するようです。結婚指輪をなくした時にも、ずーっと部屋中を探し続けて、3日後に大きなたんすの下のカーペットの裏から見つけ出した、と言う話ですからね」と海老名が報告する。「しかもその間は仕事も休んでひたすら探し続けてたらしいですよ。そのたんすの裏が怪しいと言っては、わざわざ元の旦那と一緒にたんすを動かしたり、食器棚や冷蔵庫の裏まで探してたという話ですからね。元旦那が言うには、真樹はよく言えば努力家で負けず嫌いなんだけど、その執着ぶりはとにかく怖い、妖気が漂ってる、目に見えない蛇が身体に巻き付いているようだ、だそうで」

 「おどろおどろしいですね。僕ならとてもそんな女とは結婚したいと思わない」と同僚の大森大輔おおもりだいすけがため息をく。

 「その本性に気づいたのは、結婚してかららしいからね。離婚も当然の成り行きかもしれない」

 「でもそういう性格の女が子供の殺害を予告してたのは気になるな」上司の藤沢周一ふじさわしゅういち係長が言った。「本気で言ったんじゃないと言う話だけど、ああいう性格なら有言実行ということもありうる」

 「ただ児玉太一は殺害された女の子とは血のつながりがないんですよね」新田が発言した。「小谷が子供を殺すとしたら、太一と血のつながりがある男の子の方を殺すんじゃないんですか? 女の子の方を殺す理由がわからない」

 「でもこの小谷も捨て置けないな。女の子の母親から事情を聞き込めない状態では、今のところ何とも言えないけど。あと、元の旦那か。女の子と血のつながりがないのなら、可能性は大いにあり得るな。そういえばブー、その児玉太一はおまえの実の叔父おじなんだよな?」

 藤沢係長は席のそばで立っていた高木友之助たかぎとものすけ(あだ名はブー)という、20代の若い刑事に声をかけた。

 「そうなんっすよ。まさかあの人が人を殺すなんて思ってもいませんでしたけど」

 「まだ本当に殺したと決まったわけじゃない。ところで児玉太一って、どんな性格なんだ?」

 「ごく普通の性格ですよ。曲がったところもなく、さばけてるし。サッカーやってて健康優良児って印象ですね。ただこの人、無類のスケベでして。とにかく女が好きなんですよ」

 「それはおまえも同じじゃないか」と海老名が口を出した。「高木ブー一族の血だろうが」

 「そうなんっすけど、でも俺とあの人とは女の好みが全然違うんですよ。俺は20代の女にしか興味がないんですけど……でもあの叔父、あの人の好みは上は50代から下は10代前半までって幅広いんですよ。10代前半ですからね。何でも小学生でも胸が膨らみ始めた子を見ると、いいななんて思うって言ってました。冗談だろ?って思ってましたけど……」

 「それでそんなロリコン趣味の持ち主が再婚して、相手の連れ子が女の子だった。10歳になって自分好みの枠に入ってきた、というわけか。血もつながってないし、やっちゃってもいいよなって思ったけど拒否された、だから殺したっていうこともありうるわけか」

 「ただ、望美ちゃんはまだ胸が膨らんでませんでしたよ」と大森。

 「かもしれないが、エビの言うとおりかもしれない」と係長。「問題は殺害動機だ。あの遺体の状況から見て、動機は家族関係なのか、性的いたずらが目当てだったのか……そこはまだわからない。児玉太一ならその両方の可能性があるからな。もし性犯罪が目的なら他に怪しいのは……」

 児玉望美の自宅近くに小児性愛者が住んでいた。内装業の芝塚元しばづかげん(33歳)。6年前に当時小学2年生の少女に性的いたずらをしたことで逮捕歴がある。見た目は少し気の弱そうな感じ。初めは当然のことながら容疑者の第1候補として浮上したが、警察の聞き込みに対して児玉望美とは全く面識がないと発言し、犯行を否認した。ただ望美が殺害されたと思われる当日、芝塚は風邪をひいて仕事を欠勤。1日中、自宅で寝込んでいたと言う。独り暮らし。アリバイの実証は不可能な状態。

 さらにはもう1人、気になる人物が存在している。ただしその人物の氏名と住居は今のところ不明。40代後半ぐらいの年齢で身長180センチを明らかに超えている長身の男。少し白髪交じりの長髪で眼鏡をかけている。望美が通っていた小学校の校門前で午後の下校時刻になると、よく出没しては子供たちを見ていたとか。近所の学童指導員たちの間では、話題の人物だった。服装も見すぼらしく顔付きも暗いので、こいつは絶対に怪しい。指導員の1人はこの男に声をかけたことがある。息子が出て来るのを待っていると言っていたとか。だがその息子らしい子供と歩いているところを見たことはない。

 「この男が何者なのか、まだわからないんだな? よく出没するのなら近所の住人かもしれない」と藤沢係長が言う。

 「でもわからないのは、あの遺体の状態よね」と新田が言う。「段ボールの棺桶にアジサイの花。おまけに全裸。でも強姦はされてない。これは何を意味するんだろう?」

 「全裸にしたところなんか小児性愛者らしいな」海老名が缶コーヒー片手に言う。「花で飾り立てたところなんかは自分の犯行を後悔してのことかも」

 「ということは、やっぱり小児性愛者の犯行かな?」

 「それはまだわからない。何しろ家族関係が複雑で、壁の向こうで雷鳴が聞こえそうな状態だからな。小児性愛者の犯行と見せかけて、わざとああいう状態にしたんじゃないか?」

 「あのアジサイはみんな市販で購入したものかな? それとも植え込みかな?」

 「今、大原おおはら君が植え込みの線で調べてるところだろ。今の時期はアジサイなんて買わなくたって、どこでだって咲いてるしな。たくさん切り取られた所があれば、そこが当たりだってわけだ」

 だが鑑識の大原卓也(たくや)が調べてみた結果、遺体の発見現場周辺で、最近になってアジサイの花が切り取られた場所は広範囲に及んでいるという。7月に入るとアジサイの盛りの時期も過ぎ、咲いている箇所は少なくなってはきているものの、1か所あたりで切り取られたアジサイはせいぜい数本。あの段ボールの棺桶いっぱいに敷き詰めて、身体まで隠してしまうほどの花が切り取られた箇所は見当がつかないらしい。

 「犯人はかなり用意周到と言えますね」大原が感想を述べた。「花の色も典型的な青や紫が半々ぐらいでした。白や赤があれば発見は容易なんですが、それ自体数が少ないですからね。1本もありませんでしたし。それにしおれた花は1つもなかった。1晩のうちに周辺を広範囲に回って集めていたものと思われます。おそらく目撃情報の1つや2つは出てくるでしょう」

 だがその目撃情報と言っても、現時点ではあまり有力な情報が出てきているわけではない。何しろこの雨で夜中に外を出歩いている人間も少ないし、自然と視野も狭くなるからだ。せいぜいのところ、足のない幽霊が夜中にアジサイの花を摘み取っているのを見たとか、アジサイの花が1つ1つ道端を行進しているのを見たとか、屑籠くずかごに放り込みたくなるような情報しか寄せられていなかった。興味のある情報といえば、トレンチコートを着てベレー帽をかぶり、パイプ煙草を口にくわえた丸出為夫らしき人物が、真夜中にアジサイを摘み取っていたという貴重な情報もあったらしいが、なぜかそんな情報はいつの間にかなかったことにされたとか。


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