正午の訃報
時田と日野と、三人で公園に来ていた。大学から二十分くらいで到着する、中規模の公園だ。太陽は真上、今頃受けているはずの授業は俺抜きで進行しているだろう。遊具で遊ぶ幼稚園児らしき子どもたちと、その保護者が視界に入る。
「苦しい」
「もう、五回目です。五回も聞かされました」時田が呆れたように愚痴った。
登校して最初にしたことは、白坂さんを探すことだった。直接会って、なにか話ができたらいいと思っていた。まったく女々しいことこの上ない。
ところが見当たらず、肩を落とす結果になった。
仕方なく時田たちを探し、無理矢理に付き合わせた。先輩としての権力と横暴さを発揮し、彼らに渋面を作らせた。
「つまり、失恋?」
「要するに、ハートブレイク」
「誰だって経験するし、先輩の今までの不幸と比べたら大したことないでしょ」
「まさか、経験ないとか? 失恋。だったらご愁傷様……」
交互に喋る二人に挟まれ、俺は落ち込んで背を曲げる。ベンチに座っているが、ベンチごと地中深くに埋まっていきそうだ。
「先輩、お願いだからストーカーになるのだけはやめてくださいよ」
時田は深く眉間に皺を寄せる。
「なるわけないだろ。気色悪い」
「だったらいいですけど」
園児の投げたボールが放物線を描く。父親と思しき男性の足下に、とんとんと転がる。それを眺めながら、陽気だなと感じながら、陰気にため息を吐いた。
「諦めたら駄目ですよ」日野が鼻息を荒くする。「太宰さんも言ってたんでしょ? 恋は革命だって」
「微妙に違う」人が生れるのは、恋と革命のため。
「革命を起こしましょう」
ベンチの真下の、赤茶色をしたコンクリートをじっと見つめる。ポケットの中のスマホに手をやって、連絡が来ないか確かめた。就職活動中もこんな風に、胸をざわつかせながら連絡を待つのか、丁度いい予行だ、と思ったら苦笑いが零れる。
「猫の話を聞かされたんでしょ?」
だらだらと愚痴を聞かせている途中、昨日の彼女が語った物語も話してしまった。特に理由はないのだが、聞かせてみようと思ったのだ。
「佐藤先輩は、どっちなんですか」
「どっちって」
「町の人か、飼い主か。飼い主にならないんですか」
言っている意味が分からない。そもそも俺は猫を追いかけていない。時田は勢いを増して抗議する。
「白坂さんを追いかけろって言ってるんですよ」
「追いかけるもなにも、白坂さんは俺のじゃない」
「だから先輩は駄目なんですよ!」
日野の援護が入った。二対一で、一方的に責められている。園児がこっちを見て訝しんでいるが、教育に悪い。父親よ、向こうへやってくれないか。
「いいか、これは防衛だ」俺は開き直りにも似た、精一杯の反論をする。
傷つかないように防衛するだけだ。なにが悪い?
俺は恋心という名の、無駄な希望を抱いた。そして勝手に沈んだ。自業自得だ。
「よく言うだろ。この世に生まれたのは、神のほんの少しの気まぐれだ。死んだら生まれる前に戻るだけ、って。これも同じだ。少しばかり時間を潰して、今は元に戻ろうとしているんだ。それだけだよ」
「それっぽいこと言って誤魔化さない!」
日野は声を荒げ、俺の意見を一蹴する。普段の小動物らしさと温和な雰囲気を消して、鬼のような怒りを纏っている。怒らせたら、絶対に駄目なタイプだ。
燦然と輝く太陽が暑苦しい。激しい痛みとなって、光が俺の体を貫き通している。
すると。
ポケットで振動が来た。まさか、と思ってスマホを取り出して画面を見た。
そこには「白坂さん」と表示されている。
「誰から?」日野が画面を覗き見る。
「白坂さんだ……」
俺はなりふり構わず立ち上がり、通話ボタンを押した。
「もしもし」半ば叫ぶように話しかける。
しかし、電話は繋がったのに、向こうに誰もいないかのように無言だった。「白坂さん?」妙だと感じながら声をかけるが、反応がない。暗闇を相手にしているような気分になり、心臓の動きが激しくなる。白坂さんだよな? 自信もなくなってきた。
時田と日野が並んで俺を見る。どうしたのか、と小声で訊ねてきた。上手く返事ができず、伝わらないであろうハンドサインで彼らを留めた。視界の隅に、園児と、父親まで注目しているのが見えた。教育に悪い。あっちへ行け。
「白坂さん?」
俺は呼びかけた。だけど返事は帰ってこない。
不安がのしかかる。心拍数が増加する。こんなに自分の心音を聞くのは生まれて初めてだ。喉が渇いていくのを実感し、唾を飲み込む。
そのとき聞こえた音がなんなのか、すぐには判断できなかった。心音、じゃない。
初めは耳鳴りでもしているのかと考えたが、スマホを離すと聞こえなくなる。間違いなくそれは、スピーカーから鳴っている。人間の声か、動物の声か、そもそも生物の音なのか。
やがてそれが、人間が泣いている音だと気づいた。そして、デジャブがよぎった。
「ねえ、白坂さん?」
ゆっくりと、子どもに話しかけるよう声をかけた。涙声は、どんどん大きくなる。
「うわあああ」
白坂さんだった。
「うわああああ」
「とりあえず、泣き止めってば」
俺は、自分が少し笑っていることに気がついた。どうして喜んでいるのか。自分のことで、知らないことはたくさんあるようだ。
「なんで泣いているんだ?」
「わたし、わたし」嗚咽混じりの酷い鼻声だ。
だけど間違いなく白坂さんの声で、以前の、深夜二時の声とまったく同じだった。
「死んだ、わたし、もう死んだよ。死ぬしかないよー!」
俺はすぐに納得した。誰よりも、そのことについては理解しているつもりだった。
彼女は死んだ、らしい。精神的に。