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彼らに幸運を


   ──時田優悟 日野鈴奈 現在──


「だからなに?」


 藤森は呪詛のように呟く。

 彼女は不機嫌になると、昔からこんな感じで……。



 いや、もう過去を振り返るのは終わりだ。



「恥ずかしがるのも、終わりだ」

「時田くん?」


 俺は日野の顔を見つめる。


「日野、まず謝らせて欲しい」

「謝るって、なんで」

「俺と付き合った、いや、知り合ったせいでこんな目に遭った」

「それは」


「聞いてくれ。これからも、もしかしたら同じ目に遭うかもしれない。本当に、ごめん」


 深々と頭を下げる。謝罪でどうにかなるようなことではない。命の危機に遭った体験と、謝罪が釣り合うわけはない。


「ごめん」


 それでも、もう一度俺は謝った。


   ***


 謝り続ける時田くんに、どう声をかけるべきなのだろう。藤森も、この状況に困惑しているのか、ぽかんとして動きを止めている。


「わ、わたしは」そこで唾を飲み込んだ。「逆かもしれないって、思う」


「逆?」



「時田くんと知り合えたから、わたしのストーカーも解決できた。いろんな人とも知り合えて、体験できたこともたくさんある。時田くんは良く思わないかもだけど、わたしは、これはこれで良かったこともあったんじゃないかって」


 そんなことを言っても「なら良かった」とはならないだろう。わたしの声は尻すぼみになってしまった。



「ねえ」


 そこで苛立ち声を発したのは、藤森だ。無視されて、我慢の限界なのか。


「どうでもいいこと言ってないでよ」


 しかし、時田くんは無視する。


「ありがとう。で、さらに恥を重ねるけど」

「もう謝らなくても……」

「同じ目に遭うかもしれないけど」

「う、うん」


「それでも、俺はずっと日野と一緒にいたい」


「へっ」


 このタイミングで、出てくる言葉とは思わなかった。


 で、わたしは単純なことに、頬が熱くなっていた。



「……わたしは」


 二年の秋に、告白されたことを思い返した。あのときはフリーズして、なんて返答したのかも覚えてない。相応しい返答をすればよかったと、後悔していた。


 やっぱり恥ずかしくて、そもそも状況が不似合いで、頭の中はグシャグシャと丸められた糸くずのようになっている。



 それでも、今度は言わなくちゃ駄目だ。



「わたしは、たとえ同じ目に遭っても怖くないよ。あなたがいてくれるなら……優悟くん」


「あ、名前」


「呼んでよ。とき……優悟くんも」


「……分かった。えーと、す、鈴奈」


「ふふ、大好き」


 言い終わった途端、仕掛けたものが、作動した。

 場違いなロックンロールが、再び流れ出す。


   ***


 ロックは日野の……鈴奈のスマホから流れる。それは合図だった。


 アラームによって流れたロックから、作戦の第三段階が始まる。


 それはそれとして、タイミングが良いのか悪いのか。俺たちは我に返ったように、視線を外した。振り払ったはずの恥ずかしさが、遅れてこみ上げてきた。


「うるさい、うるさいな」


 藤森が髪を掻きむしる。黒い髪が蛇のようにうねっていた。ロックの音量がうるさいのか、俺たちの会話が聞くに堪えないのか。どっちもか。


「なんなの。わたしに、そんなもの見せつけて。優悟くん、わたしの、大好きだった優悟くん」


 そう言って、藤森は震える手でナイフを掲げる。俺は鈴奈を背中に隠し、襲いかかってくることを想像して構えた。だが、ナイフの切っ先は俺たちに向かわなかった。


「藤森」

「もういい」


 ナイフの行き先は、自らの首元だった。


「優悟くんも、そいつも殺せないなら、わたしが一人で死ぬ」

「なにを馬鹿な」

「馬鹿なのは、そっちでしょ」


 涙を流していた。ドロドロとした怨念が目から出ているかのようだ。

「許さない」と、見た目通りの呪詛を吐き捨てた。


「許さない、と言われてもな」


「優悟くんが望んだ結末だよ。あなたはわたしから逃げられる。でも、忘れさせない。わたしの最期をいつまでも覚えていて。あなたを想い続けたわたしが、冷たくなるのを見届けてよ」


 ナイフを握る手に、力がこもるのが見て取れた。震える右手を、左手で押さえている。瞳を小刻みに揺らして、しかし、強い意志を持って俺だけを見つめていた。


「じゃあね、優悟くん」

「おい、ふじ……」


 手を伸ばす。駄目だ、間に合わない。


「優悟くん!」


 俺の名を呼ぶのは、今や藤森だけではなくなっていた。

 今、大きな声で叫んだのは、鈴奈だ。


「来たよ!」

「来た……来たってなにが!?」


 地響きが聞こえる。こんなときに地震か、と思ったが違う。地響きは徐々に近づき、耳馴染みのない音が届く。激しい足音に混じり、ガチャガチャと金属がぶつかり合う音、それから布がこすれる音だ。


 その騒ぎに、藤森も流石に手を止めた。


   ***


「な、なにが来るんだ?」


 この作戦は、わたしが救援を呼ぶことで終わりを迎える。ただし問題が一つあった。救援の正体は、優悟くんに知らせていないのだ。何故かって?


 時間がなくて。つい、うっかり。



「わたしたちは、大学生活の中で縁を作ってきたんだよ」

「縁?」

 優悟くんは暗闇の中で視線を彷徨わせている。



「彼にお願いしたら、喫茶店を使わせてくれたお礼にって、快く手伝ってくれたよ」

「か、彼って……この地響き、マジでなんだよ!?」


「暴力みたいだけど、違う。これは彼ら的に言えば、『夜まで練習する、熱意』だから」


 彼の疑問は、次の瞬間に解消される。足音の源流が、闇の中から電話ボックスの光を渡って現れた。


 まるで、鎧を纏った西洋の兵士かなにかだ。だが、すぐに違うと分かる。間近で見るのは初めてだったが、壮観でもあり、恐ろしくもあった。



 アメフトの防具だ。


 狭い小道一杯に、アメフト部がやってきた。



「嘘だろ!?」


「優悟くん!」わたしは精一杯声を張り上げる。

「なに!?」


 音にかき消されないように、大声で会話する。


「わたしたちも逃げないと、押し潰されちゃうよ!」

「止まらないのかよ!」


 言うが早いか、わたしたちは全力で反対に駆け出した。ごつい筋肉と防具に押されたら、怪我じゃ済まないだろう。いや、そもそも巻き込まないで欲しいけど。


 逃げる直前、アメフト軍の一人が、ヘルメットの中でにやりと笑った。


 元軽音サークルの、ベーシストだ。恰幅が良くて、顎髭の生えた、あの人。確かな、縁。



 逃げ遅れた藤森は、目に見えて狼狽えていた。どうすればいいのか分からず立ちすくむ。アメフトの防具、しかも迫ってくる男たちを止めるには、いくらナイフでも力不足だ。



 わたしの手を、優悟くんが握った。

 風を感じながら、温かい手のひらを握り返す。


   ***


 藤森はやがて彼らに巻き込まれて、見えなくなってしまった。かろうじて、ナイフが吹っ飛んでいくのが確認できた。


「2度目のロックが合図だったの」息を切らして鈴奈は説明を始めた。「あれを流したら、走り出してくださいって」


「無茶するよなぁ、本当に」


「藤森も、優悟くんの目の前じゃなかったら、自殺なんてしないはずだよ。あなたの前で記憶に残ることが、彼女にとって意味のあることだから」


 全力で逃げた先には、脇道があった。急いで駆け込み、遠ざかる足音を聞きながら呼吸を整える。無意識のうちに笑っていた。


「ありえねー」

「さ、これからどうしようか?」

「えっ……ここから先、ノープラン?」


「あの子、諦めないかな?」

「結構、心は折ってやったと思うんだけど」

「もし現れても、守ってくれる……でしょ?」

「当然」

「うへへ」


「根拠はないけど。なんとかなる気がする」



 脇道を歩き続ける。光が見えてきて、駅前の大通りに出た。まるで迎えてくれたかのように、タクシー乗り場があった。

 疲労した脚で家まで向かうのは辛く、藤森と遭遇する可能性が、ないとも言い切れないので、俺たちは自然と乗車することに決めた。


「なあ」俺は疲れ切った声で話しかける。

「んー?」鈴奈も疲れ果てている。


「しばらく遠くに行かないか。念のため」


「遠くって?」

「たとえば、俺の実家あたり」

「京都だっけ」

「そうそう」


「んー、どうせなら」


 鈴奈はタクシーを待ちながら空を見上げる。

 ここで月が出ていたら風情もあったかもしれない。だが相変わらず雲に隠れていて、都合の良い展開などないのだと、現実を突きつけられた。


「どうせなら?」

「海外に行かない?」


 俺は噴き出した。


「海外かぁ」


 そういえば、母親も海外を勧めていた。冗談だろ、と一蹴するのは簡単だが、同時にわくわくもしていた。


 なにか新しいことが待っているような。

 安っぽい期待だが、望んでみるのも、きっと悪くないはずだ。


「いいじゃん」


 俺の返答が予想外だったのか、鈴奈は戸惑った。が、すぐに口角を上げて、愉快そうに言った。


「いいでしょ!」






 タクシーに揺られ、まぶたが重くなる。隣では鈴奈も眠そうにしていた。



 そのとき、カーラジオから歌が流れてきた。少女の声で、可愛らしい雰囲気だったけど、歌っている曲は印象とは正反対とも言えそうなロックンロールだった。アンバランスにも感じたが、心地良かった。


「あ、これ」


 鈴奈が寝る寸前のような声で喋った。


「これだよ、ミニミコちゃん」

「え、この歌手?」


「志村くん言ってたでしょ。聞いてない? メジャーデビューしたんだよ。そういえば、今日ラジオで出るんだって。忘れてたけど」


「へえ、これが」


 歌のジャンルはラブソングのようだった。疲れが癒えるような、背中を押されるような。何故そう感じるのか説明しろ、と言われても困る。ただ、なんとなく、神経とか脳とか、本能的なものが愉快に反応するのだ。たぶん。


「確かに」


 俺は苦笑いするしかなかった。


「確かに、沁みるかもなぁ」


 歌を聴きながら、俺は眠りについていった。




次回、最終回。

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