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分かったよ

   ──日野鈴奈 現在──



 わたしは待ち合わせの場所まで、重い足を引きずって向かった。頭では分かっている。ここで逃げるなんてあり得ないと。しかし、これから起こりうる出来事を想像すると、筋肉が硬直するようだった。


 時田くんは「藤森は間違いなく凶器を所持している」と言った。それを彼女が取り出したら、わたしが飛び出すことになっている。取り出す前だと、言い訳されてしまうかもしれない。そんなもの、持ってるはずがないと、しらを切られる。


 飛び出せば、藤森はわたしに注意を向ける。恐ろしいが、それが第一の狙いだ。


 ただ声をかけるだけでは駄目だ。インパクトを与えて、藤森を動揺させたい。だから出る前に、お父さんのロックを流した。

 若さ故の勢い、と本人は言っていたが、嫌いではない。力強いロックンロールで静寂をぶち壊した。



「物言いだよ」


 家を出る前に見た相撲が思い返されて、口をついて出てしまった。使い方が合っているのか、いまいち分かっていない。


「日野ちゃん」


 藤森はゆっくり首を動かす。人というより怪物のようだった。怖気が走るが、怯んではいけない。わたしは彼女を睨み返す。


「なにしに来たの?」

「遊びに来たように見える?」

「見えない」


「ちょっと聞いてたけど、あなた一人が、時田くんの幸せを決めていいわけないでしょ。そういうの、独りよがりって言うんじゃないの? そう、物言いだ」


「あなたの意見を押し付けに来たの? お説教?」

 

 彼女はくすりと笑って続けた。


「独りよがりなんて言えば聞こえは悪いけど、人はみんな、幸せを求めてる。わたしの幸せは、優悟くんとずっと一緒にいること。人間らしく、幸せを求めて生きているの」


「ジコチューすぎる」


「あなたは違うの? あなたの幸せは、優悟くんが側にいることとは違うの?」


「俺の幸せはどうでもいいのかよ」


 時田くんが口を挟んだ。下手に刺激するとナイフが向かっていきそうで怖い。けれども、言わずにはいられなかったのだろう。


「わたしと一緒にいることが、優悟くんの幸せに繋がると思った。でも、優悟くんの幸せは違ったみたい。……でしょ?」


「ああ。できれば、もっと早くそのことに気づいてほしかったが」



「自己中だなんて日野ちゃんは言うけど、わたしはわたしで、毎日考えてたんだよ。どうすれば幸せを共有できるか。考えなかったときはないくらい。それに、優悟くんの幸せをどうこうしていいわけないって? わたしはそうは思わない。恋人を幸せにするのは当然のことでしょ? ……全部が無駄だったけど。だから、今のわたしの幸せは、優悟くんを殺すこと。わたしの思い出で頭を一杯にして、死んで」



 わたしは止まらない彼女の理屈を聞いて、これが本性かと改めて理解する。なるほど、話が通じないし、ぶっ飛んでる。


 きっと彼女は、わたしも殺すつもりだろう。そう思うと、頭の中が冷える感覚がした。


 藤森はわたしにナイフを向ける。その代わり、時田くんは、少し自由になった。


 作戦は、いよいよ佳境に入る。



「さっき、俺は電話してたんだよ」


 時田くんがおもむろに喋り出す。藤森はわたしにナイフを向けつつ、耳を傾けた。


「母親とか志村とか。()()()()、電話したんだけど。するとさ、今までの記憶が蘇ってきたよ。大学生活もそうだけど、もっと前のこと。中学とか、高校の頃とか」


「ふうん」藤森の声は冷えていた。


「大学生になったばかりの頃も、ここ一年くらいも、困ったことに、お前の存在に悩まされてきた記憶ばっかりだった。やっぱり、月に叢雲、花に風。大学生活にストーカー、だ」


「ふふ、でしょ。優悟くんの頭には、わたしとの思い出がたくさん」


「でもな」


 時田くんは強い声で遮った。暗くてよく分からないが、彼はどこか、残念そうな様子だった。


「お前との思い出をいくら掘り起こしても、どこにも楽しいものがなかったんだよ」

「……え?」


「お前とは確かに、一年くらい付き合ってたはずなんだ。なのに。いや、わざととかでもないんだ。記憶が、まったくないんだよ」


 わたしも、彼から楽しかった思い出について語られたことがない。


「そ、そんなの」初めて彼女は、明確な動揺を示していた。泣きそうな声で「嘘だよ」と続けた。


「本当だよ。確かに、変だなって俺も思うよ」

「なんで、そんなこと言うの? あり得ないよ。ほら、たとえば」



「もちろん、聞けば思い出せるかもな。どこでデートしたとか。学校で会って話したこととか。思い出せると思う。だけど、ほら。そのナイフで俺を殺そうとするだろ。したくない想定だけど、俺が刺されたとする。すると走馬燈みたいなものが流れるんだ。でもきっと、走馬燈にお前との思い出は、ないんだ」


「な、なにそれ。嘘つかないでよ」


「一年生の春、日野と会った。二年の夏には牧雄を追い払った。着ぐるみで走ったりもした。秋には、エアバンドを楽しんで……お前と会った」


「ほら、わたしとの思い出が……」

「その後、日野から告白された」

「……やめて」


「今年の夏頃には……少し、喧嘩みたいなこともあった。先輩と合コン行ったこと、いとこと話し合ったり、カラオケ行ったり。アホな友人とアホな話をしたり」



 わたしの脳内にも、同じように記憶の映像が流れだした。彼と軽音部のライブを観に行ったこと。わたしの部屋に呼んだこと。バイト先の喫茶店で、ヒガシも交えてコーヒーを飲んだこと。喧嘩して、仲直りしたことも。



「最期は自分の顔で終わって欲しい、みたいにお前は言ってたけど……きっと違う。最期に見るのは、()()()()()()



 確か、彼女は「名前を必要以上に呼ぶ」だとか「昔からの癖を指摘する」らしい。

 藤森は過去を大事にする人。だから、記憶を残させようとする。


 藤森の心にひびが入った。今なら通じるかもしれない。


「ね、藤森ちゃん」返事がないので、構わず続ける。「少し考えたんだけど、あなたの気持ち、わたしは分かるような気がする」


「え、なんで」と、驚いたのは時田くんだった。


「ほら、ヒガシが言ってたの覚えてる? わたしって、ちょっと重いらしいよ」

「あー、なるほど……」

「納得されてもアレなんだけど」

「え、ごめん」


「わたしね、三年間の大学生活で、いろんな愛があるんだなーって、知ったんだよ」


「……愛?」


「運命的な出会いで生まれた愛。自分でも気づかなかった愛。友だちに対する、親愛とか。いろんな形を見れたんだよ」


「ああ、俺も」時田くんが人差し指を立てる。「そういうのなら、見たよ。自分にないものを持ってる人への、敬愛。あとは、二次元に向ける愛。あ、スポーツ選手とに対する愛、みたいな」


「考えてたらさ。藤森ちゃんのも、結局は愛の形の一つに過ぎないのかもな。なんて。わたしたちは理解できないって、常識とは違うって、拒んでた。でも、意外とシンプルなのかも。偏執的な愛ってやつ」



 彼女は、ネジの外れたマシンのようだ。


 けれど、わたしたちはネジが外れていることだけを知り、どんなマシンなのか、どうすれば直せるのか、一切知ろうとはしなかった。もっとも、時田くんは過去のことがあるし、知りたくないのも無理はないけど。



「ごめんね、藤森ちゃん」


 頭を下げたわたしを見て、藤森は対照的に顔を上げた。わたしは、真っ直ぐに顔を見据える。



「だけど、あなたはやり過ぎたよ」


 彼女の凶行は、愛が暴走した結果だ。

 しかし。


「みんながみんな、愛を伝えられるわけじゃない。自分や誰かを傷つけたくなるくらい、苦しんでる人もいる。だけどみんなは、我慢してるんだ」


「どうして、我慢しなくちゃいけないの。理不尽だし、幸せじゃない」藤森は言う。


「みんな、理不尽に耐えてるの」


「みんなって言うけど、わたしは、わたしが幸せになれば……」


「いつまでもワガママ言わないで!」


 自分でも驚くくらい、声を張り上げられた。


「幸せがどうとか、知ったふうに言ってるけど、我慢するのを嫌がってるだけじゃない! 我慢するのも嫌、だけど時田くんには愛されたい。そんなの、ただの子どもだ!」


 気持ちが昂ぶっていた。そのせいで、目の前の危険から、注意が逸れてしまった。


 藤森が、ゆらりと動いた。

 鋭い刃がわたしに向けられている。


「日野ちゃん」一歩近づきながら、彼女は言う。「もう黙ってよ」


 やらかした、と思った。



 しかし、彼女の手よりも、ヒーローの脚の方が早かった。


 ヒーローはわたしの前に駆け寄り、かと思えば急ブレーキをかけた。勢いは殺さず、そのまま回転する。遠心力による勢いのついた右脚は、鋭く、風を切った。


 その右脚はナイフの側面を弾く。彼女の手から離れたナイフは、派手な音を立てて地面に転がった。


「……サッカー部って、凄いんだね」

「念のために運動しててよかった」


 時田くんは、さらりと言ってのけた。


「格好いいよ、ヒーロー」


 体勢を崩した藤森は、悔しそうにわたしたちを睨み付ける。


「日野、さっき俺は電話したんだよ」

「うん」


「母親と志村、あと杏里ちゃんにも。けど杏里ちゃんは出なかったから、時間が余った。代わりに、別のところに電話したんだよ」



 わたしは彼の話を聞きながら、藤森の様子を伺う。彼女は暗闇に紛れたサバイバルナイフを探していた。このタイミングしかないと判断し、片手でスマホを操作した。作戦の、最後の仕掛けをセットする。


「別のところって、誰に」操作しながら訊ねた。


「先輩に」

「どの?」


「正直、怖かったからさ。メンタルの強いあの人なら、力強い助言とかくれるかもって期待したんだ。ま、力強くはなかったけど。大事なことを言ってくれた」


「佐藤先輩?」


 メンタルが強い知り合いと言えば、あの不幸先輩だ。どんな不幸にも我慢して、幸せを望む人。



 藤森はようやくナイフを拾い上げ、わたしたちに向き直る。しかし、警戒しているのか、今度は慎重に距離を取っている。


「優悟くん。やっぱりわたし、あなたを殺したくない」

「ああ、それは嬉しいな。じゃあナイフ捨てろよ」

「そいつ、突き飛ばして」


「そいつってわたしのこと?」


「わたしの側にいてよ。そうしたら優悟くんは殺さないから」

「藤森、お前に聞かせてやるよ」

「なにを」


「『これ以上ないってくらい恥をかいて』『当たって砕けてもタダ』ってことだ」




   ──時田優悟 数分前──



 佐藤先輩は苦笑いしながら言った。


「誰かと思った」


 公衆電話からかけたら、そりゃ誰だか分からず怪しむだろうな。


「出てくれて嬉しいです」


 不運で、言動も情けなくて、強風が吹けば真っ二つに裂かれる木のような人だ。でも懸命に生きている。そんな彼を、俺は尊敬している。


 恥をかいて百万回くらい死んだ、と彼は言うけれど、それはつまり百万回くらい生き返ったってことでもある。少なくとも俺なら、そんなに生き返れない。

 


「今、一人ですか」

「そうだけど」

「白坂さんは?」

「いつも一緒にいるわけじゃない」


「その割には、まるで毎日一緒にいるみたいに、口を開けば彼女のことばかりじゃないですか。ノロケだ」

「俺の不幸自慢と、ノロケ話。どっちが聞きたいんだよ」


「すいません。ノロケの方がマシですね。お礼、言っといてください。言いそびれちゃったんで」

「日野のこと? ストーカーはどうだ?」


 たった今、決戦のときですよ、とは言わない。「格闘中です」とぼかす。


「先輩、対ストーカーで、アドバイスとかってあります?」


「ないよ。いくら不運でも、ストーカー被害には遭ってないし」即答だった。


 薄情と受け取られるかもしれないが、分かりもしないことをそれっぽく言うより、分からないと断言してしまえる彼の性格は好感が持てた。


「じゃあ、日野とのことでアドバイスはありますか」

「あん? 日野のことで?」


「ほら、これから先、今回みたいな件に巻き込んでしまうかもしれないでしょ。俺はあいつのことが好きですけど、このままだと、あいつを不幸にするかも」


 いや、すでに不幸にしている。


 今回の作戦で藤森との鎖を断ち切るつもりだが、失敗する可能性だってある。雑草の根を刈り取っても、地中深くには根が広がって、いつしかまた生い茂る。それと同じで、根絶やしは難しいかも。そのとき、日野は無事でいられるのか。


「その、どうしたらいいのか」

「珍しく弱気だ」

「もちろん今まで付き合ってきた子だって大事でしたけど、日野は、特別に大事で」


「そう言えよ」


 また、即答だ。


「簡単に言いますね」


「『お前のことが特別に大事で、離れたくない』とか。『これから先も迷惑をかけるかもしれないけど、お願いだから側にいてよ』とか。思ってること、全部言えばいい」


「マジですか。恥ずかしいけど」

「言わない理由もないだろ」


 ついこの前まで情けないことばかり言ってたのに。他人事だからか、それともまさか、彼女が出来たからか。


「元はといえば、お前らがアドバイスしたんだぞ」

「え、なんでしたっけ」


「お前は『いっそ、底まで落ちたらどうですか』って言ったんだ。『恥をかいて嫌になるなら、これ以上ないってくらい恥をかけ』とも言った。で、日野はこう言った。『当たって砕けろ。元々砕けてるんだから当たってもタダ』とかってな。俺はちゃんと覚えてるぞ」


「あー、なんていうか……」


 それも、そうか。

 このくらい曝け出さなきゃ、駄目だ。


「きっと日野は受け止めてくれるさ。あいつ、俺にもちょいちょいノロケるから」

「それ、あんたもですよ」

「いやいや」

「してます」


 気がつけば時間が来ていた。公衆電話の時間も、藤森が来るであろう時間も。


「すいません先輩、電話の時間が」

「あー、分かった」


 もしかすると、俺は殺されて、二度と話せなくなるかも。と恐ろしくなった。


「先輩」

「ん?」


「ありがとうございます」


 いわゆる死亡フラグになりそうな気もしたが、俺はどうしても言いたかった。佐藤先輩はそれを受けて、流石に即答しなかった。ややあって、鼻で笑った。


「こっちの台詞でもある」

 


 通話を終えて、空を仰ぐ。雲が多くて、月は隠れている。


 しかし、ほんの一瞬だけ、まるで誰かが切り取ったかのように、三日月が姿を現した。



 決着の時間だ。


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