優悟と鈴奈の闘い ──月に叢雲、花に風──
──時田優悟 現在――
「わたしとまた、一緒にいよ?」
笑顔を絶やさない女性というのは魅力的だが、眼前の微笑みは、体調が悪くなりそうだ。裏にどんな感情がこもっているのか量れない。
爆弾処理をしている気分になる。間違った選択をすれば爆発して、間違いなく死ぬ。死とは、比喩ではなくそのままの意味だ。
「昔みたいに、って言いたいのか?」
藤森は一歩近づいた。
「そう、やり直そうよ。わたしも、フラれた理由とかたくさん考えて、直したよ」
直したなら、ストーキングなんてするはずない。
「なあ、お前は約束を破ったんだ。日野を車道へ押した。立派な殺人未遂だ。分かってるのか?」
「わたしが押した? それ、日野ちゃんが言ったの。実際に見たの?」
「もう、とぼけるのはやめろ」
「どっちにしても、優悟くんは会いに来てくれたね」
「お前に会わなくちゃ、やめさせることもできない」
「優悟くんが会わなくちゃ、なんて言ってくれるの、凄く嬉しい」
「ここまで話が通じないなんて。日常生活が大変そうだな」
うんざりして空を仰ぐ。月があるべき場所には雲が群がっていて、かろうじて光る円が滲んで見えた。少し前に先輩が言っていたことを、思い出す。それは、ことわざだった。
「月に叢雲花に風」
「え?」
「って、知ってるか」
「知らない。月とか花とか、綺麗な感じはするけど」
「名月には雲がかかって、桜には強風が吹く。美しいものには、邪魔が入るものだ」
思い返せば、入学した頃には桜が美しく咲いていたのに、藤森のことが頭から抜け切れていなくて、花見なんて気分じゃなかった。二年の秋には再会して、やっぱり季節に情緒を感じる暇もない。
春夏秋冬、呪いは解けず、苦しみが付きまとった。ずっとずっと、邪魔されてばかりだった。
「月に叢雲、花に風。大学生活にストーカー」
「……だから?」
「台無しなんだよ。藤森っていう、邪魔のせいでな」
「邪魔?」
藤森の表情から色が消えた。少し後悔をした。これで、もう後戻りはできない。俺は今、藤森との間に太く濃い線を引いたのだ。
「はっきり言うよ。二度と顔も見たくない。思い出したくもない」
「まさか、今日呼んだ理由って、そんなことを言うためじゃないよね?」
その声は明らかに震えている。うっすらと、白い息が空気中に消えていった。俺の体も微かに震えていたが、寒さによるものか、これから起こることへの緊張によるものか分からない。ただ、恐怖で震えているのではないと、信じている。
「俺はお前が嫌いだ」
「なんで、そんなこと」
「理由が知りたいのか? それとも、なんでそんなこと言われなくちゃいけないの、か? ストーキング、無関係の奴を利用した不法侵入。なにより、俺の彼女を傷つけた」
藤森の表情に翳りが見える。
「いろいろ迷惑かけたのは、謝るね。ごめんなさい」
「そういうの、遅いんだよ」
「今度こそやめるから」
「もう一度、言わなくちゃ駄目か」
「ねぇだから」
「俺はお前のことが、大っ嫌いだ!」
怒号が、冷たい空気に染み入った。元々、人通りの少ない小道は静かなのだが、静寂が増した気がする。あまりの緊張で鼓膜がどうにかなったのかもしれない。心臓の音だけが響く。
藤森はがっくりと肩を落として、浅い息を吐いた。
「夢はいつか叶う、って言うよね」
あまりにも状況と合わない発言に、聞き間違いかと思った。
それから彼女は、堰を切ったように喋り出した。
「努力すれば、優悟くんの側に居続けられる。夢が叶うんだって思ってた。だから頑張ったんだよ。実はね、優悟くんが嫌がってるんじゃないかって、思ったこともあったんだよ。嫌いになるんじゃないかって。でも、だからってさ。なにもしないで終わるより、希望を信じて行動し続けるのが、わたしは正しいことだと思ったの」
「……自分に酔ってんのか? まるで感動ドキュメンタリーみたいに話すが、結局は犯罪で、私欲で迷惑をかけてるだけだ」
「頑張ったけど、駄目か。全部、無駄になっちゃったみたい」
その声には自嘲的な色が入り交じっていた。諦めがついたかのように、ため息を吐く。
自然な流れで、彼女はバッグの中に手を突っ込んで、不穏な物体を取り出した。
想像通りのようで、上回るものだ。志村の忠告を受けて、包丁のようなものを警戒していた。だが、姿を見せた凶器は、いかついサバイバルナイフだった。
志村に心の中で呼びかけたくなる。おい、お前のやってるゲームで、サバイバルナイフを持ち出すキャラはいるのか? 銃刀法とか、ないのか?
刃渡りなんて、見ただけじゃ分からない。だが、勢いによっては肉も骨も貫いて、胴体すら貫通すると感じた。
「それ、俺に?」
なんだかプレゼントでも受け取るみたいな言い方になった。欠片も嬉しくないプレゼント。
「ごめんね」
「ごめんって気持ちがあるなら、それをバッグの中に戻して欲しい」
「だって、おかしいもん」
「おかしいのはお前だろ。どういう思考回路してるんだ?」
「優悟くんがこの先、普通に生きて、いろんな幸せを掴むとするでしょ。なのに、わたしは不幸なまま。変だよ。おかしいと思わない?」
「思わない」
「優悟くんも、不幸になってよ。ここで終わらせよう? 優悟くんが最期、わたしの顔を見て終わってくれたら、わたしも幸せになれる」
「理屈が通ってない」
「通ってる。ほら、その後にわたしも優悟くんを追うし」
ぶっ壊れている。
壊れた人間が、俺の方に一歩踏み出す。当然、俺は逆に一歩退く。
やがて俺たちは電話ボックスの灯りから遠ざかる。藤森の表情も、ナイフも暗闇に消えた。闇の中から刃物が突き出てきて、俺の腹に深々と刺さる。そんなイメージが浮かび上がった。
死が近づく。
イメージをかき消す、爆音が鳴り響いた。
なんの前触れもなく、俺たちの鼓膜を揺らす。俺は情けなくも、肩を跳ねさせて驚いた。
音の正体は、荒々しい音楽だ。激しく力任せで、でも雑ではない。歌声が流れ出す。英語の歌詞だ。音楽に疎い人でも、ロックンロールだと分かる。
ロックが寂しい小道に轟いたのだ。
それから優しくて、気の強い声が、言った。
「物言いだよ、それ」
俺は相撲取りじゃないとツッコミたかったが、あまりの安堵で、声が出せなかった。
ロックが鳴るスマホを掲げた、日野鈴奈はそこに立っていた。電話ボックスの灯りで、彼女の顔が浮かび上がった。
鋭い眼差しを、敵に向けている。
ラスト数話、よろしくお願いします。




