Yの一年 ──オウンゴール──
──時田優悟 三年生 春夏秋冬──
春の風が優しく流れ、青空も清々しく美しい。
釣り合いを取るかのように、地上では騒々しい事態が起きていた。たった今、電柱から飛び立った鳥はそんなこと知る由もないだろう。
「そこの人!」と、初老の男が息も絶え絶えで叫び散らす。
「そいつを捕まえてくれ!」俺の住むマンションの管理人だった。
そいつとは、俺の方に逃げてくる痩身の男のことを示しているのだろう。驚くべきことに、そいつは日野のストーカー、牧雄だった。
俺は地面を強く蹴る。昔取った杵柄というやつだ。サッカーボールを奪うように、牧雄の脚へスライディングをした。
グラウンドじゃないから滑りは悪かったが、脚を引っかけ、逃走者を転ばせることに成功した。牧雄は悲鳴を上げて倒れ込む。
管理人が息を切らして駆け寄ってきた。
「あ、ありがとう……ひぃ、ひぃ」
「こいつ、なにしたんです?」
「空き巣だ……ひ、人の部屋に入ろうとしてた」
「空き巣ぅ?」こいつ、さらに罪を重ねようとしてたのか。「入ろうとしてたってことは、未遂ですか」
「や、私が来たときには、こいつがベランダで慌ていて、よく分からんのだ。このマンション、ガラスに防犯センサーが取り付けられてるだろ。強い振動を感知すると音が鳴るタイプの。音がしたから、駆けつけた」
管理人の声色は、どこか武勇伝を語るような調子だ。平和なマンションだったというのに、いきなり空き巣なんか非日常が現れたのだから、興奮するのも無理はないかもしれない。
「で、こいつが侵入した部屋って」
管理人が告げた部屋は、案の定、俺の部屋だった。
俺は現場に向かう前に、足下でうずくまっている下手人に尋問するつもりだった。牧雄は鼻血を出していて、若干の罪悪感が生まれる。
「なんの用だ」
「め、命令されて」
拍子抜けするほどあっさり口を割った。
「誰に」
「ふ、藤森って人に」
今、というより常に聞きたくない名前だった。背中に嫌な汗をかく。
「なんであいつとお前が関係してるんだよ……」
「脅された、んだ。ストーカーしてるのをバラされたくなかったら従えって。し、仕方なかったんだよ」
「仕方なくなんかねーだろ」
俺や日野のことをつけ回っていたとしたら、牧雄のことを知るタイミングもあっただろう。こんな奴を利用してまで、なにがしたかったんだ?
「俺の部屋に、なにかあるっけか? おいお前、なにしたんだ」
「いや……する前に、センサーが」
「はあ?」
防犯センサーが作動して、おろおろしている間に、管理人に見つかったということのようだ。ならば、部屋にはなにもされていないのか。
「あの」蚊帳の外だった管理人が、おずおずと喋り出した。「センサーの音を聞いた住民がしているかもしれないが、警察とか呼んだ方がいいんじゃないか」
「ああ、そうですね」
では、と言いかけて、首元に冷たいものを当てられたような、ぞわりとした感覚が身を襲った。
「他の住民って、誰か待機してたりしますか」
「さあ? 駆けつけたのは私だけだったが」
「え、じゃあ、俺の部屋って今、無防備?」
「そうなんじゃないか、たぶん」
俺はその言葉を聞いてすぐに走り出した。脚を動かして、さっきのスライディングで股関節を痛めたことを知る。やはり、サッカーを辞めて数年も経てば、衰えも出てくるだろう。
痛みを無視して、マンションの階段を駆け上がった。今の俺の部屋は、キーパー不在のゴールネットだ。
ベランダの窓は割られていた。牧雄が割ったのだろうか。飛び散った破片が中に散乱している。それだけで頭を抱えたくなるが、重大な問題は他にある。
明確に、物が漁られている。なにが盗られたか、むしろ増やされたか、ぱっと見ただけでは判然としない。牧雄ではない別の人間に荒らされている。
別の人間なんて、言うまでもなく藤森だ。牧雄を囮にして、本人が侵入したんだ。
日野への誕生日プレゼントが、箱の上から叩き壊されていた。粉々だ。
結構高かったネックレス。元の綺麗な形や光など、欠片も残っちゃいない。
「藤森、なんでこんなことをするんだ……?」
問いかければ、返事が返ってくる気がした。いつも会いたくないときには来るくせに、疑問があるときはいないのか。ズルいだろ。あっていいのか、そんなことが。
俺は牧雄の元に戻り、念のためと住所と電話番号を聞き出した。腹いせに腹部でも蹴り飛ばしてやろうかと思ったが、なんとか堪えた。褒められてもいい忍耐力だろう。
やがて警察が来て、牧雄は無様に連れて行かれた。後のことは、知らない。
耳たぶを触る。マグネットのピアスが付いている。普通のピアスだと穴を開けなくちゃいけないのが怖い、というのがマグネットの理由。
日野には、そう教えた。本当は、すでに穴が開いていて、隠すつもりで付けているのだ。
誕生日プレゼントといえば、思い出すのは過去に藤森から貰ったプレゼントだ。
まだ、あいつが異常だなんて思ってなかった頃に貰った、誕生石があしらわれたピアス。
穴が残っていることが、あいつが残した消えない呪いのようで、不吉な思いを抱く。ときどき耳たぶを触って確かめてしまうのは、まさに思うつぼだ。
藤森の考えは理解できない。一般的な社会の外にいる、常識から外れた異常者だ。
しかし、理解できないと、ただ遠ざけていいのか。諦めてしまっていいのか? 割り切ってしまっていいのか?
とにかく、藤森の凶行を止めるのは、俺の役目だ。形はどうあれ、あいつは、俺の元カノなのだから。




