白い空に力強い声
今朝、ついに息が白くなった。心なしか、いつもの風景がうっすらと白く染まったように感じる。
十二月にもなり、町はクリスマスだ大晦日だと、浮かれ気分になる。わたしたち大学生は、我らこそがクリスマスの代表者だとでも言わんばかりにはしゃぎ出す。しかしわたしは、はしゃぐどころではない。
藤森との対決が迫る。
時田くんが彼女と対話したおかげで、最近のわたしは、安全に過ごすことができている。
安全、とは古くから中国で用いられてきた言葉だと聞いたことがある。実際、どういった流れで生まれた言葉か、言語学を適当に聞いていたため覚えていない。ふと、「安心など全くない」というのも、安全じゃないかなんて、屁理屈を思いついた。
思いついたことと、現実に起こる現象に、大抵の場合は因果関係がない、はずだ。
横断歩道の手前でわたしは信号待ちをしていた。大きめの交差点で、周囲には大勢の人がひしめいていた。
わたしはそこで、背中を押された。
背中を押すにしても、慣用句の後押しをするという意味で押されるなら大歓迎なのに。
残念ながら、物理的に、押された。
どんっ、という鈍い感覚を受ける。不意を突かれて、焦りを感じる暇すらなかった。ただぼんやりと、悪戯好きの子どもでもいたのかなと、呆けていた。
車が猛スピードで迫っていると気づいたときには、すでに体勢は前方に大きく崩れていた。
ブレーキの音が甲高く響き渡り、人々の声にならない叫びとともに鼓膜へ届いた。
藤森の顔が思い浮かぶ。彼女の異常な悪意を、わたしは見誤っていた。自分の邪魔になる存在は、誰であろうと消そうとする。底なしの悪意だ。
長く引き延ばされたような時間も、終わりが来る。目を瞑りかけたとき、力強い声がした。
「危ないっ!」
声と同じくらい強い力が、わたしの腕を掴んだ。
1秒程度しかない時間の中で、わたしは背中を押され、車が迫り、腕を掴まれた。さらに引っ張られ、操り人形のように振り回された。
気がつけば、わたしは地面に倒れていた。
生きている。
人々が、わたしを見下ろす。ブレーキをかけた車の運転手が急いで降り、駆け寄ってきた。すべてがぼやけて、スローモーションに見えた。
わたしの腕を掴み、一緒に倒れていた人が起き上がりながら訊ねた。女性だった。
「ねえ、今、押されなかった!?」
そう言いつつ、彼女はきょろきょろと押した人物を探す。
「駄目だ。人が多すぎるし、分かんないや」
「あ、あの」
放心していたため、本来であれば真っ先に言うべきである、お礼の言葉を忘れていた。
「日野ちゃん、大丈夫?」
「あ、え……へ?」
女性は、わたしを知っていた。その顔をまじまじと見つめ返し、頭の中で電気が走る感覚を味わった。
「覚えてないかな」
「え、いや」
彼女を知っている。わたしは一度しか会っていない。けど、よく知っていた。
「良かった、無事で」
それから、彼女は気恥ずかしそうに「わたしの、か、彼氏が、その」と口ごもりながら続けた。
「よくコケるから。なにもないところで。助けているうちに、転びそうな人を助けるのが得意になっちゃって」
「……その人は、凄い、不幸体質だから?」
「あ! 思い出してくれた?」
「白坂さん」
「わたしと、あの人を引き合わせてくれたお礼、できた? ……なんちゃって」
不幸先輩、じゃなくて、佐藤先輩の彼女である白坂さんは、悪戯っぽく微笑んだ。
次話は通常通り、明後日に投稿します。




