Sの一年 ──なにかの縁──
──日野鈴奈 三年生 春夏秋冬──
この喫茶店は開店して間もない頃に、テレビで取り上げられたらしい。
そんな店のバイトをやれるなんて光栄です!
なんて心は持ち合わせていないので、得意げに取材の体験を語る店長との温度差を感じながら働いている。嫌いではないが。
カランコロンと、ガラス張りのドアが開く。入店してきたのは時田くんとヒガシだ。「二人で来たんだ」とわたしが言うと、すぐにヒガシが「あ、ヤバい。浮気を疑われてるよ」と茶化す。
「時田くん、知ってる? 鈴奈はけっこう重い女だよ」
「ちょっと!」
わたしって、実際に重いのだろうか。正直なところ、自覚がない。苦々しい過去を思い返すと、追い打ちをかけるように時田くんは言う。
「この前、佐藤先輩と飲みに行ったとき、若干酔ってたよね。ぽろっと、昔の話を打ち明け……」
「それは、すぐに忘れてほしいな……!」
いや本当に、忘れてほしい。
余談だが、その飲み会の帰りに佐藤先輩は、自転車置き場に突っ込み、通りかかった警官に囲まれた。彼はいつも通り、不運だと嘆いたが、そもそも前後不覚になるまで飲まなければいいので、自業自得だ。
二人はテーブル席に向かい、途中で時田くんが足を止めてから、さらりと言う。
「重いとか、全然たいしたことないよ。気にしない、気にしない」
優しさがありがたい。それから、気がついた。彼にとっては『元彼女』のことがあり、愛の重さには慣れてしまっているのだと。
なんとも、複雑な。
ヒガシの注文したカフェラテを運ぶ。二人はなにやら小声で話していた。心の隅でモヤッとしたものが浮かぶ。「けっこう重い女」とついさっき言われたことが蘇り、平静を装って二人の会話に混ざった。
「どしたの?」
「や、あそこに座っている人」と、時田くんがひっそりと指を差した。「どこかで見た顔だなーと思って」
「あの人……時田くん、覚えてない?」
「逆に、日野は覚えてるの」
「わたしも最初は覚えてなかったけど、あっちから話しかけてきて、思い出した。あの顎髭と恰幅の良さ。どう?」
「ええっと、ギブ。このままだったら、閉店時間まで粘っても思い出せない」
「軽音サークルの、ベーシストさんだよ」
「うーん……」未だピンときていないようだ。
「ほら、一年のときに観に行ったじゃん。ライブの」
「あ、あー……!」
ベースの彼は時田くんの声に反応したのか、こっちを向いてから軽い会釈をした。相変わらず顎髭はもみあげと繋がっている。
「懐かしいな。そうだ、日野は彼のこと『音楽性の違いでサークルを抜ける』って断言してたよな。実際に抜けたのは、ドラムだったけど。あの、エアバンドになった人」
「彼もやっぱり抜けたんだって」
「へぇ」
ベースの彼はおもむろに立ち上がって、側に歩み寄ってきた。噂をしていて不快に感じさせてしまったかと身構えたが、彼はほんの少し口角を上げた。微笑むのが苦手なのかもしれない。
「日野さんのこと、あのときのライブハウスから覚えてたんですよ。学園祭のステージでも『あっあの人』って思ったし」
「髪色が目立つから?」
「この喫茶店に来たのは偶然で、驚きましたし、懐かしい気持ちになりました。ライブを思い出せたから」
「そういえば、なんで軽音抜けたの? やっぱり、音楽性の違い?」
「そうとも言えます。熱意が足りなかったんですよ」
「熱意ぃ?」
会話に加わってなかったヒガシが、その単語に反応を示した。そんなものなんて、本当にあると信じているのか、とでも言いたげだ。
「でも実際あのライブでは、ベースの人が一番良かったねって帰り道で話してたんだよね」
「ありがとう。でも、俺はこのままじゃ、熱が消えちまう。あいつらと一緒にやってたら、まるで夜の砂漠みたいに冷え切っちまうと思ったんですよ」
「そりゃ寒そうだ」
「そこへ渡りに船じゃないですけど、凄まじい熱意を持った人がいて」
「また、音楽を?」
「いえ」彼は首を振って、どこか誇らしげに続けた。「アメフト部です」
「あ、アメフト?」
「それはもう熱烈に勧誘してくる先輩がいたんで」
一人、思い当たる人物がいた。灼熱の夏だろうが、アメフトの重装備を着けて外に立っていた人がいたはずだ。
「熱意があれば、音楽じゃなくてもよかったんだ?」
「よかったみたいですねぇ」と、他人事のように彼は笑う。「この体型なら、アメフトでも活躍できそうだし」と腹を叩いた。
「でもまあ、熱があるなら、いいね」
「困ったこともありまして。その先輩が卒業してしまったんですよ」
卒業する年で、あれだけ長いこと勧誘していた事実の方が、わたしにとっては驚きだが。
「今年からはどう勧誘していけばいいものか分からないんです」
「その人みたいに、熱意を見せれば」
「真夏の中、突っ立ってるのは勘弁ですよ。しかも、ぶっちゃけ、効果薄いでしょ?」
「だよね」
わたしは横目でドアの方を見て、アイデアを思いついた。
「じゃ、この喫茶店でチラシとか、貼ってみたら? ここ、駅の反対側だけど、学生もまあまあ来るし。許可は取るからさ」
「いいんですか?」
「ここで会った偶然も、なにかの縁ってことで」
思いついたまま口にした言葉だが、我ながら気に入った。なにかの縁、素敵な響きじゃないか。ベースの彼も、自然に顔を綻ばせた。
彼とわたしたちは仲良くなり、連絡先を交換したり、コーヒーを飲みながら談笑したりした。
ただ、彼らが帰った後、滞在時間と比べて売り上げ的にはよろしくなかったようで、店長は笑顔で言った。
「鈴奈ちゃん、彼らの分、注文したら?」
***
バイト終わりの帰路、暗い夜道がそうさせるのか、じとりとした感覚を背中に感じた。振り向けば恐ろしいなにかがいて、襲いかかってくるかもしれない。そんな想像がかき立てられて、わたしは確認するのを躊躇った。
気味の悪い感覚には覚えがある。さんざん、わたしに付きまとってきたストーカー、牧雄くんだ。とは言っても牧雄くんが懲りもせず追いかけてきているのか? というと、違う気がする。違うと思いたい。
足音と衣擦れの音がして、その正体が迫っていると気がついたとき、思わず声をあげそうになった。早足になって距離を離そうとしたが、手遅れなほどに、その音は近かった。
意を決して、勢いよく振り返る。
「あ、ストラップ、落としましたよ」
そこにいたのは、わたしの勢いに気圧された様子の、女子高校生だった。制服を身につけ、指定のバッグを持った姿は、世の中が平和な証という感じがして、ストーカーなんて考えた自分が馬鹿らしくなるくらいだった。
「え、ああ、どうも」わたしは差し出されたストラップを受け取った。「ありがとう」
女子高校生は小さく「どういたしまして」と言い、反対側の道へ駆けていった。かなり長い距離を追いかけさせてしまったのかもしれない。
わたしは、なにを怯えているのだろう。牧雄くんのことがトラウマにでもなっているのだろうか。気持ちの悪い感覚なんて、きっと気のせい。
気のせい、と強く思い込もうとしていた。が、気味の悪さが夏まで続くと、流石にそうも思えなくなっていた。
文字数の都合上、想定より話数が増えました。まだまだ続きますが、かなり終盤です。これからもよろしくお願いします。




