歪みの話
「最後、ちゃんと見てくれた?」
日野は私服に着替え終わっていたが、未だ興奮が冷めてないらしく、頬を紅潮させている。
食堂の二階にあるテラス席で、俺たちは向かい合っていた。地上を見下ろすと、祭りを楽しむ人々でごった返している。所狭しと出店が並び、人が集っているものだから、異国の風景かと錯覚する。
「えっと」
俺は言い淀んでしまった。最後以外ならちゃんと見たのだが、その最後だけが、邪魔者によって見られなかった。「最後以外は」と、正直に答える。
「えーっ」
藤森が、なんて説明しても正当な理由にはならない。非難は甘んじて受け入れよう。
「なんてね。なんだか、女子に絡まれてたでしょ」
「あ」見えてた。「ごめん」
「謝ることじゃないよ。仕方ないし」
「日野は仏のように優しい」
「現代の仏です」
赤髪の仏は、アイスコーヒーを飲み干した。テーブルに肘をつき、剣呑な表情に変わる。
「で、さっきの子は誰なの。その様子だと、親しい間柄じゃなさそう」
「鋭い」
高校二年の冬、藤森は俺を校舎裏に呼び出した。テンプレートにはめた告白の仕方、と思ったら、テンプレが結局、最強なんだよと藤森は笑った。納得したし、なんだか面白い女子だと思った。
しかし、俺は彼女の本質を理解していなかった。
そして最後まで理解できないまま、別れた。
それまで付き合った女子はみんな、相手側から別れを切り出されたのだが、彼女だけは俺の方から別れようと言うことになる。
「ねえ」日野が口を挟む。「時田くんがたくさんの女の子と付き合ってた事実に驚いて、っていうか若干引いてるんだけど。しかも、フラれてるの?」
「べ、別に遊びまくってたとかじゃない。フラれた理由は、よく分からないけど」
「あなたは優しすぎるのよ、とか?」
「一回だけ言われたことある……」
「時田くんのストーカー、その藤森って子?」
「鋭い」
「藤森ちゃんをフった理由ってなに?」
「たとえば、昼に弁当を作ってくれるんだけど」
「それだけ聞くとめっちゃ優しいね」
「毎日、作るんだ」
「おっと、不穏だ」
「で、昨日の晩ご飯はなに食べたのって聞いてくる。俺が、母親に作って貰ったものをそのまま答えると、翌日、それが弁当になる。最後に聞いてくるんだ。『ね、お母さんの作ったやつと、わたしの、どっちが美味しかった?』ってね」
「え……それって、お母さんの作ったご飯より、自分が作った方が美味しいでしょ、って言いたいの?」
「かもしれない。それとか、電話を毎晩のようにかけてくる。そんなのは、割と普通」
「普通って言葉、分かんなくなりそう」
「ふいに、首の後ろを噛んだり」
「噛む!?」
本当に理解できてないのだろう。日野は目を白黒させる。俺だって理解できないのだから、仕方ない。
「で、あー」
決定的となった出来事を語ろうと思ったが、恥ずかしさが湧いてきて、口を閉じた。思い出したくない体験で、気分が悪くなってくる。吐き気まで催してくる。
日野は追求しなかった。なんらか、酷い想像をさせてしまったかもしれない。
「ごめん。あんな楽しいライブの後で、こんな話」
「いや、聞いたわたしが悪いんだよ! ……でも、藤森ちゃん、困った子だね」
「困った子というか」
「その子、牧雄くんみたいに、時田くんのこと尾行したのかな。っていうか、改めて凄いね。わたしたち、二人にヤバいストーカー」
「まあ、でも。もしかしたら、ストーカーにならずに、これっきりになるかも」
「本気でそう思ってる?」
「思ってないよ」
頭を抱える。日野のストーカー被害にけりがついたと思えば、今度は間髪入れずに藤森か。
どうか神様、あっさり解決しますように、と願いたくもなるが、よく考えたら神様の悪ふざけとしか思えないことに見舞われている。願って解決しても、マッチポンプだ。
「でもま、任せてよ」
日野はあっけらかんと言い切った。
「え?」
「牧雄くんを撃退してくれたし、今度はわたしが助ける番」
「あ……ありがとう」
「ストーカー被害の仲間だしね」
「ストーカー、被害、仲間」
「なんでカタコトなのー」
なんでもないことのように、彼女は笑っていた。おみそれしました、と平伏したくなる。同時に、心強い味方ができた安心感も生まれた。
テラス席から顔を出す。出口の近くで、志村が出て行こうとしているのを見つけた。しまった。完全にあいつのことを忘れていた。
***
見失うギリギリのところで志村の首根っこを掴む。蛙の鳴き声みたいに呻いていた。
「あれか、例のストーカー。来たんだ。そいつ、日野さんのストーカーとはまた違ってそうだよな」
「違ってそう? どういう意味だよ」
志村は寒さ故か、大きなくしゃみをした。
「前に聞いたお前の話と、俺のイメージ。日野さんのストーカーは、着ぐるみで追いかけられたくらいで逃げ出したけど、藤森ってやつは、たとえヤクザに脅されたり警察に通報されたりしても、構わずに執着してくる感じ。そいつ、絶対にまたお前に会いに来るぞ」
「なんでそんなイメージが湧くんだ。お前、経験ないくせに」
「ゲームの中ではたくさん彼女いるんだよ」
「ゲームかよ!」
とはいえ、志村のイメージも見当外れではない。藤森と付き合っていた1年弱、彼女の執着は異常だった。警察に通報したって、無意味に思える。
「なんの話ー?」
「うおっ」
追いかけてきた日野が、腕を伸ばして俺の両肩を掴んだ。自分がやられたことが返ってきたとでも言いたいのか、志村は嘲る目を向けた。
ストーカーの話をしてたと説明するのは気が引けた。他の友人に相談するくらい気が滅入っている、とでも思われそうだからだ。
「志村の趣味の話」
「はあ?」
志村は俺の嘘に眉を潜めたが「ミニコちゃんの話。布教してた」と、意図を察してくれた。ただ、誤魔化すにしても、合わせづらい話題だ。
「ミニ、なんだっけ」
「いい加減に覚えてくれ。御子柴ミニコだ」
「あ、ミニコちゃんのこと!」
「えっ、知ってるの?」
意外な反応に俺は驚き、志村はわずかに目を輝かせた。
「ミニコちゃん知ってるんだ? 凄い、今まで身近に知ってる人なんていなかったから驚きだ。どれくらいから彼女を追ってるんだ?」
「いや、わたしも最近知ったばっかだけど」急に饒舌になる志村に押されて、日野は狼狽する。「でも、たまたま聴いて、彼女の歌が凄くいいなって」
「そう! いいんだよ、沁みるんだ」
「あ、分かる。沁みるよね」
また、それか。沁みると言われても、漠然としすぎた感想に、どう納得すればいいのだ。よく分からない。
「この時田って男は、俺がなんど説明してもミニコちゃんの魅力を理解してくれない。そもそも、彼女の配信を観てもいないらしいんだ。観てもないのに、判断するなんて馬鹿げていると思わないです?」
「お前が俺にいつ、説明したんだよ。そのうち観るって言ってるだろ」
「時田くん、それ、絶対に観ない人の言い方だよ」
「俺一人が観ようと観なかろうと、ファンが一定数いるなら、関係ないだろ。俺に布教しなくたっていい」
「あのね、時田くん? 推しはね、いつ消えるか分からないんだよ。ファンがいるからって、誰も彼もが時田くんみたいなこと考えてたら、推してる人はいなくなっちゃう。わたしの好きなロックバンドだって、ファンはいたのに、あっけなく解散しちゃったんだから」
強めの声色で反論してきて、少し面食らった。
「それは、そうかもだけど」
「ふふん。ミニコちゃんはね、そのロックバンドの名曲をカバーしてくれた、センスの良い子なんだよ」
「そうそう、ミニコちゃんは可愛らしい外見と声色に反して、歌の好みはゴリゴリにロック! そこがギャップで大受けしてるともいえる」
「一年以上お前からその子の話をされて、初めて具体的な情報が出てきたよ」
「そうだっけ?」
「そうだよ!」




