Fの視線
愛とは。
今踊っているダンス部の演目が終了したら、次はいよいよ日野と、彼女を誘ったらしい軽音サークルの演奏だ。
体育館前に設営されたステージは、作りこそ簡素だが派手に飾り付けられていて、自分が舞台であるという自覚もなく、主役だとでも思っていそうだった。
ステージ前に集う群衆の中で、自分の居場所を確保する。志村はついさっきまで一緒にいたが、人混みに酔ったと言って、どこかへ消えていった。この人の多さでは、再会には期待しない方が良さそうだ。
「あっ、来てくれた」
「へっ?」
声に驚いて振り向けば、ステージに立つはずの日野がいた。
「確か、次が出番じゃないの」
「いいの。たいした準備はないし。着替えるくらい」
「でも」
「エアバンドだから。チューニングとかもほぼ必要ないわけで」
「え。エア?」
「演奏のような、そうじゃないような」が、いったいなにを意味するのか、漠然としていて疑問だったが、ようやく氷解した。楽器自体は持つが、実際には弾かない。「フリ」をするパフォーマンス、エアバンド。金色に爆発するやつ。
「去年、一緒にライブ観に行ったじゃん? あの軽音サークル、案の定メンバーが脱退しちゃって」
「あー、ベースが?」
確か、日野が音楽性の違いで脱退すると、予言のようなことを口にしていたはずだ。
「いや、ドラムが」
「ドラムが!?」
「そのドラマーがね、何故かエアバンドサークルを始めたの。で、期間限定のお試しで、参加してくれない? って誘われてさ。面白そうだし、このたび、一時加入することになりました」
日野は礼儀正しいお辞儀をする。俺も、頭を下げてみた。
「いつの間に、そんな展開になってるとは」
「いやあ、目立つ髪色で良かったよ」
「髪色?」
「そのドラマー、青髪の女子、って覚えてくれてたんだよ。で、交流に繋がった」
「なーるほど」
「エアバンド、ボーカルだけはマジの歌なんだけど、わたしとかは楽器をそれっぽく振り回すだけなの。しょうもないって思う?」
「いや」
一大学生の分際で言えることではないが、大学の学園祭はそのくらいしょうもないのが相応しいと思えた。
だから「いいと思う」と、本心で言った。
「いいでしょ」
「あ、髪色といえば、いつの間にか、赤色に染めたんだね」
秋といえば紅葉。紅葉といえば赤色、などと考えたかは定かでないが、彼女の髪色は秋めいた色になっていた。
「四季で色変えてみようかなぁ」
「頭ハデな人って認識されそうだね」
「……やめとこ」
「あ、いや。やりたければ、やればいいんじゃないかな。うん」
髪の先をいじり、少し自信なさげな顔をしてから、「どう?」と訊ねてきた。
色もそうだが、そうして自由に、元気に過ごしている様子に、俺は元気を貰ったような気になる。素直に綺麗で、可愛らしいと思えた。
「凄く、いいと思う。似合ってるよ」
「……いいでしょ」
日野は少し頬を赤くしていた。まるで秋の妖精のようだ、と思った。とてもダサく恥ずかしいから口には出せないが。
***
始まる前は、期待半分、なにかトンデモなことになるのではという不安半分で、落ち着かなかった。だが、いざ始まれば、そんな気持ちを吹き飛ばすほどにド派手で、良い方向にトンデモだった。一言で表すなら、無秩序。
ロックバンドっぽい衣装とメイク。そして、楽器を振り回したり跳ね回ったりと、らしいパフォーマンス。思わず、あるある、と言いたくなるようなステージだった。
日野はといえば、黒いギターを高めの位置で構え、激しくかき鳴らしていた。まあ、実際には弾いていないのだろうが。
ただ、普段の温和な雰囲気とは異なり、荒々しく手を動かして、真剣な表情でステージを駆けた。ギャップがあって、正直なところ、とても格好良かった。
始まる前までは緊張していた俺も、途中からは、肩の力が抜けて笑ってしまった。
「ラストの曲、行くぜー!」
ボーカルが吠える。観客も盛り上がっていた。本物のライブさながら、空気は熱を帯びている。
「優悟くん」
背後からの声に、すぐには反応できなかった。俺のことを名前で呼ぶ人間は、この大学にはいない。しかも女の声で、ますます自分が呼ばれているとは思えず、同名の別人が呼ばれているのではないかと一人で納得していた。
「ね、優悟くんってば」
ライブで熱くなっていた体が、さっと冷えるのを感じた。まさか、とも思った。耳と首の間に手を回されるような、ぞっとする声には、憶えがあった。その声で優悟と呼ぶ人物は、どう考えても、この世で一人しかいない。
「なんで」
俺はゆっくり振り返る。幻聴や白昼夢であることを願った。だが、そこには、知った顔があった。
「なんで、ここにいるんだよ」
「偶然だね、優悟くん」
「偶然? ……最悪な偶然だ」
「じゃあ、運命?」
「相変わらずだね。藤森さん」
高校卒業と同時に別れた元恋人、藤森が立っていた。
「優悟くん、どうして他人行儀なの?」
藤森は小首を傾げる。俺の言葉が、理解不能な言語であるかのように。
「一般的には、元恋人って他人に分類されると思うんだよ」
「わあ、変わってないね!」何故か、顔を輝かせる。「優悟くん、そうやって俯瞰した物言いばっかして。あと、そういう感じで喋るとき、人差し指が立つんだよね。その癖も変わってない!」
すぐに人差し指を拳にしまいこむ。他人に癖を指摘されるのはとても不快だ。
藤森の話し方は不気味だった。念を押すかのように、「優悟くん」と、俺の名前を呼ぶ。俺が、自分の名前を忘れているとでも思っているのだろうか。
「改めて聞くけど、どうしてここにいるんだ?」
「偶然、運命だってば」
「嘘だ」
「嘘じゃないっ」
「そう言って、高校のとき、俺を待ち伏せていたことが何度あったんだっけ」
「ところで、ライブ楽しいね」
「話を逸らさないでくれるかなぁ」可能なら、話すらしたくない。
「エアバンドなんて、可笑しいけど」
「別に、いいだろ」
「悪いなんて言ってないよ?」
藤森は視線をステージの方に移す。いつの間にか、俺は彼らの演奏が耳に入らなくなっていた。演奏も歌声も、大学構内中に響き渡っていたはずなのに、すべての意識が、藤森へと向かっていた。
「あの、赤髪の子」
「は?」
振り返らずとも、藤森は日野を見ていることが分かった。
「優悟くん、あの子をじっと見てた」
「だから?」
「新しい彼女さん?」
「違う」
「髪の色、目立つね」
「あのさ、俺、そろそろステージに集中したいんだけど」
「したらいいじゃん。わたしは聴いてるよ。わたしに集中してないでさ。優悟くん」
「君も、前と変わってないね」
日野とは対照的で、藤森は純然たる黒髪を持っている。こういった容姿もだけど、性格が、高校の頃となにも変わってない。
相手が自分のことを考えていて当たり前、といった歪んだ思考。
「えへへ。そうでしょ」
「皮肉のつもりだけど」
「でも、よかった」
「なにが」
「優悟くんが、高校を卒業しても元気でやってて。ね。これからもまた、会ったりできたらいいね」
「……もう、会うつもりなんてないんだけど」
藤森は俺の言葉を聞いて、一瞬だけ顔を強張らせた。俺の目を真っ直ぐに見つめ、まるで視線で殺そうとするかに思えた。
拒絶の言葉を続けるために口を開くと同時に大歓声が上がった。振り返れば、日野たちのステージが終わりを迎えたところだった。大成功だったのか、誰も彼もが笑っていた。俺だけが、怯えた表情だった。
はっとして視線を戻すと、驚くことに藤森は影も形もなくなっていた。
場の熱狂が見せた幻覚だったんじゃないか、と思いたかった。しかし背中の汗は、熱狂によるものではなく、悪夢を見て飛び起きた後のような、冷や汗だった。




