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恋は図々しくいけ

 種類は分からないが、蝉が鳴き続けている。喧しさでいえば気が滅入るのは等しく、だから種類とかどうでもいい。蝉は全部、五月蠅い虫だ。


 蝉と真夏の熱気の中、アメフトの重装備を身につけた人がいた。信じられず、目を擦るが、暑さが見せた幻覚などではない。


 時田くんは「あの人、去年の春にもいたな」と呆れた。「まさか、今年もずっと勧誘してるのか」


 アメフト、人気ないのだろうか。


「あ」


 時田くんは汗を流しながら、ある人物を発見した。正直なところ、わたしは暑さに弱く、不機嫌な調子で聞き返してしまった。


「あ、ごめん。それどころじゃないか」


 早く室内に入ろうか、と気を遣ってくれる。


「そりゃ、暑いけど」気を取り直して、彼が見た方向をわたしも見た。「あの人、誰?」


「ああ、一年のときに知り合った先輩なんだけど」


 指差された人物を観察する。ぱっと見た感じ気弱で、なんだか突風で飛ばされそうな人だった。偏見に満ちた印象だとは思うけど、実は豪快な人と教えられても信じられない。


「どんな人なの?」

「すっごい不運な人」

「不運?」


 反復したつもりだが、ふうん、と洒落みたいな相槌を打ってしまった。


「佐藤先輩。あの人を知っている人は、こっそり()()()()って呼ぶんだ」


「……あっ」


 わたしたちは同時に声をあげた。

 近くの校舎の三階から、黒い物体が飛び出してきた。物体がバケツだと判明したときには、佐藤先輩の頭に直撃していた。


「な? 不運な人だろ」


 時田くんはそう言いつつも、少し引いている。当の佐藤先輩はうずくまり、周囲の学生から奇異の眼で見られていた。わたしだったら、恥ずかしさでしばらく立ち上がれないだろう、と思う。


 だが、佐藤先輩はわたしと違い、こういった現象に慣れているのか、頭をさすりながら淡々と歩き去って行った。何故か、なにもないところで転びかけていたけれど。


「あの人、三年になったらうちのゼミに来るといいよって言ってくれたんだ。日野も、どうかな」

「んー、考えておく」


 彼に影響された、と言えるかは分からないが、わたしも、並大抵の恥ずかしさで萎縮している場合ではないなと思えてきた。


「ね、時田くん」

「なに?」

「し……しばらくの間、わたしと……一緒に過ごしてくれない?」

「……え?」


 時田くんはわけが分からない、という顔だ。


「どういう意味?」

「牧雄くんのことで、作戦があって」

「作戦ねぇ」


 作戦という響きが可笑しかったのか、少し笑った。


「とりあえず、暑いから、室内に行こうよ」



 ヒガシの提案は、こうだ。

「吊り橋効果。ストーカーから守って貰うついでに、距離を縮めちゃえ」


 恋というものは図々しくいくものなんだ、とも言っていた。とんでもない女だ。



 大学構内にあるカフェが空いていたので、アイスコーヒーを二人分頼んで落ち着くことにした。


「ヒガシの提案なんだけど」と、何度か強く強調する。「牧雄くんがこの辺で目撃された、って言ったでしょ?」

「日野の友だちが見つけたんだってね」


「だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の。もしかするとストーキングを諦めてくれるかもって。……あ、いや、もちろん時田くんが嫌なら別の方法を考えるよ」


「日野は昔、牧雄に追い回されてるとき、誰かと付き合ってたことないの」

「ないなぁ。その時期はフリーでした」

「じゃ、どうなるか分からないね」


 あくまで冷静に、作戦が有効か分析する。わたしは、今になって恥ずかしさが強まってきた。


「ごめん。今気づいた。牧雄くん、時田くんに危ないことをするかも」

「この前も言ったけど、地味な奴はあんまり派手なことはしないと思うんだよ。だから、諦めるかもっていう予想は、当たってるかもしれない」


 時田くんはこめかみに人差し指を当てて、思案しているようだった。待っていると、やがて視線を上げ、わたしを見た。


「日野は、嫌じゃないの」

「へ?」


 思いもよらない質問だった。


「俺はいいんだけどさ」

「い、いいの?」


「この作戦って、いつ牧雄が見つけるか分からないから、なるべくずっと一緒にいるってわけでしょ。通学するときも帰宅するときも、一緒にいるってことだ。俺は大丈夫だけど……日野は耐えられる?」


「ぜ、全然大丈夫! むしろ、どんとこい」

「なんだそりゃ」と、彼は少し笑う。

「いや、っていうか。時田くんこそ、本当にいいの?」


「もちろん。ほら、よろしく」


 時田くんはズルいくらいに格好良く、手を差し出した。提案したのはわたしの方なのに、この手を受け入れてしまっていいのかと躊躇ってしまう。手汗をかいていないことを確かめて、その手を握り返した。


「ありがとう、時田くん」



 そのとき。


 わたしは改めて、彼が好きだと確信した。



   ***


「確信したならさあ、その後になんで『ストーカーの件が終わったら、お礼に……』とかって続けないわけ?」


 ヒガシは床に寝転がりソシャゲで遊んでる。


「人はみんな、ヒガシみたいに図々しくないんだよ」とわたしは指摘する。


「ヒガシじゃなくてアズマね。時田くんにちゃんと訂正しておいてよ。ところで、ご飯まだ?」

「図々しいー」


 ヒガシはわたしと時田くんの件を聞くついでに、晩ご飯をたかりに来た。いや、晩ご飯がメインかもしれない。その図々しさは裏表がなくて、いっそ清々しい。


「でも、鈴奈も図々しいよね」

「え、嘘。図々しくいけって、あんたが」

「時田くんからすれば、わたしを守ってください、って突然言われたようなものでしょ」

「ちょっと! 今になってそういうこと言わないで! 不安になってきた!」


 ふと、窓の外を見やった。嫌な予感、というのも大げさだが、外の暗闇が何故だか恐ろしく感じたのだ。

 時刻は20時を回っており、街灯の光でようやく様子が分かる程度に暗い。マンションの二階にあるこの部屋は、泥棒が侵入しようと思えば、できなくはないのかもしれない。


「どしたの」

「いや、別に」

「牧雄が見てるとか、考えちゃった?」

「やめてよ、もう」


 わたしはカーテンを閉めようとした。こんな布一枚で、という気持ちもあるが、外の世界と自分の部屋とを完全に遮断して、シェルターに籠城したいと思った。


 カーテンに手をかけて、わたしの動きは止まる。


 眼下の夜道にある、民家の影に男が一人立っていた。そんな馬鹿な、と思いながら、心音が早くなる。暗闇の中に目を凝らせば、知っている顔だった。自分をストーキングしている男の顔を忘れるわけがない。


「や、ヤバい。ヒガシ」

「ん?」

「いた」

「いた? なにが」

「牧雄くん」


 ヒガシは眉間に皺を寄せ、起き上がる。「ほら」とわたしはこっそり指を差すが、振り返ったときにはもう、彼の姿は見えなかった。カーテンを閉め、深呼吸をする。


「いたんだよ、本当に」

「そんな都合良く、いや都合悪く、いるってことある?」

「本当に!」

「見間違いじゃなく?」

「絶対に間違いない!」

「分かった分かった」


 落ち着け、と背中をさすられる。落ち着いている、と思っていたがなかなか動悸が治まらず、そこでようやく自分の緊張を知る。


「どうしよう」

「引っ越せ」


 ヒガシは冷静に言う。それに関して、拒否するつもりはない。引っ越し代やら諸々の面倒と、身の危険、どっちを取るかなんて、考えるまでもない。こういうとき、面倒を取ると殺されるのが、サスペンスドラマのお決まりだ。


「だ、大丈夫かな」


「時田くんの分析が合っているなら、派手なことはしない。たぶん、見てるだけだよ。充分すぎるほどキモいけど。……あ、()()

「え、なに?」

「いや別にアレなんだけど」

「アレってなに!」


 思わず興奮してしまう。


「時田くんにも許可取らないといけないし、鈴奈がますます図々しいと思われるかもしれないんだけど、この状況を利用する、()()()()()()()があるんだよね」


「距離を縮めよう、みたいな話は、今それどころじゃないって返させて貰うよ」

「いやいや。まあ、それもあるけど。牧雄を遠ざけることができるかも」

「あはっ……本当かなぁ?」

「わたしの作戦に期待しなさい。前世は戦国時代の軍師だったんだから」


 適当なことを、と思うが、ありがたい。わたしの緊張を取り除こうと、茶化しているのが分かる。ようやく、平静を取り戻す。


「とりあえず、ヒガシ」

「ん?」

「今日は、うちに泊まってくれない?」

「へいへい。承知しました。鈴奈の殿様」

「誰が殿様じゃい」


「バカ殿様」

「打ち首にするぞ」



前までの章と違ってよく喋る人たちなので、セリフ量が段違いです。

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