ひととせ
──大学一年生 冬──
せかせかと自転車を走らせる曾根崎の姿があった。俺の前で急ブレーキをかける。
「時田はサークルとか入ってたっけ」
「いや、入ってないし、入る予定もない」
「それなら来年の学園祭さ、手伝ってくれよ。ほら、教室の前に立って、主に女の子を集めてくれ」
「そんなの、家で寝てる方がマシだわ」
憎たらしく微笑む曾根崎に、威嚇をする。
「合コンだって、お前が来るだけで満員御礼なんだぜ? 助けると思って、廊下に立って!」
「……お前はなにしてるんだよ」
「クラスを手伝いながら、先輩の手伝い」
「手伝いばっかりだ」
「それがよ、メチャ可愛い先輩と知り合ってさぁ。見えてんじゃん俺の薔薇色ライフ、って感じよ。あ、羨ましがんなよ」
「知るか」曾根崎を手で追い払う。別れ際に、「クラスってなにやんの。出店?」と訊ねた。
「占い。タロット占い的な」
「え、意外なチョイス。誰か占いできるんだ?」
「は? できるわけねぇだろ」
「はあ?」
なにを馬鹿なこと言っているんだ、と言いたげな曾根崎に苛立つ。
「学園祭までに、ひたすらネットとかで占いのサイトを漁ってよ。クラスの皆で一致団結、協力してそれっぽく仕立て上げようぜ! ってわけだ」
「くっだらねー!」
蹴り飛ばすように曾根崎を遠ざけてから、俺は図書館へ足を運んだ。借りた本を返すためだ。学園祭は昨月終わって、曾根崎のような浮かれたやつくらいしか、もう話題にはしていないだろう。
と思えば、祭りの置き土産があった。この大学のマスコットの、着ぐるみだ。
不気味さと親しみやすさが混じったような、混ざりきれてないようなデザインだ。モチーフの動物はなんだろう。ネズミなのか、クマなのか。分からない。
よく見れば、一匹ではなかった。何匹も置いてあって、もし囲まれでもしたら恐怖を感じるだろう。
着ぐるみの前を通り抜けて、館内に入る。
職員に本を返すと、彼女は怪訝そうな顔をして話しかけてきた。
「あなた、前にあの子と話してたよね、仲良いの?」
学生をあの子、と言い表すくらいの年齢の職員が指し示す先には、志村が座っていた。漢字辞典を机上で開いて、気色悪い笑みを浮かべていた。
「仲良いか、分からないですけど」
「なにしてるのか、聞いてくれない?」
「それで、ニヤニヤするのをやめてほしいと?」
「好きな本を読む権利って、誰にでもあるものでしょ?」
「じゃあ、俺にできることはなにもないですよ」
「あなたには、権利を侵害して貰いたいの」
これは言い合うだけ時間の無駄だと気がつき、俺は嫌々従う。志村はイヤホンをしていたため、俺は机を軽く叩き、志村の顔を上げさせた。
「なんでここに? なに読んでる? なに聴いてんだ?」
「俺はマスコミに追われる有名人か? 質問は一つずつにしてくれよ」
「早く答えないと、心証悪くなるぞ」
「裁判まで開かれんの?」
志村はイヤホンを外して「聴くか?」と差し出す。
「誰?」
「御子柴ミニコちゃん」
「誰だって?」
受け取りかけたイヤホンを、ギリギリで拒否する。
「彼女の歌はね、心に沁みるんだよ。砂漠に降る雨だよ。だからほら、時田も聴けって」
「誰の心が砂漠だよ。それより、ごめん。もう一度言ってくれ。ミコ、なに?」
「御子柴ミニコ」志村は鼻息を荒くする。「バーチャルアイドルでね、といっても、先々月にデビューしたばかりの新人なんだけどね。上昇志向あり、技術あり。これはすぐにプロに行ってしまうよ。歌が沁みるしね」
「あのな、好きな歌手の歌ってのは、どんなものでも沁みるようになってんだよ」
「ほら、砂漠のように渇いた心だ。一度聴いてみろって。良さが分かる」
「あー、そのうち、そのうちな」
志村とは、大学生活が始まってから割と早い段階で知り合った。今から友だちになりました、というような線引きはなく、同じ電車で通学することが多く、会話を交わしていたら付き合いが生まれたというだけだ。ただ、志村と俺は、趣味が合わない。
初めての会話から、いきなり彼はおかしなことを訊ねてきた。
「春夏秋冬って書いて、『しゅんかしゅうとう』以外の読み方があるの、知ってる?」
なにをいきなり言い出すんだ、と思ったのを覚えている。いや、実際に「なにをいきなり言い出すんだ」と言った気もする。
「『ひととせ』だよ。一年のことをそう呼ぶから、当て字みたいに読まれたんだ。でも、春夏秋冬なら、今は春だし、『ひ』ってことになるのかな。夏と秋は『と』で、冬は『せ』みたいに」
本当になにを言い出すんだお前は、と思いながら「本当になにを言い出すんだお前は」と言ったはずだ。
季節が変わり、冬になった。志村の考えを借りるなら『せ』になった現在、彼の漢字オタクっぷりは相変わらずで、図書館で漢字辞典をめくっている。
俺は話題を、御子柴なんちゃらから、職員の願いを果たす方向へと切り替えた。
「漢字辞典って、そんなに何度も開いて、面白いのか」
「漢字は綺麗だろ。形も、読み方も。昆虫好きが、昆虫図鑑を眺めるのと一緒だよ」
「お前にとってそれは、漢字の図鑑ってわけ?」
俺はこっそりと職員へと振り返り、小さく首を振った。口をへの字にしていた。
「そういえば」志村は俺を見上げた。「この間、お前が言ったことだけどさ」
「俺が言ったこと?」
「そ。あの、藤森さんって、人のこと」
「ああ」
以前うっかり、口を滑らせてしまった。
「お前の話し方が気になって……」
「志村」俺は遮って言った。「その話、アルコールが入ってないと話す気になれない」
「そうか。じゃあ、話は変わるが」
「なんだよ」
「お前が高校の頃に遭った、ストーカー被害についてだけど」
「話、変わってねぇんだよ!」
「なるほどな。その人が、ストーカーか」
「やっぱり、アルコールとか関係なく、話すつもりはない」
「ストーカーねぇ。実在するもんだなぁ」
「ファンタジーだとでも思ってたのかよ」
ファンタジーじゃない。レンガの下に蠢く虫のように、隠れているだけで、存在しているのだ。そして、その数だけ被害者がいるということでもある。
たとえば俺や、日野のように。




