Yの回顧 ──仮想偶像──
──大学三年生 現在──
予定の時刻まで、かなり暇だ。一旦、電話ボックスから出て、ガラスの壁に背中を預けた。
白い息を吐くと、冬であると実感する。あっという間だ。冬が来るのも、そして終わるのも。やがて春が訪れる。ロックンロールな春が。
あと、どれくらいで日野は来るだろうか。18時が予定の時間だが、日野は少し遅れることになっている。
財布を覗くと、小銭が無駄に、というくらい余っていた。細かいのを払うのが面倒でかさばらせていたんだろうと、過去の自分を考察する。
なら、他の奴に電話をかけてみるとするか。
こうして出会った人たちに電話をかけていくというのは、ドラマや小説の展開みたいだ。これから最期の時間を過ごすから、感謝を伝えるために、といった感じで。
と、不吉な想像をして、間抜けにも鳥肌が立つ。
予感が当たらないように、相手に感謝などしないようにしようと、俺は固く胸に誓った。
***
「なんだ、時田か」
たっぷり時間をかけて電話に出た志村は、不機嫌を隠さずに応答する。
「今、何時だと思ってんの」
「17時。早朝でも深夜でもないぞ」
「なんの用?」
「なんの用だったっけな」
用がなくちゃ電話しちゃ駄目なのかよ、と酔っ払いのようなダル絡みをして、充分に鬱陶しがられたところで、『アレ』はどうなんだと話題を選んだ。
「漢字のこと? 漢検2級は落ちたけど」
「漢字オタクのくせに、2級も取れてないのかよ。てっきり、1級くらい取れているものだと思ってたけど」
「あのね、漢検なんて唾棄すべきものですよ。漢字の本質を理解しないで、検定の範囲をとりあえず暗記していりゃあいいだけの、意味ないものなんだから」
「暗記すればいいだけのものに、お前は落ちたわけだ」
「真面目に勉強するのも馬鹿らしいよ。漢字能力検定協会の思い通りになんて、俺はならない」
「まあ、お前の固い意思はどうでもいいんだけどさ」
志村は「どうでもいいとは、なんだ」と抗議する。相手にする気はない。
「漢字の話じゃないよ。別のこと」
「俺から漢字以外って、なにが残ってるっていうんだ」
そういう自覚はあったのか。
「アレがあっただろ。ミコ、ミコちゃん、みたいな」
「『御子柴ミニコ』ちゃんだ!」
志村の声色は、途端に花が咲いたかのように明るくなった。
「そう、それそれ」
「っていうか、覚えてくださいよ。御子柴ミニコ。バーチャルアイドル」
「その、御子柴ちゃんとやらを、お前は好きなんだったよな?」
「推しだ、推し」
「推し相撲取りみたいなもんか」
「なに言ってんの?」
「いや、気にしないで」
バーチャルアイドル、ウィキペディアを斜め読みした程度の知識しかない。動画サイトなどで、二次元のキャラクターが自我を持っているかのように動いて喋って歌う。
もちろん、大抵の場合、その背景には三次元の人がいて、色々な技術を用いているのだろうけど、素人の俺には説明されてもよく分からない。
志村はその、バーチャルアイドルの一人である「御子柴ミニコ」とやらに熱を上げている。実際のアイドルのファンと相違ないらしいのだが、傍から見ていると、アニメのキャラに好意を抱いているようで、かなり異様に映る。
「ミニコちゃん、ミニミコちゃんとか、メンバーの一人からはミニちゃんとか呼ばれてるけどね。時田も、好きに呼ぶといいよ」
「お前はどの立場から言ってるんだ」
「一ファンだけど」他になにがあるのか、と鼻を鳴らす。「一度、見てみなよ。良さが分かるから」
「お前、しょっちゅう推すけど、良さが伝わんないんだよな。いつも抽象的な説明しかしないし。『彼女の歌はね、沁みるんだよ』って。好きな歌手の歌なら、どんなものでも沁みるもんなんだよ」
「見た方が早い。ぐだぐだ説明するより簡潔で、有意味だ。習うより慣れろ、考えるな、感じろ。説明するな、見せろ」
「はいはい。そのうち見るよ」
「この前、メジャーデビューしたんだぞ」
「それは確かに凄いな」
「この後、ラジオでも流れるそうだ。聴けよ」
「そのうちな」
「お前のそのうちっていつなんだ!」
志村の怒りを聞き流し、どうしてこいつに電話をかけてしまったんだろうと、後悔してきた。志村が誰を好きになっていたって構わないのだが、温度差があることに気づいてほしい。
一年生の冬頃に、ミコ、なんちゃらさんの話を初めて聞いた。
真夏に冬の話も、温度差がある。




