春はロックンロール
連休が終わり、学校全体がどんよりして、粘つく膜のようなもので覆われているように思えた。俺自身も、軽く憂鬱な気持ちで授業に向かっていた。
授業教室がある棟の廊下を歩いていると、反対側から女子がやって来た。誰かはすぐに分かった。一度見たら忘れるのは難しい青髪だ。相手は俺に気づくと、声をかける。
「今日、休講だよ」
曾根崎の偏見を真に受けたつもりはなかったが、その声は想像よりとても柔らかくて、意外だった。
「え、休講?」
彼女以外にも、教室とは反対の方向に歩く人がいた。
「連絡来てないけど」
「ドアに張り紙あったんだ」
「あ、そっか。ありがとう」
空いた時間をどうしようかと頭を捻っていると、彼女がまだ俺の顔を見ていることに気がついた。
「ど、どうかした?」
「この前、なんでわたしを見てたの?」
「英語の授業のこと?」誤魔化すほどでもないと思い、正直に説明した。「その青髪が、目立つから」
「なーるほど」
彼女は自分の髪を触る。髪の色以外に目を向けると、彼女は小動物を思わせる容姿をしていた。ヒマワリの種を囓ってそうだ、と思った。
「わたし、大学に入ったら髪色で遊ぼうと思ってて」
「いいじゃん」
「いいでしょ」
得意げに胸を張る。
「でも、若いうちに髪で遊びすぎると、将来ボロボロになるって言わない?」
「将来ボロボロになるのと、今やりたいことをやるの、どっちが大事って聞かれたら、わたしは後者を選ぶよ」
「ああ、いいねぇ」
「いいでしょ」
それだけで意気投合したわけではないが、空いた時間、彼女と話せたら面白そうだ、と感じた。だから、俺は歩み寄るように自分の名を名乗った。
「時田優悟。よろしく」
「わたしは日野鈴奈だよ。好きに呼んでいいからね」
外に出ると、春の空気が肺に溢れていくのを感じた。ピンクのツツジが生け垣に咲いていて、アゲハ蝶がその周囲を飛んでいた。
「春だねー」
「うん」
「春と言えば」
「春と言えば?」
「わたしのお父さん、ロックバンドやってたんだけど、時田くんはロック聴く?」
「全然、春とは関係ないね」
「関係あるよー。わたし、春生まれで。お母さんが病院で必死にわたしを産んでたとき、お父さん、なにしてたと思う?」
「さあ? 一緒にいたわけじゃなさそうだ」
「友だちのライブハウスで、演奏してたの」
俺は「酷い父親だ」とも「ロックな父親だ」とも言い難く、「破天荒な父親だ」と間を取った。
「ね、春。わたしにとってはロックンロール」
「関係ないとは、言えないかもね」
この派手な髪型も、ロック趣味が影響しているのでは、と思った。ロックな父親由来というか。
父親のことを語る日野の表情は朗らかで、今まさに浴びている春の陽気のようだった。見ているだけで和み、癒される気持ちになる。
「で、聴く?」
「まあまあだよ。聴くには聴くし、詳しくはない」
この類の質問は、どんなのを聴くの、と続けられることがあって困る。だが、日野はその意図を察したわけではないだろうが、質問を続けたりはしなかった。その代わり、安堵したような顔をする。
「ちょうどよかった」
と、日野はなにかを取り出す。「なにこれ?」疑問を口にするが、どう見てもなにかしらのチケットだ。フリー素材のような感じの、どこか分からない海外風の背景がプリントされている。
「これ、貰ってくれない?」
「もう貰っちゃってるんだけど」
「誰でもいいから渡してくれって言われて。助けると思ってさ」
「え、もしかして、お父さんの?」
話の流れからして、ロックバンドのライブチケットだ。
「いやいや。もう60歳超えてるし。すっかり、楽器から麻雀に鞍替えしたよ」
「じゃあ、誰の」
「この大学の、軽音サークル。いろんな大学の音楽サークルが集まってやるライブ。見学に行ったら、頼まれちゃった」
「チケット配ってって? なんで」
「まあ、ロックが好き的な話はしたけど。それ以上に、ほら」日野は自分の髪を指差した。「この髪色だから。ガチのロックマニアだと思われたみたいで」
俺は堪えられず、噴き出した。「俺がサークルの人でも、渡しちゃうだろうな」
「もちろん、わたしも行くことになっちゃってるから、一緒に行かない?」
ライブハウスに、この青髪が現れたら出演者と勘違いされそうだ。口には出さず、頭の中で、ライブハウスの人々がぎょっとする様を思い描いた。
「いいじゃん」
「いいでしょ!」
まあ、運命的なものではないが、これが日野との出会いだ。
***
西の空が赤くなり、頭上でカラスが鳴く。教科書通りな夕方、俺と日野は苦笑いを浮かべながら歩いていた。
「うーん」
「いやいや、まあまあまあ」
何故こんないたたまれない空気になったかというと、誘われていったライブで、演奏したバンドが、どれもお世辞にも良いと評せないものだったからだ。
特に、我が大学の軽音サークルは酷かった。どうにかオブラートに包もうとして苦戦している。
「喩えるなら、夏の暑い日に、ぬっるい水を飲んだかのような」と俺が言う。
「CGの完成度は高いのに、役者の演技が棒読みな映画を観たような」と日野が言う。
「ま、ムカつく微妙さだったね」
「ええ? せっかく喩えてたのに!」
高校の文化祭で見た、軽音学部の演奏の方がまだ良かった。あのときの彼らは、無我夢中の気迫があった。何事も、熱く取り組むのは恥ずかしさを伴うものだが、ものともしない力強さもあった。
今日の大学生たちは、自分らで「恥ずかしさの線」みたいなものを引き、それを越えないようにしているように見えた。
「人の欠点を見つけるのは簡単。良い点を見つけるのは難しいって、よく言うよね」日野は、ここから切り替えの時間です、と言うように、手を叩いた。「ねぇ、彼らのいいところは、どこだった?」
「あったかなぁ」
「ほら、頑張って探そうよ」
「じゃあ、ロックに詳しい日野からお願い」
「え」
予想外の展開だったのか、明確に狼狽えている。しばらく道を歩きながら、日野はうんうん唸った。
「あ、ベースの彼。あの人は結構よかった」
「うちの?」
「そ」
「小太りの?」
小太りで、ベースの彼。もみあげと顎髭が繋がっていて、黒無地のTシャツと同じく真っ黒なジーンズを身につけていた。身なりに気を遣っていない雰囲気は、音楽以外に興味ありませんという感じで、逆に好感が持てた。言われてみれば彼の低音は、体に心地よく響いた気がする。
「たぶん、あの人はそのうちサークルを抜ける」
「なんで?」
「音楽性の違いで」
「現実で、実際に音楽性の違いでの脱退ってあるんだ」
「バンドもカップルも、全部、別れるのは音楽性の違いだよ」
実感がこもった言い方だね、と言いかけたが、控えた。
「日野は結局、軽音サークルには入らないの?」
「入ろうなんて、最初からちっとも考えてないよ」
「そうなんだ」
「聴くのは好きだけど、演奏なんてできないし」
「そんなもんか」
「それより、時田くんの番だよ。彼らの演奏のよかったところ、言ってみて」
「あっ、誤魔化せると思ったのに」
口をもごもごさせて考えるフリをし、駅で別れるまでやり過ごせないか思案する。日野の表情は、返答をゆっくり待つ優しいものにも、相手を困らせようとする悪戯っぽいものにも見える。
ふと頭上のあたりに、視線を感じた。
「どうしたの?」
「いや、なんか視線が」
「視線? どこから」
「気のせいかも」
「あ、もしかしてストーカー?」
「す、ストーカー?」
いきなり、不穏な単語が飛び出してきて、困惑する。
「時田くん、女の子に付きまとわれたりするんじゃない? モテそうだし。ストーカーは怖いよ。現代社会の闇だね」
「ストーカー、かぁ」
日野にも容姿を褒められて、むず痒い。が、素直に喜べない。
「あ、あれ」
日野は、こっそりと指を差す。その方向は、近くにある民家の二階だった。見上げると、窓から幼稚園児くらいの男児が俺たちを覗いていた。男児も、俺たちに見つかって、さっと頭を隠す。
「なんだ、子どもか」
「なんで覗いてたんだろうねぇ」
「たぶん、それじゃない?」日野は分からないようだったが、俺には理由が察せた。だから、彼女の髪を指し示す。「やっぱり、目立つね」
「あ」
日野は恥ずかしそうにして、自身の青髪を両手で覆った。俺たちは顔を見合わせて、それから笑った。
ノリが合うのか、日野との会話は心地よく感じられた。駅で別れたとき「また大学で」と言われたのが、嬉しく思えた。
しかし、時間が経ってみると、一つ疑問が浮かぶ。
彼女は何故、俺が視線を感じると言っただけでストーカーだと思ったのだろうか。単に、思いついただけで他意はなかったのかもしれないが、少し気になった。追求するほどでもない、とは思う。
糸が絡まったときのような、わずかなもやもやがあったが、帰路の途中で忘れてしまっていた。
思い出すのは、しばらく後だ。




