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Yの回顧 ──物言い──

 

「今の、物言いでしょ」


 電話口の向こうで突然、母は声を荒げた。

「物言いって?」と俺が疑問を口にすると、わずかな間の後に、「いや、相撲の話」と返答が来た。腕時計を確認すると17時半で、NHKは相撲を放送している時間のようだ。


「久しぶりの息子との電話を、相撲観ながらしないでよ」

「こっちが相撲観てんのに、電話かけてきたのはそっちでしょ」

「それはそうだけど」


「えー、絶対に物言いだって」


 悲嘆に暮れた愚痴を溢している。中学の球技大会でも、以前に日本で行われたオリンピックでも真剣になれなかった自分からしてみると、スポーツにのめり込んでいる母の姿は、羨ましく思える。


「それにしても、本当に久しぶりね」母は急に、からっとした調子に切り替えた。「大学生になって一回しか帰ってこないって、あり得ないでしょ」


「来週くらいに帰るよ。大晦日」

「別に、帰ってこいって言ってるわけじゃないけどね」

「え、そうなの?」

「むしろ、冬休みは旅とか出なよ。ユウ、パスポート持ってたっけ。海外とか飛び立っちゃえば」


 母は冗談のように本気のことを言う。もし家に帰れば「なんで日本にいるの」と心底、不思議そうにするはずだ。


「あ」


 俺は慌てて、財布から小銭を取り出し、公衆電話の追加料金を支払った。


「なんで公衆電話?」

「昔って感じで、いいじゃん。最近の子どもは、これの使い方を知らないらしいじゃんか」

「子どもの頃のあんたも、使い方知らなかったけどね」


「公衆電話も、使われ方を忘れちゃってると思うんだ。だから、俺がこうして思い出させてあげてるってわけ」


「殊勝な気持ちでお金入れたところ悪いけど、あたしの推し相撲取りの出番が来るの。そろそろ切っていい?」


「推し相撲取り?」未知の概念が出てきた。驚くべきなのか、呆れるべきなのか。「息子より推してるんだ」


「そんなことより、あの子はどうなったの?」

「あの子って?」

「ほら、なんだっけ。彼女の」

「あ、それ」

「藤森ちゃんだっけ。まだ付き合ってるの」


 つい、舌打ちをしてしまう。今一番、聞きたくない名前だ。勘違いしてるし。


「藤森は高校のときに別れた。母さんが言いたいのは、日野のことじゃないか」


「そーそー。日野ちゃんだ。顔、一度も見たことないけど」

「日野とは、うん。今も付き合ってる」

「ラヴってわけか」


 ヴ、とわざとらしくVの音で言う。俺はわざとらしくBの発音で「ラブかもね」と返答した。


「ラヴを謳歌しなさいよ、ユウ。ラヴのない大学生活なんて、ちっとも盛り上がらないんだから」

「大げさな」

「十両の対決を観る客くらい、盛り上がらないから」

「相撲で喩えるのやめて」


「あ、ごめん。もう切るね」

「推し相撲取り、来た?」

「これも一つの、ラヴの形よね。色々ある、ラヴの形の一つ」


「元気そうで良かった」


 言い終えるよりも、電話が切られるのが先だった。切れる直前、まるでアイドルに目を輝かせる十代のような、「キャー!」という歓声が聞こえた。「それこそ物言いだろ」と、歳に似合わない感覚を持つ母に、呆れる。


 まあ、我らが時田家の母は、ずっとあんな調子だったが。



 12月の17時はほぼ夜で、俺がいる小道は、電話ボックスの光以外に灯りがなく、人影も物音もなくて寂しかった。時代から取り残された電話ボックスの光は、むしろ寂しさを膨らませている気がして、なにもない方がまだ寂しくない、と思った。


 確認したばかりの腕時計を、もう一度見下ろす。


 彼女が来る約束の時間まで、まだあった。





     時田優悟(ときたゆうご) 中学2年の秋



 嫌味になるのを承知で言うが、俺は恵まれた容姿をしている。自覚したのは中学2年生の頃だ。初めて出来た彼女、名前は申し訳ないが思い出せない。

 彼女の友だちは「トミー」とか「富ちゃん」と呼んでいたから、きっと富がつく苗字だ。俺は特別感を込めて、「トミ」と呼んでいた。そのトミが、ある日俺に言った。


「時田くんって本当にモテるよね」

「え?」

「今日も下駄箱で、後輩に噂されてたよ。格好いいよねあの先輩、って」

「俺ってモテるの?」


 素で驚いた記憶がある。今までそんなことを言われたことがない、というか、言われようがないため、信じがたかった。


「自覚ないの? 他の男子たちに、『俺ってお前らと違うんだぜ』って思ってたわけじゃなかったの」

「逆に、そう思ってると、思われてたの?」


 トミはその疑問には答えず、俺の腕に抱きついた。それから上目遣いで、「わたしは前から好きだったけどね」と言った。


 彼女はいわゆる「甘えんぼ」なところがあった。少し悪く言えば、子どもっぽい。ことあるごとに俺の体に触れたがった。体に触れることで愛情を確かめているみたいで、それはなんだか、植木鉢の花が枯れないように、神経質に水をやるみたいだった。


 花も水をやりすぎれば、逆効果になるのだけれど。


「盗られないようにしないと」

「盗られるって?」


 俺はまだ知識が少なく、トミの言葉がなにを意味するのか分かっていなかった。


「浮気だよ」

「しないよ、そんなの」

「分かんないよ。隣のクラスのリッちゃんとか、最近カレと別れたって聞いたし、新しい誰かを探してるんだって。時田くん、気をつけてね」


「リッちゃん」


 リッちゃんとやらも覚えていないのだが、まあ、彼女だったトミの名前も思い出せないのだから、それより希薄な人間関係など、忘れるに決まっている。


「なんで、その人は別れたの?」


 俺にとって、そのリッちゃんがどうして俺を好きなのかよりも、別れることになる理由の方が気になった。付き合おう、と決められるくらいに好きだったはずなのに、別れるに至るとは、矛盾ではないか、と当時は思った。


「知らないよ、そんなの」

「あ、そうなんだ」

「中学生の恋愛は、長続きしないのが普通だからね」


 俺たちも中学生じゃないか、じゃあ俺たちも長続きしないのか。言うべきか迷って黙っていると、トミは不穏に感じたのか「あ、わたしたちはその『普通』とは別だけどね」と慌てた。これもまた、花に水をやる行為だ。


 トミは腕に絡みついたまま、口角を上げた。


「大丈夫。時田くんはずっとわたしと一緒だし、誰にも渡さないから」


 と言ったトミとの関係は、三年に進級して別のクラスになって、夏になる頃には自然消滅に近い形でなくなった。最後まで、別れた理由は曖昧だった。


 結局のところ、「普通」の中学生に過ぎなかったわけだ。


最終章です。

ちょい長くなると思いますが、ご自由なテンポで読んだいただければと思います。


できれば、評価等もよろしく……

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