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モズ・ハブ

「俺って京都に住んでた時期があってさ」と出身地をアピールし、「その店って、北千住(きたせんじゅ)にもあったよ」と相づちを打ち「サッカーは俺も好きだよ。観戦に行ったこともあるよ」趣味の話を膨らませる。


 そんな時田の場回しは大したものだった。相手が乗っかりやすい題材を選び、あまり受けがよくないと思ったら即座に切り替え、自然な流れで軌道を修正する。いつの間にか皆、彼が膨らませた話題を中心に回っている。酒が入っても赤くならず、冷静さを保っているのは、もはや尊敬しかない。



「モズって鳥、いるじゃないですか」


 そんな中、志村が語り出したときは驚いた。積極的に喋るタイプではないと思っていたからだ。

 その話題の突拍子のなさに皆が興味を示した。彼はどんなことを言い出すのか、女性陣は注目した。その視線が苦手なのか、やや照れたように顔を背けながら、彼は訥々(とつとつ)と語り出した。


「漢字で書くと百と舌ってなるんですよ。『百舌(もず)』」

「あ、わたし、それ見たことある!」

「はい。だけど、百、舌、ときて最後に鳥、って書く場合もあるんですよ。“百舌鳥(もず)”って」

「そうなの?」

「そうなんです。だけど、おかしくないですか?」


 女性陣、といっても三人だが、彼女たちは首を傾げる。俺たちもなにがおかしいのかと不思議がった。


「漢字だと三文字です。なのに、読みは二文字。モズ。変でしょ? 三つの内、どれかの漢字が役に立たないんですよ」

「どういうことだよ。全然、意味が分からん」


 思わぬ話題の方向に呆れたのか、赤髪の先輩が横槍を入れる。あまりつまらない話題を出すな、と釘を刺すようでもあったが、志村は止めない。


「たとえば、志村(しむら)なら『志す』と『村』、で志村。読みは三文字です。時田(ときた)なら『時』と『田んぼ』で同じく読みは三文字。ルビを振ったら、必ず漢字と対応するひらがながあるはずなんです。なのに、百舌鳥(もず)は漢字三文字に対して読みは二文字。対応しない、対応できない漢字がいる」


 はあ? と先輩は小馬鹿にしたように嘆息する。一方で、時田は面白そうに志村を見ていた。


「だったらさ、鳥がいらない漢字じゃないの? だって、百舌でちゃんと成立しているんなら、鳥はいらないってことじゃん」女性陣から声が上がる。


「そうかもしれません。俺は、そう思います。だけど、ハブっていう漢字は上手くいかない」

「ハブ? あいつハブろうぜーっていうハブ?」別の女性が訊ねる。

「違いますよ。蛇の方です。こう書くんですけど」


 そう言って彼は懐からボールペンを取り出し、テーブルの端にあった紙に文字を書いた。「飯匙倩」という三文字が記された。


「なにこれ?」

「これでハブって読むんですよ」

「嘘?」


 どの漢字もハブらしくない。ヘビらしくない、どころか生き物らしくない。


「すごいな。クイズ番組とかで出題されそうだ」時田が感心している。

「これは明らかに変だ。ちなみに、波と布って書いてもハブって読めるんですけど。この奇怪な三文字を、どう簡略化してもハブとは読めません。必ずこの三文字でしか読めないんです」


 モズは百舌と書いても、百舌鳥と書いても問題ないが、ハブは飯匙倩(ハブ)だけしか駄目、ということか。


「どれがいらない漢字だと思いますか?」


 志村は、目の前にいる女性を上目で見つめた。真剣な瞳を覗かせて、まるで彼女に挑戦するようだった。答えてください、そう訊ねている。


「分かんないよぉ。最後のやつ?」

 彼女は倩の文字を指さした。


「そうかも。でも、納得できない。この倩っていう字は確かに関係ないんですが、関係なさすぎて逆に奇妙だ。じゃあ何故この漢字を当てはめた人は倩を付けた? 意味があるはずなんです」


 だんだんと熱が入ってきた。それと反比例して、女性陣の熱は冷めていく。その様子を見て取った時田は、すかさずフォローに回った。


「志村は、こういう漢字の秘密を探りたいってずっと言ってるんだ。こいつ、文学部だから」

「文学部、関係あんのか?」先輩が突っ込みを入れた。


 志村は小さく、時田の発言に頷いた。「あと、興味があるものと言えば」


「お前の別の趣味は、言わない方がいいやつだ」時田は志村の言葉を制した。


「あれだね。まさに」口を開いたのは、女性陣の主催者である向井さんだった。「飯匙倩って三文字のどれかが、“ハブ”られるわけだね」


「ああ」時田は、曖昧な表情で相づちを打った。「そうだね」

「確かに」

「そうだね、うん」

 次々に、淡々とした相づちが打たれる。誰かが、ため息を吐いた。


「ハブられる」

 声にならないくらいの小さな呟きを、俺は漏らした。

 三文字の中で、どれかが仲間はずれ。邪魔者。四人の中で、一人が邪魔、いてもいなくても変わらない存在。

 卑屈だろうか?


 すると、目の前の女性、白坂さんが顔を上げた。しかし俺は見ていない。後方の壁か、それとも中空か。虚ろな瞳をしている。


「ハブられる」

 俺にだけ聞こえる声量で、彼女は呟いた。


 卑屈だろうか?


 ***


 気がつけば、外を歩いていた。今度はカニやエビが出てきて、猫がタコを咥えるなんてことは起きなかった。だからといって、ハブも出てくることはなかった。


 調子に乗って酒を(あお)っていたのは覚えている。汗を掻いてきたな、と感じたのも覚えている。どこから記憶をなくしたのかは、覚えていない。


 意外にも、自分の話が受けたのは良かった。

 自分の不運を、脚色を加えて、なるべく明るく話した。


 まさかここまで不運な人などいるはずない。彼女たちはそう思ったのか、「うっそだー」などと笑いながら、にこやかに俺の話に聞き入った。


 白坂さんだけは決して笑わなかった。置かれているビールをちびちびと飲んでいた。それだけで、スマホをいじるとかもしていなかった。俺の話に限らず、誰の話も耳を素通りしているように見えた。見事に仏頂面だ。


 彼女のことが気に掛かっていたが、自虐が受けていることに気をよくして、話し続けた。そしてアルコールを摂取した。

 ふと俯瞰してみると、そこには酩酊でまどろむ俺の姿があった。


 時田に肩を貸され、外をふらふらと歩いた。街灯が照らす歩道を千鳥足で歩いた。


「ああ、結局こうなるんだよ」

「でも、今回は特に失敗してなかったでしょ?」

「この醜態で?」


 俺は靴が半脱ぎになっているのを感じながら、どうすることもできず引っ張られる。時田は手を挙げ、タクシーを止める。


「志村も佐藤先輩と同じ感じに出来上がってましたよ。酔っ払い二人で、目立ってません。それに、女性陣も酔ってました」


 タクシーの中にほとんど強制的に詰められ、ぼうっとした頭で時田を見る。視界がぶれる。家まで意識を保っていられるだろうか。


「ね、来てよかったでしょ」

 彼は様になっているウインクをする。


「そうは思えない」

「大丈夫」


 人差し指を立て、こめかみに当てる。これは彼の癖だ。その指がこめかみに当てられたとき、いつも自信を持った発言をする。


「きっとすぐに、なにがよかったかって、分かります」


 悪戯っぽく微笑をして、彼はタクシーから離れた。ドアが閉められ、彼の姿が遠くなる。手を振っている。


 まるで後光が射しているみたいに、街灯やビルの窓から漏れる光といった繁華街の色が彼を照らす。俗っぽい後光だ。不釣り合いに、その表情は爽やかだった。


 そんな彼の言うとおり、不思議な体験をすることになるとは、このときは微塵も想像していない。


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