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月に叢雲、花に風。大学生たちに幸運を  作者: 春山ルイ
その天才は空を飛ぶ
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飯塚くんは走り出したい

「なんで手伝うって言ったんですか?」


 喧嘩の夜が明けた。

 漫画用の原稿用紙に向き合いながら、入江は文句を垂れる。間に合わせで机の上を片付けた、というより退()けたため、彼女の周囲には色々と物が溜まっている。


「そりゃ、素人なんだから仕方ないだろ!」

「はあ? じゃあ手伝うとか、言わないでください。邪魔なだけじゃないですか」


「読んで感想言うくらいなら……というか、感想を言うのは大事だ。大事なことは立派にやり遂げられるぞ!」


「今にして思えば、たったそれだけのことを自信たっぷりに言うとか、本当に馬鹿ですよね」


 締切、という存在があると知ったのは、今朝のことだ。朝一番に、本格的な仕事道具を持ってきて、入江は「あと一週間で締切です」と言った。

 あと一週間で漫画を完成させて送らなければならない。僕は耳を疑ったが、紛れもない事実らしい。


「わたしが描くんですから、一週間もいりません」


 と言うが、ストーリーを大幅に修正しなければならず、そのため構想を練り直す必要はあった。



 喧嘩をした夜、寝ないで話し合いをした。その記憶が蘇る。


「まず、主人公を変えたらどうだ?」

「飯塚さんを、ですか」

「僕じゃない。漫画の、主人公だ。そいつ、読者に好かれないだろ。性格が終わってる」


「……取材の意味、なかったですね」


「……まあ、ほら。ベースはそのままで、もっとモテたり、青春を謳歌しているやつを参考にして、プラスしていったらどうだ?」


「それって」


 僕たちの中で、おそらく同一人物の顔が思い浮かんだ。声が揃う。


「時田とか」「時田さんとか?」


 正直、それで面白くなるかは、さっぱり分からない。いくら僕の目が肥えていても、結局は主観でしかない。世間一般がなにを好むのか、手探りで進めるしかないのだ。


 困難だが、やるからには、最後までやり抜く。

 これが()()と妥協するのではなく、考え続けるべきだ。


「確かに、時田さんなら飯塚さんと違って人から好かれます。彼の要素をプラスしていけば、少なくともキャラの面では面白くなるかも」


「……僕の性格、そこまで酷くないだろ」

「酷いです」

「いやいや」

「酷いです」


 時が経って、性格が酷いと言われたのがじわじわと効いてきた。


「今更、言わせてもらうが」

「後にして貰えません? 忙しいので」


「いや、言わせてもらうぞ……。お前だって……ゴミみたいな性格だ! なのに、よくもまあ他人に無神経な言葉を吐けるもんだな!」


「普通の人には、ちゃんと言葉を選びます。あなたの性格がゴミだから、そんなこと言われるんでしょ」


「天才だからってお前、甘えてないか? もっと自分を変える努力をしろ!」


 入江の手がぴたりと止まる。


「は? じゃあ、あなたは努力してるんですか? してませんよね。してたら友だちだっているし、こんな汚い部屋に引きこもってるなんて、あり得ませんもんね!」


「友だちいないのはお前だってそうだろ? お前、自分は漫画家だからこのくらい許されるよね、みたいに驕ってるんじゃないか? この性格ゴミ女!」


「うるさいな! なんですか、手伝うどころか邪魔してるじゃないですか! 馬鹿なんじゃないですか? 本当に死ねばいいのに!」


「漫画家ならもっと罵倒の語彙を増やしとけバーカ!」


 喧嘩している間に、時間が無為に過ぎていく。入江は手を止めたままで、なにも進んでいなかった。ふと冷静になって、お互いに休戦した後に、後悔の時間が流れた。


「……なんですか。今の時間」

「さあ……?」

「……描きますね」

「ああ……。あ、僕、コンビニ行って飲み物買ってくる」

「あ、はい」


 気まずさが残った部屋から逃げるように、僕はそそくさと靴を履き、外に出た。

 うっかり、財布を忘れてもう一度戻ると、気まずさが増した気がする。


 ただ、机に向かって描き続ける入江の背中は、とても勇ましく見えた。


 僕はその背中に向かって小声で、「頑張れよ」と言った。


「あ」


 入江は突然声をあげ、僕の方に向き直った。

 激励を聴かれたかと焦ったが、違うらしい。


「わたしも、今更ですが言いますね」

「な、なにを?」

「最初の頃、わたしにお茶を出してくださいましたよね。昨日の夕方頃にも」

「あー、そうだっけ」


 そういえば、そんなことをした気もする。


「あれ、実はとても嬉しかったです」


「え?」


「ありがとうございます」


 こいつは。

 感情表現が、本当に下手だ。


  ***


 九月も中頃となったはずなのに、夏のような暑さだった。早くコンビニで涼みたい。


 その思いで早足になり、駅前までやって来た。すると、ある人影が目に入った。僕はその姿に見覚えがあり、率直に言うと、とても驚いた。


 ローファーの足音が鼓膜に届く。


 前もこのあたりで出会った、女子大学生二人だった。この駅を利用しているなら、なるほど再会する確率は高いわけだ。いや、だからといって。


 当然だが、あっちは僕のことを知らない。素通りしてしまえばいい。


 しかし。

 僕は彼女たちの前に立っていた。


 最初は彼女らも、邪魔な通行人Aだと思い、避けようとした。だが僕がじっと睨み付けているのに気がつくと、怪訝な顔をして立ち止まった。


「は? なに、この人」

「知り合い?」

「知らないよ、こんなの」


 こんなの呼ばわりは、以前の僕だったら腹が立っただろうが、罵倒を受けることには慣れてしまった。


 そんなことより困ったのは、僕はどうしてこんなことをしてしまったのか、ということだ。


「キモくね、こいつ」

「どけよ。邪魔」


 僕はすっかりパニックになって、口元が引きつりだした。嫌な記憶が蘇る。


 中学生時代、風邪で欠席した翌日、社会の授業で発表をさせられた。

 病欠だってことを考慮すべきじゃないのか、とか、発表って強制でやらせるものなのか、とか色々文句があったが、何一つ言い返せないまま、発表した。

 

 あの気持ちだ。緊張で、すべてメチャクチャになる感覚。


「お前らが」


 と、僕は口を開いていた。


「は?」


 女子大学生たちは苛立っている。



「……お前らなんかが、邪魔をするな」



 中学生のときも、こんなふうに言えたら、どれだけ愉快だっただろう。


 僕は怒っていた。

 出る杭を打つ、彼女たちみたいな奴らを、許せなかった。



「お前らみたいな凡人が、天才の……入江の邪魔をするな!」

 


 感情が爆発した。


 そのまま、彼女らの横を走って通り過ぎる。

 


 きっと、二人は後に言うだろう。


「なに、さっきのキモいヤツ」「意味わかんねー」と。笑いものにして、数日経ったら忘れる。そんなものだ。ただの八つ当たりで、彼女らの考え方を変える、なんてこともできるはずがない。まったく無意味な行為だ。


 僕は人通りの少ない場所まで走り、息を切らして呟いた。


「本当にキモいな」


 僕は涙を流していた。辛いとか、悲しいとかではない。感情の出し方が下手だから、怒ると泣いてしまうんだ。


 涙を流して、笑った。今の僕は、きっと最高に気持ち悪い顔だ。



 でも、何故だろうか。


 ちょっとだけ気分は良かった。


あと2話で3章が終わります。あと少し、どうぞよろしくお願いします。

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